帰り道の襲撃
何だかんだで、買い物をしていれば、日が傾き始めてしまった。
だいぶ長い間夜鵠を待たせてしまったため、急いで村の入り口に戻り夜鵠の姿を探す。
だが、ぱっと見まわした限り夜鵠の姿は見えなかった。
「どこに、行ったんだろう…。待たせすぎたから、怒って帰ってしまった…?」
そこまで考えて、それはないだろう、と思った。
ともに生活をしていて、夜鵠は真面目で一度自分で言ったことはきちんと守る人だろうと、なんとなくことはにはわかる。
周りを見回していれば、ふわりと後ろから優しい風が吹いてきた。
ゆっくりとことはが振り返れば、そこには探していた瑠璃色の瞳を持つ妖、夜鵠が居た。
「すまない。待たせたか?」
現れた夜鵠の手の中には、果物があった。
「夜鵠さん、それ…。」
果物を見ながらそう、尋ねれば夜鵠は、ああ、と答える。
「お前がいない間に、近くの木に生っているのを見つけた。お前はこういうものが好きなようだし、やることもなかったから。採ってきたのだが、嫌いだったか?」
夜鵠の採ってきた果物は、どれも木の高い位置になる果物だ。簡単に手に入れられるものではなかった。
だが、味はとても良く、昔ことはの祖母が生きていた頃に食べたことがあり、とてもおいしかった記憶がある。
「とても、好きです。でも、木の高い位置にありますよね…?大変だったんじゃ……あ。そっか。夜鵠さんは、飛べるんだ…。」
言っている途中で、夜鵠の翼が目に入り、納得する。
「嫌いでないのならいい。後で食べろ。」
そういってことはが持っている荷物に、果物を乗せてそのままことはから、その荷物を取り上げ先に歩き出す。
その姿にことはは夜鵠の優しさを感じ、とてもうれしくなる。
思わずにこにことしてしまう顔に気づきながら、夜鵠を追いかけて隣を歩いた。
村が見えなくなるあたりまで来ると、太陽はほとんど沈み、あたりは薄暗く夜の訪れを感じさせる。
だが、この暗さならば、完全に暗くなる頃には家につくことが出来るだろう。
そんなことを考えながら歩いていれば突然、隣を歩いていた夜鵠が立ち止る。
どうしたのかと思い、ことはも立ち止り夜鵠を見上げようとする。
だが途端、後ろからものすごい勢いで、何かが近づいてくる音がした。
何事かと思い、ことはが振り返るより速く、夜鵠が動いた。
後ろで、何か固いものと固いものがぶつかり合う甲高い音が響く。
ことはは、それがなんなのか確認する前に視界の隅で、夜鵠が右腕を強く振り払う動作をしたのが見える。
後ろをことはが振り返ればそこには狼のような体をして、本来の四肢がある部分には、代わりに人の腕のようなものが付いており、三つの赤く充血した目でこちらを睨む妖がいた。
隣の夜鵠を見れば、いつの間に手にしたのか、この光の少ないこの状況でも鋭利に光る、刀身が長い刀を妖に向けている。
ことはは、その状況と突然現れた今まで見たこともないような妖に驚き言葉も出ず、その場に固まる。
そして、とても長い間――いや、本当はほんの一瞬だったのかもしれないが――妖と夜鵠は睨み合っていた。
だがその静寂は、夜鵠が先に動くことによって、崩される。
なぜか夜鵠は、その狼のような妖の若干右側に向かって、刀を切り上げるように振るう。
これだけの距離があれば、絶対に当たらないと思われたが夜鵠が刀を振るうと、狼のような妖の隣に突如として妖が現れる。
その姿は普通では考えられないような大きさで、狼のような姿の妖と並んでも大差のない、蟷螂のような妖だった
その妖は現れると同時に悲鳴のような声を上げ、血のような黄色い液体を流し、じたばたとその場でもがく。
夜鵠はそのままの流れで、あっという間に狼の妖との距離を縮めて、妖の前肢に切りかかる。
狼の妖はその攻撃を飛び上がり回避し、反撃として夜鵠の左腕に食いかかろうとする。
だが、まるでその攻撃を知っていたかのように、夜鵠は素早く身体を捻ることによって、避ける。
そしてその勢いを利用して、刀の峰で狼の首のあたりに強く打撃を入れた。
狼のような妖は、そのまま上手く着地できず地面に転がった。
何とか起き上がろうとするが、脳に揺れが伝わったのか起き上がることが出来ないようだ。
その様子を呆然と眺めていたことはを、夜鵠は振り返り鋭く叫ぶ。
「屈め!」
言われたと同時に身体がとっさに反応し、その場にしゃがみこむ。
その瞬間、頭上を何かが飛んでいったかのような風圧を感じた。
それとほぼ同時に、後ろで、ギャア!という悲鳴が聞こえる。
顔を上げて後ろを見ようと振り返ると、すぐにふわりと夜鵠が目の前に降りたった。
