裏切りの代償
セントゲイト奪還作戦から二日。ほとんどが移動に費やした時間だ。
「ここは静かで落ち着く」
真っ先に来たのがここ。城の一角にある庭園だ。まだ日が高いというのに誰も寛いでいる人はいない。
だけど不意に……
「……紅月様」
どうしてこの場所がわかったんだろう。
見なくてもわかる。その声だけで誰なのか。
リーズは、座り込み、泉を眺めている僕の背後にいる。
「…………」
応える気にはなれない。
リーズも何も言わない。
ただ黙って立っている。
沈黙が痛い。
あの夜のことを謝りたいのだろうか。
それならもういいのに。納得はしてないけど、とやかく言っても仕方ない。
だから……
「……大丈夫ですか」
「……何が?」
予想外の言葉につい、返事をしてしまった。
「その……セントゲイトで」
嬉しそうな声色。多分今彼女は笑顔なんだろう。それでいて、泣きそうなんだろう。
「大丈夫だよ」
そう、大丈夫。あれだけの人間を殺したところで僕の心は何も感じはしない。
当の昔に、僕の心は死んでしまっているのだから。
「大丈夫だよ」
知られてはいけない。何故かはわからない。でも僕の身体は勝手に、出来るだけ明るい口調で、そして振り返り、笑顔で言った。
それなのに、何で君はそんな泣きそうな顔をしているのかな。
「……」
何か言ってよ。
「……」
ねえ……
「紅ちゃーーん」
扉が勢いよく開いた。猛スピードで駆けてくるのは水姉で……
「水姉、苦しいよ」
全力で抱き締めてくる。
「紅ちゃん、どこもけがしてない? 痛いところはない? 怖いことなかった?」
水姉も僕が沢山人間を殺したことを告げられたんだ。
だからこうして無理にでも明るくしているのかな。
「大丈夫だよ、水姉。僕はどこもけがしてないし、怖くもなかったよ」
「心配だったんだから真っ先にわたしに会いに来てよ」
「……ごめん」
「いいよ。許す。だから今日は一緒にお姉ちゃんと寝ようね」
それは勘弁してほしいけど……
心配かけたんだし……
「……今日だけだよ」
満面の笑み。それから一変して……
「で、お姫様はわたしの紅ちゃんに何の様かしら?」
冷たい眼差しで睥睨する。
リーズは何も言わない。ただ少し、目を逸らした。
すると水姉は勝ち誇ったような笑みを浮かべ……
「せっかくの家族水入らずの時間を邪魔しないでください」
家族、という言葉を強調して言った。
家族、その言葉を聞くとリーズは悲しそうに目を伏せて……
「……ごめんなさい。わたしはこれで……」
リーズは背を翻して立ち去った。
これでいい。
今はこれで……
でも、どうしてこんなに胸が痛いのだろ。
それから三日、僕とリーズの微妙な距離感は消えることなく、むしろ水姉が介入してきて以来、余計ややこしくなっていた。
だけど今はそんなこと考えている暇はない。
「困ったな……」
非常にまずいことになっている。
「何か言いましたか?」
「…‥いいや」
僕の前を歩いているアリサが振り返ってくる。相変わらずの無表情で。
「そうですか」
そしてまた歩き始めた。
どこに向かっているのかというと、それは知らない。何故か唐突にアリサが着いてきてください、と言って僕を連れだしたから。
だけど誰が待っているのかは知っている。
まさかもう一度会うとは思っていなかっただけに、非常に困っているんだ。
そんなことを考えている間に、アリサが立ち止った。
「此方です。お入りください」
あ~あ、厭な気配がするなあ……
覚悟を決めて中に入れば、待っていたのはフードを間深く被った、様々な魔法具を付けた老婆だ。
小さな部屋の中央に置かれたイスと机。儀式でも行われそうな、薄暗く、不気味な部屋だった。
「ヒッヒッヒ。主が二人目の勇者さまじゃな」
二人目、ということは水姉はもうこいつとの邂逅は済んだということか。
椅子に座り、この占い師と対面する。
相変わらず気味の悪い老婆だ。
ローブから覗く、生気の抜け落ちくすんだ灰色の肌。木乃伊と見紛うほど萎えた肉体。
こいつを怪物と言わずに何て呼ぶ。
「さあ、主の未来。覗かせよ」
老婆は振るえる右腕を持ち上げ、枯れ枝のような指で右手の黒色の包帯のような魔布を解いていく。
「ヒッヒッヒ」
愉快そうに笑うその貌は、まるで人間らしい愛嬌など感じられない。
嫌悪感しか感じなかった。
右手のひらが陰唇のようにぱっくりと縦に割れていた。
相変わらず気色悪い。
ぬめり、とゆっくり開いていく。まるで目覚める様に……
中にいたそれと目が合う。
