気を食べる
予想外の言葉で、ことははきょとんとする。
「私?」
「そうだ。封じられている俺の唯一の繋がりは、封じ石の持ち主だ。だから俺に気を与えることが出来るのは、封じ石の持ち主だけだ。」
なかなか夜鵠の言葉を理解できずに、しばらくその場で固まる。
しばらくの間固まって、何も言わなかったことはを見て、夜鵠は何かを勘違いしたようで、ため息をつく。
「妖に気を食われる事を恐ろしいと思うのは、致し方ない事だ。俺は無理にお前に気を食わせろなどとは言わない。だから安心しろ。」
夜鵠の諦めている、とでもいうかのような言葉に、はっと我に返りことはは急いで弁解する。
「違うんです!少し驚いていただけで、別に怖いとか嫌だとかそういう事を思っていたわけじゃないんです。」
「……ほう。恐ろしくないのか。」
夜鵠はスッと、目を細めことはを見る。
「えっと、私、妖の事とかあまりよく知らないから、わからないのですが…。気を食べるっていうのは、そんなに恐ろしい事なんでしょうか…?すごく痛かったりとかするんですか…?」
「気を与えるだけだ。痛みは伴わない。だが、己の一部を異形の者に食われるんだ。恐ろしいと思うのが、普通ではないか。それに気を短時間に、大量に失えば命にかかわることもある。俺がお前を害するつもりがあれば大量に気を食うかもしれない。」
夜鵠はわざと、ことはを脅すかのように、冷たい声で告げた。
そんな夜鵠を見ていてことはは、己が怖いと感じているかもう一度考えてみるが、やはり怖いという思いや恐れは見当たらない。
「怖くないです。夜鵠さんはそんなことしないと思います。だって、夜鵠さんが私を殺す気があれば、もうとっくに私は死んでいると思います。今まで一緒に暮らしてきて、私を殺す機会はいくらでもあったでしょう。それなのに殺さないで、今日なんか木から落ちたところを、助けてくださいました。だから、夜鵠さんが私を殺すとか、思ってないです。」
口にすれば、ことはの中でより一層その思いが強くなった。
夜鵠は、ことはを二回も助けた。
初めて会った時夜鵠は、恐ろしい妖三体を睨むだけで追い返してしまったのだ。
あの時の、圧倒的な威圧感は、はったりではない。確かな力を持っていなければあれほどの威圧感をだし、敵と刃を交えることなく追い返すことなど、出来ないだろう。
そんな妖が人間であり、無力な女のことは一人を殺すのに、手間取ることはないだろう。
夜鵠はことはの言葉を聞いて、表情を緩める。
「やはり、お前は変わっている。いや…。愚か、なのか。」
そう言って、苦しそうに息をつく。
やはり、夜鵠はかなり具合が悪いのを隠していたのだろう。
先ほどより顔色がよくないように見えるし、初めて会った時に比べて、弱っているのが私ですら、はっきりとわかる。
「私は、どうしたらいいですか?気を分けるのはどうやってやるのでしょう…?」
「手を貸せ。そのままお前は何もしないでいい。あえて言うのならば動くな。」
「えっと、こう、ですか?」
ことはは右手を夜鵠に差し出す。すると、夜鵠は差し出されたことはの、右手を取り自分の口元へ持っていく。
そして、ことはの指先に夜鵠の唇がふれた。
ことはは驚きのあまりその場に固まり、動くことが出来ない。
夜鵠は、ことはの指先に口付けるために、顔を少しうつむかせている。
そして、黒く艶やかな髪が顔にかかって、その髪の隙間から見える目は、少し伏せられて、それが逆に色気を感じさせた。
ことはは顔に熱が集まっていくのを、はっきりと感じた。
意識しているせいか、いつも以上に指先の感覚が鋭くなっており、夜鵠の唇の熱や柔らかさを、しっかりと感じてしまう。
今まで、人と接する機会の少なかったことはは、もちろん若い男の人と接する機会など皆無で、耐性が全くないのだ。
あまりのことに、頭がくらくらした。
指先から、何かが吸い取られていく感覚と、羞恥心による眩暈で、今にも倒れそうになった頃、夜鵠はことはの指先から唇を離した。
「気を分けてもらった。身体に異変はないか?」
ゆっくりとあげられた顔を、直視することが出来ずに顔をそむけると、夜鵠は困ったような顔をした。
「やはり、嫌だったか?」
ことはは、強く首を振る。
「ち、違うんです。そうじゃないんですけど、その、えっと」
「無理をすることはない。嫌ならばもうしない。」
「違うんです!その、男の人に、く、口付けされたのなんて、初めてで、戸惑ってしまって…。」
ことはは顔に熱が集まり、赤くなっているのがよくわかった。
夜鵠はことはの言葉で、ぱちぱちと目を瞬いて、何かに気づいたように息をのむと、夜鵠も顔を逸らし、ほんのりと目元が染まる。
「い、今のは……!そのような行為ではなく、気をもらうためには、相手の身体の一部から吸い取る必要があったんだ。それで、俺は口から気を取り込むのが一番効率的で、だな。その、やましい気持ちがあったわけではない…!」
「え、あ、夜鵠さんにそういうつもりがあったとか、思ったわけじゃないんですけど、恥ずかしかったというか…。」
お互いに視線を逸らしあって、黙ってしまい、気まずい空気になってしまった。




