笑顔
先に、この空気を打開しようと、口を開いたのは夜鵠だった。
コホン、と空咳をする。
「…何はともあれ、気を分けてくれたこと、感謝する。」
動揺を無理やり押さえ込んで、冷静さを取り戻し、ことはを見て言う。
ことはも、いつまでも照れている場合ではないと、気持ちを切り替え夜鵠に向き直る。
「いえ、夜鵠さんのお役にたてて、よかったです。もし、また妖気が濃くなりすぎて具合が悪くなるようでしたら、いつでも声をかけてください。私の気でしたら、いくらでも分けますので。」
「…ああ。」
夜鵠は目元を緩ませて小さく笑う。
「あ…。夜鵠さん、また笑ってくれましたね。」
夜鵠は先ほど、ことはが力になりたいといった時も、小さくだが笑っていた。
出会った時から、ずっと無表情か、どこか悲しげな顔ばかりしていた。
ことはは、そのことがずっと気になっていた。
ことはの指摘に、夜鵠は不思議そうな顔になり、手を口元に当てて考えるそぶりを見せる。
「夜鵠さん、今まで笑った顔を私に見せてくれたこと、なかったんですよ。でも、さっきも今も、笑ってくれました。なんだかうれしいです。」
悲しい顔ばかりでは、きっと疲れてしまう。
だから、夜鵠が笑顔を見せてくれたことがうれしかった。
「……。お前といると、調子が狂う。」
夜鵠は、しかめ面でそういう。
そんなに、自分は夜鵠の調子を狂わせるようなことを、言っているのだろうか、といろいろと考えるが、特別自分が何かしているつもりはないことはは、困ったように笑うしかなかった。
「まあ、いい。それで、身体の方に異変はないか?怠いとか、眩暈がするとか。」
ことはの体調には、全く変化はなかった。
「平気です。それより、夜鵠さんこそ、もう大丈夫なんですか?具合が悪いのは、もうよくなりましたか?」
「…。ああ。お前に気を分けてもらったからな。…そんなに心配する必要はない。俺の事より、己の体のことを心配しろ。まあ、お前の体はそこらの術師よりよほど気が充実しているようだから、問題はないと思うが。」
ことはは、夜鵠の最後の言葉に目をぱちくりとさせ、驚く。
今まで生きてきて、自分が人より力があるとか、特別だとかそんなこと思ったこともなかったからだ。
夜鵠に出会って初めて、自分の中の力について聞かされたのだ。
それでも、自分では陰陽師の力があるという実感がないし、力を使うことが出来るというわけでもないので、いまだに本当にそんな力があるのか、信じることが出来ないでいるのだ。
「だが、もう夜も遅い。お前は寝ろ。睡眠は失った気を回復する手段だ。それに、人間は眠らねばすぐに弱るだろう?だからさっさと寝ろ。」
夜鵠は布団を指さし、ことはを眠るように促す。
確かにもう夜も遅く、いつもならもうとっくに眠っている時間だったので、素直に布団の中に入った。
布団の中から夜鵠を見れば、壁際に座ったまま何か考えているようだった。
「夜鵠さん、寝ないんですか…?」
声をかければ、夜鵠は顔をあげてことはを見る。
「ああ。俺も眠る。俺のことは気にしないで寝ろ。」
ことはは、その言葉を聞いて安心して、目を閉じる。
やはり、気を夜鵠に分け与えたことで、多少なりとも影響が出たのか、すぐに意識が闇に沈んでいく。
だが、完全に意識がなくなる直前、誰かの手が不器用に頭をなでた気がした。




