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日常と非日常

僕は帰ってきた。

鼻孔を擽る、排ガスに汚染された空気の香り。コンクリートで舗装された硬い地面。生物の気配が少ない住宅街。

そのどれもが僕の故郷に帰ってきたと五感に訴えかけてくる。


ああ、まったく変わっていない。


無論すべてが変わっていないわけではない。戦場で負った傷は残っているし、人間を辞めたチカラも健在だ。それに……。


僕は渡された指輪を握りしめた。壊さないように、そっと……。


「嫌でも思い出すじゃないか」


頬に雨が伝う。きっと雨が降ったに違いない。僕はあの世界がきらいだ。泣くわけない。泣くわけなんか……


暫くすると雨は止んだ。


指輪を捨てるか迷ったが、僕は人差し指に嵌めた。

僕はこれからのことについて考えてみることにした。


季節は多分夏だ。僕が異世界に行った時も夏だ。だから数日程度失踪した、だと良いんだけど。

代わり映えしていないから凄い未来に飛ばされたわけじゃないと思う。


「いくら考えても仕方ない。一度家に帰るか」


何日も失踪してないから父さん、母さん、姉さんあんまり心配してないといいな。


結果、僕は滅茶苦茶怒られた。滅茶苦茶泣かれた。

どうやら丸一年失踪していたようだった。

都合よく数日で済まなかった。


色々聞かれたけど記憶喪失のフリで何とかした。流石に異世界に行っていた、なんて言っても余計心配されるだけだし。


一応学校は何とか進学できた。高1の内容全く知らないけど何とか高2になれた。


めでたしめでたし。はぁ……こうして僕は夏休み、勉強漬けになった。

そして夏休みはあっという間に終わり、新学期が始まる。

走る走る走る。僕は人間が出せる平均的な速度で駆け抜ける。

何故かというと寝坊したからだ。


「はあ、はあ、遅刻する! 紅月の寝坊助、バカ野郎」


隣で喚く男、僕の幼馴染。成績優秀、スポーツ万能、圧倒的な美貌を持ち、尚且つ性格もいい。

僕なんかよりもずっと勇者らしい主人公のような奴だ。


「ごめんね、光輝君。わたしがちゃんと起こさなかったせいで」


僕の隣で謝る女。一つ上の姉、十六夜水月。

光輝と同じく完璧な女性だ。いや、ほんと僕は河川敷で拾われた子かもしれないと思ってしまうぐらいに。


そんなことを考えながら僕は走る。気持ち的には歩いているようだけれども。

まあ比較対象が、全力を出せば軽く音速を超えれるような人外なのが問題だけど。


「あっいえそんなつもりは……」

「無駄口叩いてないで早く走りなよ」

「誰のせいだよ!」


一生懸命走った甲斐あって何とか始業式には間に合った。流石に失踪していた人間が遅刻したら不味いからね。

学校にいる間、かなり好奇な視線に晒されたけどそれだけだった。

皆僕が何していたか気になるけど、僕記憶喪失だし、聞くに聞けないからね。

ホームルームが終わり、一人教室でぼんやりしていると────


「わっ!!」


背後を取られ、自然と僕の身体が動く。

右手にチカラが集まる。光が形を成し、光の剣となる。所謂ビームサーベルだ。そして僕は同時に────


「びっくりした。もうやめてよね光輝。僕は怖がりなんだから」


咄嗟にチカラを解除して事なきを得た。

本当に危なかった。いやマジで。神経質になり過ぎだ。僕は異世界で勇者なんかになってないんだから、背後を取られたくらいで全力で殺そうとする、そんな癖もない。だから勝手に動くな、僕の身体。