中にいたそれと目が合う。
悪寒や嫌悪といった悪いものが全身を駆け抜ける。
「ヒッヒッヒ。おお、お主の未来が見える、見えるぞ」
僕を見つめてくる、紫の眼。そして木乃伊のような肉体と違い、まるで別の存在のような若く瑞々しい女性の右手。
未来を見る、何て神にも等しい奇跡を人間が行う。ましてその魔眼の保持者でもない者が。
あの老婆は、右手に魔眼を移植し未来を見ている。
その代償として、老婆は時を奪われた。光を奪われた。
身体が朽ちるぎりぎりの時間を停滞と言っていいほど遅延させている。
いつ朽ちるかもわからない、悠久の時を過ごす、あの腐りかけの肉で。
それが代償。得たものは未来眼、永遠の苦痛を伴いながら。
だけど、見えるのは一瞬の未来。絶対不変の未来。
なんて魔女が説明していたな。
「ヒヒ。主は実に珍しいを見せてくれたのぅ」
血走っていた紫の瞳は、少し色を失っていた。
力無く眼が閉じられる。右手に魔布が巻かれる。
「主は無数の選択肢を選ぶことが許されている」
少し驚いた。
未来は無数の選択肢の結果、と考えられているが実は違う。
ほとんどの生き物に選択肢など与えられていないらしい。選択したと思っている行為は、どれも全て必然。
そうなるべくしてそうなる。
稀に選択肢を与えられたもの──ようするに主人公──はいるらしいけど、二つか三つが限度らしい。
これもまた魔女が昔教えてくれた。
まさか僕、がねえ。
主人公らしくない僕が……
「そして、主は歪ませる。以上じゃ。ほれ、帰った帰った」
部屋を出ると待ち構えていたのはアリサ。何がそんなに不満なのか、相変わらず無表情だ。
「お疲れ様です」
「ありがと」
「ではこれからどうなさいますか?」
どうと言われても哀しいことに予定がない。
それに少し疲れた。
「部屋で少し休むよ」
それから部屋に帰り、寝る準備を終えた。
「では何かありましたらお呼びください」
そういって、ベッドで横になっている僕を一瞥してからアリサは部屋を出ていこうとして……
「あ、そういえば」
何か思い出したように……
「最近面白い噂を聞いたんですよ」
面白いっていう割には無表情だけれども。
それでも少し興味を引いた。あの無表情なアリサが面白いっていうのだから。
「どんな?」
「それはですね。姫様が──────」
僕の目の前が真っ暗になった。
『勇者よ、何故闘う? 何故我を滅ぼす?』
『あのヒトの笑顔を見たいからだ』
『フハハハ。笑わせる。貴様も識っているはずだ』
『……黙れ』
『穢れた王族の姫に刻まれた呪い。貴様も気付いておるだろう?』
『……ああ』
『それでも貴様は──』
『──ああ。それでも僕はあのヒトが好きだ。他の誰でもない、あのヒトだから僕は命を削れる。
例えそれが誑かされた結果だとしても大いに結構。僕はあのヒトが大好きだ』
『……哀しいな、勇者よ。我を殺したその先も解っているのだろう?』
『憐れむなよ』
『無理を言うな。今にも泣きそうな顔をしおって……』
『……殺しに来た相手の頭を撫でるなよ』
『我とて最後に誰かと触れ合いたいと思う』
『…………』
『さて……ではぼちぼち殺し合うとしようか』
『……うん』
『我が名はギルバート・フォン・デュランダル。しかとこの名を刻み込め、我を殺す者よ』
『……十六夜紅月』
『フハハハハ。推して参る』
そうだったよな……
僕はあのヒトの為に……
なあ、魔王……
あのヒトを騙ったアイツらを許して良い訳ないよな。
僕は立ち上がる。
アリサに言われたことで悩んでいたけど、覚悟は決まった。
思い出したから。
魔王との約束を……
「姫様に会いに行こう」
姫様が何者なのかを確かめないと。
今はだいたい夕方だろう。
なら姫様はあの庭園にいるはずだ。
水面に反射する夕陽がきらきらして綺麗とか言っていたし。
他に人もいないだろう。姫様は一人が好き、というよりあまり他人と関わろうとしていない節がある。
そして僕は部屋を出た。
後になって知ったことだけど、これも未来を決める選択肢の一つだった。
……いた。
裸足で水と戯れている姫様。
「……姫様」
すると驚いたように振り返り、
「こっ紅月様!?」
そして満面の笑みを浮かべた。
「どうかしたのですか?」
「姫様に会いたくてね」
少し、間をおいてぼん、と顔が真っ赤に染まった。
「え、ええーーー!?」
嬉しそうに狼狽えるなよ。
その顔で笑うなよ。
お前が……お前のような紛い物がリーズを、騙るなッッ!!
