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影霧と父の話2


「ことは様、落ち着いてください。ことは様が落馬してお怪我をされたりしたならば、私は満永様に顔向けができません。いえ、この命を持って謝罪しても足りない。」

さらに続けられた言葉に不穏な単語が混ざっていて、ことはさらにあわててしまう。


「だ、大丈夫です!私これでも体はすごく丈夫ですから!それに、普段から森に行っては怪我をしたりしていましたから!慣れてます!ですからそんな、命を持って謝罪とか、そんなこと思わないでください。」

安心させようとして発した言葉だったが、驚いてさらに困ったような、申し訳なさそうな顔をする。


ことはは、その表情を見てさらに焦るが、何かを言う前に影霧がもう一度頭を下げる。

「申し訳ありません。ことは様。そのような生活を長い間させてしまっていたなんて…。どれだけ謝罪しても、足りません。」

影霧は、ことはの森に行っては怪我をした、というような発言に責任を感じてしまっているようだ。

だがことはには、今までの生活が苦しいものばかりではなかったと思っている。


「影霧さん。私の今までの生活は確かに、楽なものではなかったと思います。でも、おばあちゃんは私が不自由しないようにいろいろなことを教えてくれた。村の人たちも優しく、いろいろと手を差し伸べてくれた。森で食べ物を探すのも、「私は自然と一緒に生きているんだ」って、思うことが出来る、大切な時間でした。だから、そんなに謝らないでください。」

影霧にはそういって笑顔を見せた。だが、ことはの心の中には言葉に出来なかった思いがよぎった。


本当は、ずっとずっと人気のない森の入り口で、おばあちゃんがいなくなってから一人暮らすのは寂しかった。雨の降る寒い日。唐突にひと肌が恋しくなって、一人悲しみにくれたこともあった。

だけれど、求めることの出来るぬくもりは、ことはにはなくて。そのことは言葉に表せないほど、ことはの心に大きな影を落としていた。

それでも、そのことは口にはしない。口にしてしまえばその言葉に思いが引きずられてしまうと、わかっているから。


「ことは様は、やはり満永様にとても似ていらっしゃる。」


影霧は眩しいものを見るかのように目を細めて、ことはを見やる。

とても似ている、というのは容姿の事だろうか。それともしゃべりな方だろうか。

満永のことをまったく知らないことはは、想像もつかない。

「あの、影霧さん。父は、どんな方なんでしょうか…?」


その事を聞くのは、少し勇気がいる事だった。どんな人であるのか想像もつかないから、いろいろなことを考えてしまう。術師の当主、というからもしかしたらとても怖い威圧感のある人かもしれない。わけがあるのかもしれないが、自分を育てなかったという事は、冷たい人なのかもしれない。だけれど、自分を探してくれたという。


そのいろいろなことから父という自分物を考えるが、ことはの想像でしかない。実際に満永に仕えて、人となりを知っている影霧に、どんな人なのかを聞いてみたい。

「満永様は、珠森家だけではなく周りの術師、ひいては領主様方にも、とても信頼されている、人望の厚い方です。」

そういう影霧の声は、主への信頼と敬愛がにじみ出るかのようだった。それを聞けば影霧が嘘やお世辞で言っているわけではないとわかった。

むしろ、影霧はどこまでも主である満永を敬愛し、信じている事がわかる。


「それに、とてもお優しい方ですよ。消えかけた命があると、手を差し伸べてしまうような、そんな方です。そして、私は満永様に手を差し伸べてもらった者のひとりなんです。」

影霧は少し秘密の話をするかのように声を潜めて、続きを話す。


「私は、もともと両親に捨てられた孤児でした。知らない山奥に連れて行かれ、両親はいい子でそこで待つように、と告げてどこかに行ってしまった。だけれど、いくら待てど両親が戻ってくることはなく、夜になってようやく自分は両親に捨てられたのだ、という事に気がつきました。」

少し寂しげな声だった。

この人も、小さいころに両親と離れたのか。

ことはは詳細は違うといえど、似たような境遇だったという影霧に、親近感のようなものを覚える。

「そして、当時、六つだった私は夜の山の中を泣きながら彷徨い歩きました。数歩先すら見えない暗闇の中を。朝になっても昼になっても、また夜が来てもただひたすら、出口の見えない森の中を歩きました。そして、何度目かの朝に奇跡的に人里に下りることが出来た私は、気力を振り絞りその村に行きました。」

その時の影霧のことを、ことはは想像した。両親が迎えに来なくて、とても辛い思いをし、だけれど生きるために、出口の見えない森を延々と歩く。それは幼い少年には過酷すぎる。この出来事は、彼の心にどれだけの傷と悲しみを与えただろう…。

「村についたまではよかったのですが、薄汚いぼろぼろの子供が助けを求めたところで、誰が手を差し伸べるでしょう……。自分たちが生きるだけで精いっぱいなのに、どこの誰とも知らない子供を助けるものなど、いなかった。」

村や町で住む庶民たちは今、決して裕福とは言えない。大きな公家や商人など裕福な人たちもいるが、それはほんの一握りだ。

「何日もまともに食べることも飲むことも出来ずに歩いた私は、道端で倒れ、動くことが出来なくなりました。その時私は自分はここで死ぬのだろうと、覚悟をしました。……ですがその時、たまたま近くを通りかかった満永様が私を拾い、介抱してくださった。」


自分が死ぬと覚悟をしたとき、手を差し伸べられた。それは彼にどれだけの救いを与えたのだろうか。きっと、言葉に表すことなど出来ないほどのものなのだろう。


「そして、自分の屋敷で働かないかと、言ってくださったのです。当時は何も出来ない子供だった私は、雇ったところで足手まといにしかならなかった。満永様は、それでも捨てることなく、私を見守ってくださいました。」

そう語った影霧の声には、ここにはいない満永への深い感謝が現れていた。

「その時から満永様の優しさに報いたいと、そのためならばどのような苦労も努力も、惜しまないつもりでお仕えしてきました。他にも、私のように救われたものも少なくありません。それだけの器を持った方です。」

影霧はそう締めくくった。


影霧の話を聞いて、ことはの中にぼんやりとだが、満永という人の像が見えてきた気がした。実際に会ったわけではないから、聞いた話だけでどんな人なのか決めることは出来ないが、今の話からすればとても優しい人なのだと、ことはも思った。

困っている人に手を差し伸べること。それはやさしい心を持っていないと出来ないこと。


満永は、優しい心を持っている人なのだろう。この話を聞けばわかる。だけれど…。だったらどうしてことはを手放したのだろうか。自分の子だというのに、どうして。


「……影霧さん…。父は…、どうして私のことを手放したのですか……。影霧さんは父は優しい方だと、おっしゃいました。だけれど、だったら…どうして…?」

思わずそう尋ねてしまう。言葉を発してからまずい、と思う。これではことはのことを手放した満永を責めているようだし、心の準備をしていない今聞くのは、怖い。


あわてて、さっきの言葉を撤回しようとしたら、それより早く、影霧が困ったような顔をして答えた。

「それは私の口から伝えることは出来ません。ただ、満永様はことは様をお捨てになったわけでないのです。やむに已まれぬ事情があり、ことは様と離れる事になってしまったのです。満永様はあなた様をとても大切に思われている。それだけは、心に留めておいてください。」



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