「ごめんごめん。紅が俺と同じ部活に入るって聞いたから迎えに来たんだ」


そうして僕は光輝に連れていかれる。

心地よい金属音。球が空を裂く音。青空を駆ける男たちの叫び。

光輝が入っている部活は野球部だ。僕はいまベンチで見学している。

何故こんなことになっているかというと、教師陣に僕の印象を良くするため、と担任が言っていた。

一年近く疾走していた、得体のしれない生徒だからだろう。


「おーい、紅。お前も打ってみないか? 俺が投げるから」


二年生ながらピッチャーで四番の主人公が僕を指名した。

そして僕は酷く悩む。

人外の僕が普通の人間に混じって野球をしていいのだろうか。自分で言って少し悲しくなるけど。


勇者、所謂それは必勝の存在。戦えば戦うほど、敵が強ければ強うほど、進化する生物。

もう一度言うけれど、魔王を無傷で屠った歴代最強と呼ばれた勇者が野球なんてしてもいいのだろうか。

全力でボールを投げればそれは砲弾と変わりなく、全力でバットを振れば衝撃波が巻き起こる。

人外兵器が野球なんてやっていいのだろうか。

手加減すればいい、だけど僕にはできない。


十六夜紅月の辞書には手加減などない。

それは彼が過ごしてきた環境がそう彼を改造してしまった。


何の知識もない、覚悟もない、そんな少年が置かれた血みどろの戦場。

考える暇があるなら殺す。そうしなければ生き残れないほど過酷で苛烈の命のやり取り。

だから十六夜紅月は心を殺し、己の前に立つ敵、魔物も人も殺してきた。故に手加減などない。常に全力全開、一撃必殺。細胞の隅々にまで刻まれた本能となってしまった。


「僕なんの用具もないから見学でいいよ」

「そっか。まあ制服だしな」


よかったよかった。人を殺さなくて。

人を殺すのはだめだもんね、この世界は。


日は傾き、世界は優しい夕焼け色に染まる。

部活が終わり、光輝と一緒に帰ろうとしたとき、逆光が差し込む校門で見知った人影を見つけた。


「水姉、何してるの?」

「紅ちゃんを待ってたの」


僕が失踪して以来、以前に増して過保護になってしまった姉がいた。


「部活あるから先に帰っててって言ったよ?」

「でも心配だもん。また紅ちゃんがいなくなっちゃったらわたし……」

「…………」


今にも泣きだしそう。瞳いっぱいに貯められた涙が溢れそうで、僕は罪悪感に駆られる。

そして僕は力一杯抱き締められた。もうどこにも行かないで、そんな気持ちが伝わってくる。


「水姉、僕はどこにも行かないよ」


僕も優しく抱き締め返す。僕はどこにも行かない。いや行けないんだ。

もうここしか僕の居場所がないのだから。


そうして一か月の月日はあっという間に流れ、僕は人間に擬態して、何とか人を殺さずに過ごしていた。

そして今日も僕は水姉と登校する。あと幼馴染の光輝とその取り巻き達と。


「紅月、なんだか雰囲気変わったな」


光輝がそういうと取り巻き達──といっても女が二人いるだけなのだが──は頷いた。


「どこが?」


精一杯勇者パワーを抑えている僕にとっては由々しき事態だ。


「全体的にスペックアップしてるかしら」


金髪の女、どこぞの社長令嬢でイギリス人とのハーフのユリアがそう言う。

あまり親しくない人間にそう思われるのでは、僕はまだまだ。

その意見には同意らしく皆頷き同意する。


生きるのと殺すのでいっぱいいっぱいで忘れていたよ。そういえばかつての僕はとっても非力だった。


「それに紅ちゃん、時々寂しそうに悲しい顔、してる」

「…………」


姉に言われ、ぎくりとなった。さすがは血のつながった姉だ。

僕はまだあの世界での出来事を引きずっている。未だに捨てられずにいる指輪がその証。

左手人差し指にある指輪に意識が向く。


「水月さん、よく紅月のことよく見てますね」

「わたしの大切な大切なひとだもん」


複雑な表情をする光輝。同時に殺意を感じ僕の身体が自然と反応する。

脊髄反射で右手にチカラが集まり、接近戦で愛用してきた光の剣が現れようとして、消えた。

修羅場の一つや二つ潜り抜けていない、命を奪ったこともない一般人の殺意に一々反応するな僕の身体。

本当に、身体に殺しが刷り込まれていて嫌になる。


こんなとこで殺したら服が汚れ、って違うだろ僕。ここでは人殺しは罪だ。そうだろ。


「ところで紅月君、いつも綺麗な指輪してない?」


黒髪の美少女、優奈の目線が指輪に釘付けになる。

シルバーリングに美しい装飾が彫り刻まれた指輪だ。流石は国宝級の代物だと思う。


「あ、それワタクシも思っていましたわ」


何だその物欲しそうな眼は?

