第5話 運命は炎の瞳の中にある
「ここに隊長がいるはずだよ」
微笑みを向けて扉の向こう側を指差す少女につられて見えもしない人物に想像を張り巡らせてみる。
ー死んだはずに違いない自分が何故生きてここにいるのか、そしてWSUの秘密が隠されているはずの誰も知り得ない場所に偶然にも訪れ倒れている自分を見つけた"隊長"と呼ばれるその人物。
妙な威圧感を扉から感じ、少し萎縮してしまう。ロジェは小さく息を吐き出し、呼吸を整える。
それを見受けた少女はノックをする。
「隊長!メリリーです。ちょっといいですか?」
「入っていいよ」
「いいって。入ろう?」
「あ、ああ…」
促され、開けられた扉の先に一歩踏み入れるとそこには、ひとりの男が佇んでいた。
「あっ!君!なんでここに?!…もう目覚めたっていうのかい?」
予想していた"隊長"とはかけ離れたような素っ頓狂な声音にロジェは目を丸くする。
緩やかなくせっ毛と、人柄の良さそうな表情とその雰囲気から一気に身体中の筋肉が解れ肩の力が、自然と抜けて行く。
柔軟そうなその男だが、瞳には凛とした光が宿り、一目見ただけなのに信頼しても良いようなーそんな空気を纏っていた。
「うん、さっき廊下で倒れてたんだけど…私が声をかけたらもう動けるようになったみたいで…でも、混乱してるみたいだから…できれば隊長からご説明のほうが良いのかなぁ、って。」
「なるほど…メリリー、ありがとう。懸命な判断をしてくれて。……君、まずは適当に腰を下ろしてもらっていいよ。まだ身体も健全と言える状態では、ないだろう?」
隊長と呼ばれる男はソファを手で示し、ロジェを座らせ一呼吸を置いたように向かい直る。
「えっと…俺のこと、助けてくれたんだろ?…その、ありがとう。…あのままだったら俺きっと…死んでいたと思うから…」
ロジェはまず言いたかったことを言う。
本当に何故生きてるのかは不可解ではあるが、この男たちの手によって命を救われたのだということはこの目覚めてからの短時間で理解した。
そんなロジェの言葉に、男はゆっくりと微笑み口を開いた。
「死にそうな者を放置する人間なんていないよ。…それに瀕死だった君がこうして目を覚ましたことは、奇跡とも言えるんだからね。僕らとしては君の口から言葉が聞けただけで助けてよかったと思ってる。本当に、よかった」
ーああ、何てことを忘れていたんだろう。と思う。世の腐敗を目の前にしてエンドブルムへと旅立ったついこの間の船旅で、優しき者たちの存在を、綺麗な心を持つ者を。
起こったことの全てがあまりにも残酷で、その優しい言葉がひとつひとつ、すべての細胞に渡るように染みてしまう。
「……ほんと……に、ありがとう……ありがとう…」
心の中の何かが溶けたように、溜まっていた全てが「もういいんだよ」、と言われたかのように弾けた。
(あ…)
掌に落ちてくるこれは。
(涙が出たのなんて…あの時以来…だ)
「わわわっ…隊長、何やってるんですか。少年、泣いちゃったじゃないですかぁ!」
慌てたように両腕をぶんぶんと震わせるメリリーが、滲んだ視界に微かに写る。
「………君、名前は?」
「ちょ、ちょっと隊長…こんなときに…」
「………ロジェ。ロジェ・ヴァンタレイ…」
「ロジェ…か。君にぴったりの良い名だ」
その言葉を聞いた後のことは殆ど覚えていない。ただ涙の余韻に浸かりながらその場を動けずにいた。
その間、二人はロジェが落ち着きを戻すまでずっと側に言葉なく寄り添ってくれていた。
「ロジェ、少しは気分が落ち着いたかい?」
「…ああ、もう、大丈夫。…なんて言うか、悪かった。初めて会う人間なのにいきなりその、泣いたりとかして…」
つい先ほどまで抑えの効かなかった涙は嘘のように消え、昂った感情に収まりがついてようやく自分を取り戻す。
知らない者らを前にして、あれ以来の涙を安易に見せてしまったことに羞恥を覚えてしまうほどに。
「君が少しでも癒えたのなら、その涙は価値のあるものだった、と言えるんじゃないかな…僕らには、これからも君を"仲間"としてそうやって支えていく義務がある」
「………仲間って何だよ。…その、助けてもらったことには勿論感謝しかねぇけど、俺、仲間になった覚えは…」
違和感しかない仲間という言葉に耳を疑う。
さも当たり前かのように紡ぐ男の心境は、ロジェには全く理解できなかった。
反対側で、メリリーと目を合わせても少し苦笑いしながら目を逸らされるだけ。
その沈黙を破ったのは、隊長とよばれる男。
「まず、君を助けた僕らの組織ー 僕たちのことを人はWSU(秘密特殊部隊)と呼ぶ。
-そして此処は、WSUである僕たちの要塞とも言える、いわゆる戦士秘密軍基地とよばれる場所だ」
「………は……⁇何、言って……」
(俺は、怪我で頭までイカれたのか……?)
