真紅の瞳
「行くって……い、今から…?」
行くといってもすぐではなく、何日か支度をしてから行くのだとばかり思っていたことはは、男性の言葉に驚く。
「ええ。満永様はことは様に少しでも早くお会いしたいと、申しておりましたので。ですが、もしことは様が時間が必要とおっしゃるようでしたら、多少でしたら待つことは可能です。いかがいたしましょうか?」
確かに、異を唱えたのはことはだが、いざどうするかと判断をゆだねられると、どうしても戸惑ってしまい、言葉に詰まる。
「あ、あの…。えっと…。少し、時間がかかるかもしれないけれど、今から支度します…。待っていてもらえますか…?」
つっかえながらだが、そう答える。
やはり男性は、気品のある微笑みを浮かべて承知いたしました、と答えてくれる。
「では、外でお待ちしております。あまりお急ぎにならなくても大丈夫ですので、ゆっくりとお支度をしてください。それでは。」
そう告げた男性が、外に出ようとしたその時。
「術者の気配を感じたから、来てみれば……。何者だ?」
男性の後ろに、夜鵠が立っていた。
久しぶりに見た夜鵠の姿は、以前とと何ら変わりない。
整った顔、美しい黒の長い髪。そして、ことはの心をつかんで離さない瑠璃色の瞳。
だが、その美しい妖は男性を警戒するように油断なく見つめ、ピリピリとした気配をまとっていた。
「あなたが、封じ石に封じられている妖ですね。噂に違わぬ強い妖力を持っている。」
夜鵠はその言葉に、ただ目を細めて答えない。
「申し訳ありませんが、あなたにも満永様のいらっしゃる屋敷へことは様とご一緒に来ていただきます。」
「断る。」
男性の言葉を一刀両断で切り捨て、吐き捨てるように言う。
「どうせ、お前のようなものが俺を連れて行きたいところは、術者の屋敷だろう。そんなところに誰がわざわざ行くというのか。」
その言葉からは、嫌悪のようなものを感じる。
「お前もこのような者と関わるのはやめておけ。利用されるぞ。」
視線をことはに移して、言った。
夜鵠の言葉に、ことはの中の不安がまた顔を見せる。
だが、ことはが迷う前に男性が告げる。
「あなたが、どうおっしゃられようと来ていただきます。」
夜鵠の強い嫌悪と拒絶の言葉を聞いても、一切ひるむことなく冷静に答え、男性はそれに、と続ける。
「あなたは、逆らうことは出来ないのですから。」
その言葉に、夜鵠ははっとしたようにことはを見た。
「その石を渡すな!」
「え…?」
その言葉を理解する前に、男性と夜鵠は動く。
先に動いたのは男性で、素早くことはとの距離を縮める。
夜鵠は男性よりも、ことはと距離があったため一瞬後れを取る。
あまりの速さに、ことはは避けることも距離を取ることも出来ずにするりと懐に入りこまれ、手の中から封じ石を奪われた。
夜鵠が何かの術を使うために腕を振り上げるが、それよりも早く男性が言葉を紡ぐ。
「古き時の封じの力よ、封じられし妖に戒めを。」
そのとたん、腕を振り上げていた夜鵠が息をつめ、崩れ落ちるようにその場に膝をつく。
そして何かに耐えるように、左手で胸を押さえる。
「くっ…ぅ…。」
膝をついて、うつむいてしまった夜鵠から声が漏れる。
何かに苦しんでいる夜鵠に、ことはは近くにいる男性を押しのけて駆け寄る。
「夜鵠さん!どうしたんですか。どこか苦しいんですか…?!」
夜鵠は、ことはの問いに答えない。そのかわりに何かに耐えながら顔を上げ、男性を睨みつける。
ことはは、息をのむ。
男性を睨みつけているその瞳は、ことはが知っている瑠璃色の瞳ではなく、真紅に染まっていたのだ。
だが、睨みつけていたのは数秒で、またすぐに力尽きたようにうつむいてしまう。
その様子を見ていた男性は、今度は静かに呟くように言葉を紡ぐ。
「解」
その言葉と同時に、夜鵠の強張らせていた身体から力が抜けて荒く息をつく。
「夜鵠さん…!」
夜鵠が心配で、ことはは夜鵠の肩に手を伸ばす。
すると、パシッ、という音がして手が払いのけられる。
「……。触れるな。」
呼吸を少しずつ整えた夜鵠が顔を上げたその瞳は紅いままで、冷たくことはを見る。
今までこんなに冷たい目を、夜鵠から向けられたことのなかったことはは、夜鵠に触れようとして払われた手を反対の手で包み、夜鵠をただ見る事しかできなかった。
「夜鵠殿。もう一度申し上げます。一緒に来てください。」
もう一度大きく息をついて、呼吸を整えた夜鵠は立ち上がり顔を逸らす。
「…勝手にしろ。」
そう言ってそのまま、家から出て行ってしまう。
その光景を、ことははただただ、見つめていることしかできなかった。
一体、今何が起きたのか。男性が封じ石をことはから奪い、なにか言葉を紡いだ途端、夜鵠は苦しんだ。そして、また男性が言葉を発したら呼吸は乱れていたが、その苦しみはなくなったようだった。
夜鵠は先ほど男性のことを術師、と言っていた。ならば男性が封じ石を使い言葉を紡ぐことで、夜鵠に何かしらの負担をかけたのかもしれない。
あの時男性は夜鵠が同行することを拒否したら、夜鵠を苦しめる何かをした。話の流れから考えて、男性は夜鵠を封じ石の力で無理やりいう事を聞かせたのではないだろうか。
その考えにいたり、男性を見る。
男性はといえば、夜鵠の出て行った入口を静かに見つめていた。だが、ことはの視線に気づき、こちら見る。
「夜鵠殿もご同行していただけるという事なので、参りましょう。ああ、この封じ石は、こちらで預からせていただきます。では、今度こそ外でお待ちしています。」
有無を言わせない口調でそう告げると、男性も出て行ってしまう。家に取り残されたことはは、先ほどの事が頭から離れず、しばらく動くことが出来なかった。
青年が夜鵠にしたこと、夜鵠の苦しむ姿、そして真紅に染まった瞳。何が起きたのか、理解するにはことはの持っている情報が少なすぎる。きっと、これは夜鵠の封印のことが深くかかわっているのだろうと思うが、ことは何も知らない。
いくら考えても何もわからないと、考えることを諦める。とにかくことはの父だという満永に会うために、今は支度をすることにした。
男性の夜鵠への対応に不信感と不安が浮かんだが、今はことはの父だという満永に会って、いろいろなことを知らなければいけないと思った。もし何かあれば、それはその時にどうするか考える
とりあえず、どれぐらい家を空けることになるのかわからないから、少し多めに荷物を持っていく。