此奴らは乞食かなにかか?


「これは誰にも渡さない。僕の、僕のモノだ」


いつもは内気だった僕が、こうも感情を表に出して拒絶したことに彼女らは驚いた。


「い、いえ。欲しいだなんて一言も」

「そ、そうだよ。ボクもそんなこと言ってないよ」


やっぱり此奴らは嫌いだな。肥えた豚貴族どもを思い出させる。

気まずい空気のまま、僕らは学校に着いた。光輝や取り巻き達とクラスが違うため僕は一人だ。


僕に割り当てられた席に座り、外を眺める。

こうしてぼーっと外を眺めれる席は本当に最適で、僕の好きな時間だ。

こうして外を眺めていれば余計なことを考えなくてすむ。


視線を感じる。


記憶喪失になって以来、僕は誰とも関わる気になれなかった。

それは一概に、人間というものが信用できなくなったから。

人間はいつだって裏切るし、他人を利用することしか考えていない。

そんなことは当たり前だと気付かされた。


だから拒絶し続けたというのに。それなのにこんな冴えない僕に何故、興味関心を抱くのだろう。

まあ、僕には関係ないか。


窓際から眺める景色は変わらず、彼方から悲鳴も断末魔も聞こえず、死の気配すらない。

ああ、本当に平和だ。


退屈な授業。人間、全力でやらなきゃつまらないと思う。


勇者パワーによって僕の肉体は強化された。それは筋肉や骨だけでなく、脳髄も例外ではなかった。

瞬間記憶能力やスーパーコンピューター並の演算能力がある僕には酷く退屈だった。


昼休み。


光輝たちがやってくる。


「あれ紅月、弁当はどうしたんだ?」

「水姉が僕の分も持ってるから」

「ああ、そういえば水月さん、遅いな」

「お昼休みですし、もしかしたら誰かに告白されてるんじゃないですか? それで今頃ムフフなことに」

「有り得るね。十六夜さん、学年一二を争うくらい美人だもん」

「先に食べてていいよ。僕は水姉を待ってるから」


僕はまた窓際から外を眺めることにした。

その時、僕はどうしようもない程醜い、悪意を感じた。

僕を利用し、貶めようとした豚どもと同じ醜悪でどす黒い欲望を感じた。

酷く不愉快だ。不快だ。

だから僕は外の景色を眺めていた。

気持ちを紛らわせるために。


校庭に僕の待ち人を見つけた。

何をしているのだろう。

僕の人外の視力は水姉が何か紙切れを持っているのを視止めた。

その内容も無論、僕はしっかりと読めた。だから僕は慌てて立ち上がり────

水姉はそのまま校庭から校門に行き、辺りを見回していると、猛烈な勢いでライトバンが水姉の傍に急停車。勢いよくスライド式のドアが開く。そこから伸びた手は水姉を掴み引きずり込む。乱暴にドアが閉まる。猛烈な勢いで車は発進した。

