男性の来訪
あの日以来、夜鵠はあまりことはの家にいつかなくなった。
夜鵠は家についたら荷物を置き、すぐに家から出て行ってしまった。
そしてそのまま、その晩夜鵠が家に帰ってくることはなかった。
その後も時折、森で見かけることはあったが、家に帰ってくることはほとんどない。
家に帰って来たとしても夜遅く、屋根の上で星空を眺めているだけだ。
以前のように、ことはを見かけても声をかけてくることはない。
ことははそのことがとても悲しかった。
夜鵠がことはから距離を取った原因は、はっきりとしている。
ことはが夜鵠に妖から助けられた後、伸ばされた手に怯えたことだ。
あの日の晩からずっとずっと、ことはは考えていた。
もしも、ことはが誰かを助けるために力をふるって、助けた相手を心配して手を差し伸べたのに怯えられたら。
ことはは、きっとすごく傷つくだろう。もしかしたら、怒りも感じるかもしれない。
自分でそう思うのに、ことははそんな態度を取って夜鵠の優しさと心を踏みにじった。
考えれば考えるほど、自分のしたことが心に重くのしかかる。夜鵠はことはが嫌いになったのかもしれない。
顔も見たくなくて、そばにいることさえ嫌で。
そんなことをずっとここ数日、考えていた。
夜鵠に何かを言わなければいけない。このままではいけない。
わかっているのに何を言っていいのか、わからなかった。
謝るのは、違う。ただ謝るだけでは、何の解決にもならないだろうと思う。
怖がっていない、というのだって違う。
あの時ことはは確かに、無意識のうちで恐れたのだから。嘘をついたって、意味がない。
それでは、だめなのだ。
謝るにしてもなんにしても、上辺だけ取り繕ったって出来てしまった溝を埋めることは出来ない。
それどころか、出来てしまった溝が一生消える事がないものとなってしまうだろう。
そんなことをぐるぐると頭の中で考えていたら、ふと、部屋の隅に置かれている木箱に目が行く。
あの日、家に帰ってきて、身に着けていた封じ石を元あった木箱に戻したが、その木箱を押し入れに戻す気にはなれず、部屋の隅にひっそりと置いていた。
ことはの手は、自然とその木箱に伸びて封じ石を取り出し、そっと握りしめる。
やはり以前に手に包み込んだ時と同じで、ひんやりとしているが、その冷たさはことはを苛むものではなかった。
その事が、ことはを無性に泣きたくさせる。
封じ石を握り、その温度を感じながら涙を堪えていると、外から突然声がかかる。
「こんにちは。」
はっと我に返り入り口を振り返れば、そこにはどこかで見たことのある男性が立っていた。
「お久しぶりです。覚えていらっしゃいますか?」
どこでこの男性にあったのか、すぐに思い出すことが出来ない。
少し男の顔を見て考えていると、おぼろげな記憶の中にその男性の顔を見つけ出す。
「村で、助けてくださった…?」
「はい。覚えていてくださったのですね。」
穏やかな笑顔を、男性は浮かべる。
「あなたは…、なぜここに?」
一番に浮かぶ疑問。この男性とは、村で一度、それもほんの少し言葉を交わしただけのはず。
なのにこの男はこの家を訪ねてきて、ことはがここにいることに全く驚いた様子がない。まるで此処にことはがいることを知っていて、尋ねて来たかのようだ。
男性はにこりと笑い、静かにことはに告げる。
「ことは様。お迎えに上がりました。あなたの父君、珠森満永様が、ことは様にぜひお会いしたいと申しております。」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
「父…?私の…?」
混乱する頭で、ようやく出てきたのは疑問の言葉。
「はい。あなた様の実の父君です。満永様はずっと、ことは様のことを探していらっしゃいました。ですが、なかなかことは様を見つけることが出来ず…。そして先日、ようやくあなた様を見つけることが出来きた。」
その言葉でことはは、だんだん言ってることの意味を理解してくる。
ことはは、一度も両親に会ったことがない。おばあちゃんは母がことはを預けたという事は話してくれたが、父のことは何も話してくれなかった。
ことは自身も、気になったことはあったが、あえて聞いたりはしなかった。
聞いても、おばあちゃんは話す気がなければ、答えてはくれないだろうから。
だから、生きているのか死んでいるのか、それすら知らなかった。
だが、この男性は父を知っていて、なおかつ、その父に言われてことはを迎えに来たという。
だが、突然の話に、その言葉を信じていいのかことはは判断に迷う。
その迷いを見越したかのように、男性は言葉を投げかけてくる。
「ことは様は、妖を見る事が出来るのではありませんか?」
唐突に言われた言葉に、ことはは驚きを隠せない。
なぜ、この人はそれを知っているのか。
「あなた様は、とても強い霊力を宿す母君、春音様と代々術師として栄えてきた珠森家当主、満永様のお子でいらっしゃる。そんなあなた様が強い霊力を宿していても何らおかしくありません。事実、あなた様からとても純粋な強い霊力を感じる。」
春音。それはおばあちゃんが、ことはに教えてくれた母の名前。
この人は、本当に自分のことを知っている。
驚いた顔で見ることはに、穏やかなほほえみを見せる。
「満永様はきっと、ことは様の疑問に答えてくださる。母君のこともあなたの出生についても。そして、その封じ石のこと…その中にいる妖についても。」
ことはは、はっとして手の中にある封じ石を握りなおす。
この人は、封じ石に夜鵠が封じられていることもこの封じ石についても、知っているのだ。
……いや、この人はことはが知っている事実より、より深いところまで知っている可能性が高い。
なぜなら、夜鵠は封じ石や己の封印について話したくないようだったから、ことはは深く尋ねたことはなく、ことははほとんど封印について知らないのだ。
夜鵠は、なぜこの封じ石に封じられたのか。
一体、何のための封印なのか。
そもそも、誰が夜鵠をこの石に封じたのか。
それに、術師でも何でもなかったおばあちゃんが、なぜこの封じ石を持っていたのか。
今まで考えないようにしてきた、たくさんの疑問が次々と浮かんでくる。
その疑問の答えが、知りたい。そう思ってしまえば、自然と言葉を発していた。
「……わかるのなら、知りたい。…私の父や母について。どうして、おばあちゃんに預けられることになったのか。…どうして、私には妖が見えるのか。それに…。この封じ石のことも…。」
だが、最後の言葉は小さな声になってしまう。
夜鵠が話したがらなかったことを、誰かから聞く。そのことは、なんだか悪い事なのではないか。そんなことが頭をよぎったから。
だけれど、男性は気にすることなく微笑む。
「よかったです。では、すぐに参りましょう。お支度をお願いいたします。」