「光裂く闇色の剣」
右手に奇跡が集う。
右手に奇跡が集う。
その色は真っ暗な闇。
全て呑み込む深淵。
そして僕は姫様を斬り裂いた。
僕の世界が変わる。
僕が感じていた世界が変わる。
偽りから解放されたこの皮膚感覚。
これが正しい、正常な認識。
確かな手応えと共に、僕は姫様から離れた。
そこにいたのは感情のかけらも感じられない人形のような姫様。
斬られたというのに、彼女は何も反応しない。
『姫様はホムンクルスらしいですよ』
アリサの噂通りだった。
ホムンクルス、それはヒトの手により造られた生命体。
それは神の御業に等しく、人の身に余る、奇跡。故に完全ではない。
彼、彼女らには感情が与えられなかった。
だから今まで見ていた姫様は、感情豊かで、あのヒトを思い起こさせた姫様は、幻覚だったんだろう。
僕が望む幻想を見せ続けていたんだろう。
それが姫様の存在証明であり存在理由。
悲しい哀しい、マリオネット。
それが姫様と呼んでいたものの正体だった。
勇者をたぶらかすためだけに作られた哀れな土塊だった。
怒りがふつふつと湧き上がる。
「……ふざけるなよ」
あのヒトを騙り、僕の気持ちを踏み躙った。
あのヒトを利用して、一体どれだけ僕を騙せば済むんだ。
……壊そう、何もかも。
この国全て破壊しよう。
怒りに呑まれそうになるが、まだ僕には理性が残っていた。
まずはあの魔法陣からだ。また無理矢理召帰させられたら堪らない。
そうと決まれば行動だ。
闇色の剣から白色の光剣へ。
「覚めることの無い夢幻の崩壊を確認」
美しい人形が何かを言った。ということは僕が幻覚を解いたことがバレたな。
……急がないと。どういうわけかこの国には異様に強い奴らが多いからな。
そして地面に向けて僕は光の剣を振るった。ぱっくりと裂けた大穴から飛び降りた。
あの魔法陣は城の中枢にある。このまま斬り裂いていけばたどり着けるだろうが……
城中から悲鳴と怒号が響き渡っている。
『いたぞー! あそこだ』
兵士の一人が僕を指差して叫ぶ。するとわらわらと兵士たちが集まり、僕目掛けて突進してくるが……
「邪魔だ」
光剣を一閃。斬ったものは壁。今は時間を無駄にしたくない。
斬り裂いた壁から中に侵入。
漸くたどり着いた。
中央が他よりも少し高く造られた部屋。そこに魔法陣が刻まれている。
僕は中央に飛び乗り……
「黄金色の翼を持つ刃金」
黄金の剣を突き刺した。
深々と刺さる刃。僕はそこから離れて……
「刃金の翼は天まで駆ける」
瞬間、強烈な光源が発生した。
僕は腰が砕けたように跪き、それを眺める。
光の柱は次第に細くなり、僅かな残滓を残して消えた。
「はは……これでもう僕は帰れない」
天井は大穴が開き、同じく床も消滅していた。
圧倒的な力を前に、兵士たちの誰もが口を閉じ、呼吸するのも忘れるほど、食い入るように僕を見ていた。
といっても背後からの視線でそう判断しているのだけれども。
今僕は隙だらけなのに……
どうでもいいや。
これで気がかりだったモノは消えた。あとは存分に復讐でもさせてもらおうかな。
立ち上がり、兵士たちを睨みつける。
すると面白いくらい、兵士たちは怯えを露にした。
右手に奇跡が集う。
光の剣が現れただけで、兵士たちは己が手に持つ武器を握る力が強くなっている。
無駄だとわかっているはずなのに……
「君たちには何の恨みはないけど……」
そう、一端の兵士たちは何も知らない。
「僕の八つ当たりに付き合ってもらうよ」
右足に力を籠め、一気に解放。
しようとしたが、立ち込める冷気が強制的に中断させた。
一番対峙したくなかった人が僕の前に来てしまった。
一瞬にして、部屋が氷の壁で閉ざされた。
ただ、氷に触れているだけなのに足元から凍っていく。
まさに魔氷。冥府にある冷たい氷の世界のようだった。
「紅ちゃん……」
「水姉……」
青色の刃を持つ大鎌を手に携えた水姉。酷く困惑していた。
「水姉……邪魔しないでよ」
「……どうしてこんなこと、するの?」
水姉、僕と一緒に行こうよ。こんな国から出て行って、魔王なんか忘れて」
だけど水姉は首を横に振る。酷く泣きそうな、悲しそうな顔で。
「……できないよ。わたしはここにいる人たちを見捨てることができない」
「そう……」
水姉は僕みたいに洗脳されていた。その証拠にこの国を裏切るようなことをしなかった。
まるで昔の僕みたいに……
「黄金色の翼を持つ刃金」
僕の右手に黄金の剣が……
「紅ちゃん!」
咎めるように僕の名が呼ばれた。
「……バイバイ、水姉」
僕はまた逃げ出した。氷の壁を斬り捨て、跳び、空を全力で駆けた。
遥か遠く遠く、城が見えた。
あ~あ、これからどうやって生きていこう。