────僕は窓から飛び降りた。


窓ガラスが割れる。背後から悲鳴。高さは三階。僕は体勢を整え、衝撃に備える。

着地まで三、二、一。

僕は勢いを殺さず、強く大地を蹴る。校庭にも人がいて、僕の飛び降りを見ていた人も多数。悲鳴が僕の背後から巻き起こる。

校門を出て、急停止。


視線の先にライトバンはなし。


100m先に六階建てのマンションがある。僕はその屋上までジャンプ。

高所から捜索し、発見。

ライトバンはどうやら山の方に向かっている。

人を攫ったなら次は人気のない場所に行くはずだ。

確かあっちには廃工場がある。

僕は屋上から飛び降り、ライトバンを追いかけた。

人気のない廃工場。近くにライトバンもある。

気付かれないように距離を開けていたからすこし遅れたのが気がかりだ。


錆びついた鉄製の扉。開けられた形跡、あり。

開けようとしたが開かない。内側からカギが掛けられているのだろう。なら壊すまでだ。

人外のチカラで殴りつける。

豪快な破壊音。吹き飛ぶ扉。中にいた男たちは何事かと、驚愕の面持ちでこちらを見る。


その傍らには目隠しに猿轡をされ、ブラジャーにスカート姿の水姉。

あの時の光景がフラッシュバックする。


「殺してやるッッ…………!」


一歩で距離を詰め、全力の右ストレートを男の顔面に撃ち込んだ。

僕のような人外が全力で殴れば理不尽な現実が実現する。

男の身体はそのままに、頭部だけ爆ぜる。

飛び散る肉片と脳漿。

ただの肉塊と成り果てたそれは、紅い鮮血を噴水よろしくまき散らしていた。

吐き気を催す臓物臭。周囲は血の海。沈む肉片。


「あとはお前だけだ」


残された男は震える腕で、しがみ付く様にハンドガンを握る。

揺れる銃口。引き金が絞られ、吼える。


「無駄だって」


銃弾は僕の額に当たり跳弾した。


「ヒッ……! ば、化け物」


怯える男。瞳は恐怖に染まっている。


「いい加減誰の差し金か、教えてくれないか?」


僕がにっこりとほほ笑むと男は悲鳴を上げ、折れた両足を引きずりながら後ずさる。

傷つくな。向こうでも確かこんな風に怯えられたっけ。

僕は逃げる男の右手を掴む。


「教えてくれないかな?」


それでも男は首を縦には振らない。だから僕は少しずつ力を籠めていく。


「やめ、い、いやだ、やめてくれぇぇぇぇぇぇぇえ」


骨の砕ける音。男の絶叫。それでも僕は嫌悪感を感じなかった。

それから拷問を続けたらようやく犯人を吐いてくれた。予想していた、というより半ば確信していた人物が黒幕だった。


用済みとなった、痛みにすすり泣く男の首をもぎ取り、水姉を持ち上げた。


「ッ!! ~~~~ッ!?」

「安心して、僕だよ。紅月」

「…………」


僕は廃工場から出た。流石にあんな惨劇を水姉に見せられない。一生もののトラウマになりかねない、これで男性不信になってないといいんだけど。


僕は目隠しを外した。目と目が合い、僕の胸がずきりと痛んだ。深い色をした黒の瞳。色は違うけど確か彼女もこんな深い目をしていたな。

そんなことを考えていると思いっきり抱き締められた。声を上げた泣く水姉の背中を摩りながら僕は痛感した。


本当に僕は心が弱い。まだ彼女のことが忘れられないなんて……別れがこんなにもつらいなら僕はもう誰も愛したくない。そう思うほど、この胸の痛みは、なによりも痛かった。


「紅ちゃん、これ……」


水姉の身体がべっとりと血に汚れていた。あれだけ返り血を浴びた僕に抱き着けばそうなる。

水姉の瞳に恐怖が宿る。


「紅ちゃん、あの人たち、殺したの?」


嫌われたかな、いや怯えられているな。


「殺したよ」

「…………ッ!?」


あ~あ、嫌われたな。水姉には嫌われたくなかったな。


「僕が怖い?」


僕は水姉を剥がし、すこし距離を開け問う。感情の機微も見逃さないように目を見つめて。


「……ごめんね」


目を逸らされる、そう思っていたけど違った。最初に感じた怯えは消え、何か決意を感じる。


「わたしのせいで紅ちゃんの手を汚させてごめんね。紅ちゃんに辛い思いをさせてごめんね。わたしはずっと紅ちゃんの味方。だからね、紅ちゃん。そんな悲しそうな顔、しないで」