思考がついていくのに、相当な時間を要したと思う。
今、この男は…何と言った?
(W-S-Uだって…⁇)
「そして、僕はWSU総隊長を務めているセルだ。まあ隊長といっても僕は…」
「ちょ、ちょっと待て待て!!」
思わず、身を乗り出しながら当然のような顔をしながら"WSU"と口にするセルの言葉を遮るように言葉を放つ。
「さっきから、何言ってるんだよ!…WSUって…何で俺がWSUと普通に話してるんだ!?…っつうか、お前ら本当にWSU……?いや待ってくれ、頭…ぐちゃぐちゃ…」
「ふふっ、君、叫んだり疑問ぶつけたり疲れたり…忙しい少年だなぁ〜。面白いねっ」
「う〜ん、まあ無理もないか…。現に驚いているのはこちらとしても同じだ。…本来ならば普通の人間を此処に入れる事自体禁忌とも言えることだからね…」
「ほ、本気でWSUだってのか………⁈」
「まあ、そうなるね。君が信じないとしても僕たちはWSUの隊員だ。難しいとは思うけど…とにかく今は僕のことを信じてみてほしい。君には…話さなくてはならないことがある。……それは恐らく君にとって大きな転機ともなり得ること。まずは僕の話を、落ち着いて聞いてほしい」
未だ驚きで身が震える状態で、セルというWSUの隊長を名乗る人物の瞳を見据える。
(あ……)
我にかえるには十分すぎるほどの瞳の真っ直ぐさに思わず背筋にぞくりとしたものが走った。彼の目は至って真剣で、嘘を吐いているようにも妄言を吐いているようにも見えない。
「………分かった。とにかく、その話ってのを聞かせてもらえねぇか」
「ロジェ…うん、ありがとう」
途端に変わる瞳の暖かさ。今度は小さな炎が瞳の中で揺らめくような穏やかさを映す。
この男の瞳にはまるで別人かのように印象を取り替える強さがある。
どの瞳さえ、人を無意識に翻弄する。そんな力さえ感じられてしまった。
「まず、君がWSUの前基地であったエンドブルムの山道奥、翡翠の祠と呼ばれるあの洞窟付近で重傷状態で倒れているのを、僕が発見した。
直ぐに敵の有無を別の隊員と共に確認したんだけど…その時は既に姿を消した後だったらしい、痕跡すらも見当たらなかった。
残されていた唯一の手がかりといえるものは、君への傷跡から見られる弾丸痕からその者が魔銃使いか魔法陣を使った武具召喚を行う召喚士だということだけだったんだ」
「ま、待ってくれ。…俺の他に、もう一人同じくらいの歳の男…近くに倒れていなかったか…?」
心臓がとくん、と跳ねる。
「…?…いや、祠周辺は探索したはずだけど…倒れていたのは君しかいなかった。その倒れていたはずの少年というのは?」
「そ、そんな……………‼︎…俺の…俺の親友なんだ…」
此処で目覚めた時にカイがいなかったその時点で、嫌な予感はしていた。
「…‼︎それは…………ロジェ、その時に何があったんだい……そもそも、なぜ君たちはあの祠に近づいたりした?」
「……」
*
「つまり、少年たちはわたしたちWSUの秘密を探りたくて、噂のあった翡翠の祠に向かった。そこで謎の男に乗っ取られた親友くんが牙を剥き、少年は魔弾でやられて彼はもぬけの殻…っていうわけかぁ」
「…ああ。だから…カイの身体だけは残ったはずだったんだ…なのに…なんで俺だけ残ったんだ⁈」
「………考えられるとすれば、敵が彼を乗っ取った後は器となる彼の身体は消滅するカラクリになっているのか…あるいは、何らかの理由があって彼を連れ去ったか、なんてことも考えられる」
「…?!なんだと……!」
「ええっ⁉︎でも隊長、何のために、そんなことをするんです………?たぶん、その敵ってルシフェニアの可能性が高いですよね…?