夜鵠が目の前に現れれば視界は狭まり、あまり前を見ることが出来ない。
だがそれでも、ちらりと見えた先には、蜘蛛のような身体をしていながら人間の女の胴体をもった妖と、牛のように大きな体を持ち、獅子の顔が醜く歪んだような顔をした妖がいる。
先ほどの悲鳴は、蜘蛛のような妖のものだったのか、八本あるはずの足の一部が、近くに転がっており、その傷口から緑色の液体が流れ出ていた。
「あまり、長々とそなた等を相手する気はない。同時にかかってこい。」
夜鵠はどこか挑発しているかのような、めんどくさいとでも言いたそうに告げる。
その挑発に妖達は怒りを感じたのか、キーキーと耳障りな音を発して、二匹同時に飛びかかってくる。
だが、夜鵠はその場から動かない。
妖達はすぐ目の前まで迫っていた。
――――――夜鵠さんが怪我をしてしまう…!――――――
そう思って、ことはがとっさに立ち上がろうとした、その時。
妖二匹は何か壁にでもぶつかったかのように、夜鵠の目の前で弾かれる。
そして、その妖二匹を夜鵠は見下ろし、刀を持っていない左手を軽く払うようにかざす。
すると、妖二匹を包み込むように、濃い黒い霧のようなものが現れ、二匹を完全に見えなくしてしまう。
そして、その中から、二匹の悲鳴のようなものが聞こえる。
ことはは、何が起きているのかわからず、本来、年頃の女性が見れば目を背け、耳をふさぎたくなるような光景と悲鳴を聞きながらも、ただ茫然とその場に座り込んでいることしかできなかった。
しばらくして黒い霧は晴れると、その場に先程の妖が倒れていた。
その妖をしばらく、夜鵠は見下ろしていたが、すぐに興味を無くしたかのように、視線を外し、ことはを振り返る。
「大丈夫か?」
その声は決して優しいとは言えないが、冷淡ではない。夜鵠らしい声だった。
「い、今、何が…?」
それでも、今起きたことに頭が追いつかず、混乱していることはのそばに、そっと膝をつき、夜鵠はなだめるように手を伸ばす。
だが、先ほど妖と戦った時に浴びた返り血に衣を染めて、薄い月明かりを背負った夜鵠の姿を見て、先ほどまで鬼神のごとく、妖達を次々と切り倒していった夜鵠の様子を思い出してしまい、咄嗟に身体がびくりと反応する。
その反応を見て夜鵠は小さく息をつき、すぐに手を引く。
「お前を狙って、この妖達は集まったのだろうな。」
先程のことはの拒絶など、なかったかのように夜鵠は言う。
夜鵠の言葉を聞いて、だんだんと、ことはにも状況がわかってきた。
ことはを食らうために寄って来た妖に、夜鵠は気が付き、ことはを守ってくれたのだ。
そして、夜鵠はことはが怪我などしてないか、心配をして手を伸ばした。
それなのに、差し伸べられた手にことはは怯えた。
初めて見る、相手を殺そうという意思を持った戦い。
痛みによる、生々しい悲鳴。
相手を傷つけたことによって、流された血。
それは、人間と同じ色ではなかったけれど。
確かに、生き物として生きているという、証拠である液体。
その事実は今まで平穏な、戦いとは無縁の世界で生きてきたことはには、酷く恐ろしいものだった。
そして同時に、その恐ろしいことを躊躇いなくやってのけた夜鵠に、無意識のうちに恐怖を覚えたのだ。
だが。すぐに、ことはは自分がしてしまったことに、気が付く。
夜鵠は、ことはを守るために力をふるった。
決して、自ら望んでこの状況を作り出したわけではなかった。
そう、頭では理解した。
それでも、無意識のうちに、ことはは夜鵠に怯えていた。
そんなことはに気が付いているはずの夜鵠は、何もなかったかのように立ち上がる。
どこに行くのかと見ていれば、倒れている妖に近づいていく。
先程、黒い霧に覆われて動かなくなった、妖二匹を無造作に掴んで、ずるずると引きずっていく。
一体何をしているのか。まったくわからないことはは、ただその光景を見てる。
引きずっていった先には、普段人が立ち入らないために、伸び放題に伸びた草たちが生えている道の脇だった。
そこに、妖怪二匹を、放り投げる。
それが済むと、またこちらに戻ってきて、今度は後ろで倒れている狼のような妖とかまきりのような妖をつかんで、先ほどと同じように、脇道に放り投げる。
この行動に一体、何の意味があるのか。
それをことはが、考える前に夜鵠が、先ほど放り出した荷物を拾い上げた。
「もう日が暮れる。このままでは、帰る前に完全にあたりが暗くなってしまうだろう。今は周りに妖はいないが、夜は妖が活発になる。早く帰った方がいい。」
そういうと、ことはを振り返ることなく、歩いて行ってしまう。
ことはは、我に返り、すぐに夜鵠の後を追った。