水姉の細くて長い綺麗な指が頬を撫でる。

じっとこちらを見つめてくる黒い瞳に吸い込まれそうになる。

ずきり、と胸が痛む。


「紅ちゃん」


目を逸らした僕を、水姉は抱き締めた。豊満な胸にうずまる。これならもう僕の顔、見られなくて済む。


「一年間、どこで何してたの?」


僕は答えられない。もしかしたら、水姉なら信じてくれるかもしれないけど。


「紅ちゃん、変わった。昔の紅ちゃんだと信じられないくらい変わった」

「…………」


確かに僕は変わった、変えられた。内面も、外面も。


「紅ちゃんが何を抱えているかわからないけど……いつか、いつの日かお姉ちゃんに打ち明けてくれたらうれしいな」


僕は立ち上がり、告げた。


「水姉、僕はこれから人を殺しに行く」


悲しみに歪む美しい顔。


「これ以上僕の手を汚すな、何て言わないでね。僕の手はもう拭いようがないくらい紅く汚れているから」


僕は僕の意思で命を奪ってきた。そしてこれからも……


「……これだけは約束して」


決意した黒の眼差し。

そんな目で僕を見ないでくれ。

僕の脳裏であの時の彼女の姿と被る。


「わたしのところに帰ってきてね。絶対だよ」


僕は駆け出していた。これ以上彼女の目を見ていられなかったから。

胸が痛い……

早く忘れたい。なのに忘れたくない。忘れられない。彼女への想いはとても大切な宝物だった。


僕は水姉を酷い目に合わせた張本人がいる場所へ来た。

豪勢な門。その奥に控える巨大な建造物。見るからに金持ちであることをひけらかしている。

ここに来た理由は無論、殺すためだ。世界有数の企業の社長の娘、ユリアを。

実はいうとこの会社、裏では欧州で一二を争うマフィアであったりする。

だけど人外兵器である僕には関係ない。


右足に力を籠め、振り抜いた。

巨大な門は漫画の様に吹き飛び、同時にけたたましい警戒音が鳴り響く。

構わず僕は歩き続ける。


漸くこの建造物の入り口に着いた。僕はただドアを開ける、なんてことはしない。

中から感じる複数の殺気。要は待ち伏せ。だから僕はドアを思いっきり殴りつけた。

くの字に折れ曲がったドアが吹き飛ぶ。中からは悲鳴と銃声。


僕は吹き飛ばされたドアを追い、中に侵入した。

静寂に包まれたエントランスには、明かりは天井の格子状の窓から差し込む月明かりのみ。待ち伏せするのなら電気を消すのは妥当だ。

だが人外の視界は的確に、昼間以上の明るさで室内の構造を捉える。


二階の通路部分から伸びる渡り廊下がアーチを作り、その奥にはハの字にテラスへと続く階段が置かれ、その奥には大きな扉が見えた。

左右の階段にそれぞれ五人。左柱の陰に一人、右奥の柱に二人。


僕は落ちていた砕けた石を投げた。

カーン、と響き渡る。瞬間、赤い光点が床や壁を一斉に舐めるように動き、音へと走っていく。

陰から突き出された機銃の轟音と激しいマズルフラッシュの光がエントランスに光と影を作る出す。


隊長らしき男が右腕を上げる。一斉に機銃の音が止み、静寂が戻った。

床一面が固まった溶岩のように歪な穴だらけになっていた。

だが標的とされた僕は彼らが視認できない速度で駆ける。

暗視装置の付いた男たちの視界から少年の姿が消えた。標的を探す。


壁際。柱の陰。渡り廊下の陰。


隊長のもとに次々と無線でクリアの報告が飛び込む。

どこか──。


ある男の背後に死が舞い降りる。

気付いた男が素早く振り向き、アサルトライフルを構えるが、巌の如き縦拳が胸を撃つ。

飛び散る血飛沫の音と男の絶叫がエントランスに響き渡る。

一斉に赤い光点が集う。だが逃げる必要などない。

轟音とフラッシュと共に、雨霰の如く銃弾が飛来する。


それを真っ向から受けながら、一人、また一人命を奪っていく。

手刀が喉を突き、掌底が胸を叩く。蹴り足が顎を捉え、拳が頭蓋を砕く。

まさに一撃必殺。ものの数分で男たちは全滅した。僕は天井を睨みつけ、対象の気配を探す。二階には複数の殺意、三階にそれ以上の数。まるで何かを守るために置かれた配置だ。