私たちの誰かをそのまま連れ帰るなら尋問なり利用するなりできますけど、その親友くんは魔法が使えるとは言え一般市民です…
ルシフェニアにとって利益になるものが…あるとは考えにくい気がするんですが…」
「……ルシフェニア…?」
「…僕らの敵のことだ。もちろん、WOORINEAS全体にとっても、敵。
だけど僕たちでさえ、奴らの動向や目的、組織の全体はまだ殆ど分かっていない。だがルシフェニアがこの世界を滅ぼそうとしていることだけは、明確なんだ。WSUが存在する理由も、奴らに対抗するためと言える。
……だけど、メリリーの言う通り…ロジェと同じ一般の市民を殺さず連れ去る理由など…奴らにはないはずであることは確かなんだ。…何を考えているんだ…ルシフェニアの連中は…………」
「ってことは、よ……やっぱりカイはあいつの術で身体を奪われて…そのまま…消えちまったってのか……………?」
拳を、血の滲むほどに強く握りしめる。
足りない。自分の力では足りないほどに全身に力が入る。
身体を巡る血が沸騰するように、怒りが沸々とわいてくる。
「……わからない。だが、ロジェ。
聞くがこの先どうするつもりなのかな」
「え……」
「君が選べる選択肢は、ふたつだ」
「な…どういう、ことだよ…」
セルの眼が、捕らえて離さないとでも言うかのように真っ直ぐロジェを見ている。
(ああ…またこの瞳…だ。)
「WSUに一生を捧げるか、今この場で…殺されるかだ」
「………は?」
瞬間、セルの眼をふと見る。
瞳は揺らいだりなんかしていなかった。
「な、何言って……」
「…君は、僕たちWSUの機密を知った。
基地の在り処や隊員の顏、さらにはルシフェニアの敵将に直接会ってしまった可能性さえ否定することができない。
…僕たちは、残念ながら君を元の場所に帰すことは…できない。
君は機密保護のため、WSUにこのまま身を置くことで協力者となるか……それができないと言うのなら、僕は君を…WSUの責任者として殺さなければならなくなるんだ」
「ま、待ってくれよ……!だったら…だったら、何で俺を助けた…?!何で俺にWSUのことを話したりした…⁉︎」
命を救ってもらった身で、何故助けたのかを問うのは誤りだとは分かっていた。
それでも、信用しかけていたこの男の瞳。
それが今のこの一言のためだったのかとさえ疑ってしまう、そんな自分に憎悪を感じる。
「……僕は、本当は君を助ける時…迷ってしまったんだ。消えかけの命を目の前にしながら、此処で助けたとしても、もしかすると後々この少年の命を奪うのは僕自身になってしまうかもしれない、と…。助けて基地に受け入れることはすなわち、WSUに引き入れる覚悟を意味する。そしてもし君がそれを拒めば、僕が君を…殺さなくてはならない。
ー それでも、僕は…」
「…!!」
(ああ…俺、なんて…醜いんだ)
この男は、全て分かっていたんだ。
それでも尚……傷ついたロジェを見捨てて此処に戻ることが、できなかった。
もしそうしなければ、心に傷を負ったまま今を過ごしていたのは、セルだったはず。
「それなのに………俺は馬鹿だな…」
「ロジェ……?」
その心優しい者に、自分の命をー
取らせてたまるか。
「なあ、俺を…WSUに、入れてくれ」