そして見つけた。最上階にいた。

ヘリコプターのローター音が、僕の壊した入口から飛び込んできた。

絶対に逃がさない。

僕は外に飛び出した。


雄大な屋敷の頂上、高さ20mもない。余裕をもって僕が飛び越えれる高さだ。

少し屈み、僕は垂直跳びで屋上に飛び移った。

そして見つけた。

ヘリコプター、それに乗り込む二人の人間。ユリアとその父。

驚愕に歪む二人を余所に、僕は距離を詰め、父親から殺した。

千切れ跳ぶ頭部。涙交じりの悲鳴。僕はヘリコプターを屋上から投げ捨てた。

残された二人。僕はユリアに問う。


「なんで水姉に手を出した」


歪む端整な顔。恐怖と屈辱と嫉妬。まるで水姉を憎悪し抜いたような顔。


「…………」


されどユリアは沈黙。それでも僕はだいたい予想できている。


「水姉が邪魔だったんだろ? アイツが、光輝が水姉に惚れているからお前にとっては心底邪魔な存在だったんだろう?」

「うるさいうるさいうるさい! あなたなんかに私の気持ちがわかりますか? 分かるわけありません。あなたみたいな化け物にわかってたまるものですか!?」


納得した。僕が化け物だと分かったからこうして逃げようとしていたのか。


「知らないし知る気もない。もういい、お前、もうしゃべるな」


予想通りの人間性。肥えた豚どもと同じ、醜悪すぎる悪意。

僕はこの女を殺した。そして屋敷にいる人間も全て壊した。


あ~あ、やっぱり僕はこの世界で生きにくい。


帰宅、僕は玄関で水姉に抱き締められた。それはもう唐突で、思いっきり。

父さんや母さんにどんな説明をしたのか知らないけど、僕は何も聞かれなかった。

わからない、どうして人外な僕を受け入れてくれるのだろう。どうして水姉は殺人鬼に優しくしてくれるのだろう。


……わからない。


風呂上り、僕は自室のベッドで悩む。優しく枕は僕の頭を支えてくれる。

悩む悩む悩む。


不意に人の気配。ドアがノックされ、僕の了承もなく開けられた。


「紅ちゃん、ちょっと……いい」

「……うん」


僕は顔を上げずに答えた。ベッドが重みで軋む。触れ合い、温もりが伝わる。

わざわざ近くに座らなくていいのに…………。

少し僕は悲しくなった。嫌でもわかってしまうから。僕の気持ちが。遠くで鈴虫が鳴く。もう秋だ。改めて過ぎた月日を自覚させられた。


「水姉……用は何?」


あれからずっと沈黙。思い悩んだような、迷いに戸惑う、そんな顔。

僕は体勢を変え、ベッドの上に座る。


「紅ちゃん…………」


水姉が重い口を開いた。まるでこれから何か深刻なことを告げるように、覚悟を決めた面持ち。

僕も覚悟する。

彼女にどんな罵詈雑言が浴びせられてもたえれるように

そして────


「一緒に寝ても、いい?」


────僕は盛大にずっこけた。


「あれだけ深刻そうな顔して、そんなことかい!! しかも今言うこと!?」

「だ、だって一人じゃ寝れないんだもん。あんなことがあったんだから一人は怖い……」


うっ、平気そうだったから油断してた。そうだよな。トラウマにもなるよな。でも────


「昔は一緒に寝てたじゃない」

「良い年した男女が一緒に寝るのは恥ずかしいよ」

「中三まで一緒だったのに?」


結局、僕は折れた。いつも僕は丸め込まれる。翌朝、僕は一人で登校する。水姉は心身衰弱とかいって休学し、いつも玄関先で待っている光輝はなぜかいなかった。


少し、学校に行くのが憂鬱だ。

教室、いつもと変わらない風景。ちらりと僕に視線を送るがすぐに外される。

おかしい。だが、クラスメートの反応の意味を考える前に……。


「何故君が僕の席に座っている?」


名前を知らないクラスメートがいた。


「ここからの景色が気になってね」


女だ。黒髪で、形の変わった髪飾りを付けた。

誰だ、こいつ。こんな人間、いたか?

訝しげにこの女を見ていると、女は立ち上がり、


「阿久野マオだ。よろしく、十六夜紅月君」


女はそれだけ言い、教室から出て行った。

何だったんだ? あの視線、どこかで…………。

どこかで会ったことがあるのだろうか。


それから担任が来て、ユリアの死が告げられた。あれだけ大々的に暴れたせいで、連日マスコミも騒いでいるし、彼女の死はみんな知っていた。

が、それでも改めて言われれば彼女の死を実感する。

クラスメートたちが泣く。それなりに彼女は慕われていたから。

憂鬱とした時間が流れた。


昼休み、暗い表情をした光輝と優奈が来た。


「ユリアにお別れすら言えないんだ」


沈黙の昼食を取っていると、唐突に光輝が言い放った。

ユリアの葬式はイタリアにいる親族だけでしめやかに行われるらしい。


「そう、残念だね」


チャイムが鳴る。これで昼休みは終わる。光輝たちが帰っていく。

また、視線を感じた。

一体、僕に何の用があるのだろう。放課後、それは僕を待ち受けていた。


授業が終わり、帰ろうとする僕の前に立ち塞がる女。


「何の用?」

「少し君と話したくてね」


阿久野マオ。何かいたずらでも思いついたかのような無邪気な笑顔で僕の手を取る。


「僕に拒否権はないの?」

「ない。さあ行こう、十六夜紅月」


強引に立たされ、僕は連れて行かされた。


「いい加減手を放して」

「ん」


潔く手を放してくれた。


「何だ、女子と手をつなぐのが恥ずかしくなったのか?」


無邪気な笑顔。一体この女は何がしたい?


「…………」

「無視は傷つくな。まっいいや。これから存分に語り合うしね」


僕は阿久野マオの家に招待された。マンションの一室。こざっぱりとした部屋、必要最低限なものしかなく、女性特有の甘い匂いがする。


「適当なところに座ってくれ」


ベッドで寛ぎ始めたマオに促され、僕は床に座った。


「これで二人っきりだ。誰にも聞かれる心配なく、話せるね」


相変わらず意図の読めない笑み。


「君は一体何者なんだい?」


寝ころびながら、こちらに顔だけを向けるその仕草は、まるで猫のように見えた。


「君は三階から平然と飛び降りたというのに、誰もそれを覚えていない。まるで魔法にでもかかったようにね」


そう、僕も疑問に思ったこと。誰も僕を化け物を見るような目で見ない。

魔法を知っている僕にしてみれば、原因が魔法なら至極当然のように考えられるが、ここはファンタジーの世界じゃない。


「僕はそんな無茶、してないよ」


僕が普通に生きていくには、異常なチカラを隠さなければならない。人間という生き物は強大な力を持てば持つほど、恐怖し、忌み嫌い、近付かなくなるから。


「おかしいな。この目でしかと見たというのにね。まあいいよ、君がそうだというならそうなんだろう」


改めて、阿久野マオの真意がわからない。何が狙いだ。何が目的だ。


「もう帰ってもいい?」

「私としてはもう少し君との会話を楽しみたいね」


今度は起き上がり、ベッドの縁で足をぶらぶらとさせている。

相変わらず、その瞳からは何も窺い知れない。強いて言うなら、好奇心くらいだ。


「君はこの世界が好きかい?」

「…………」

「私は好きじゃない。こうも生ぬるい日常ばっかり、本当に退屈だ。いっそ異世界で魔王にでもなりたいくらいだね」


魔王。異世界で僕が殺した最後の生き物。まるで神か悪魔に愛された、異常なまでに整った顔を思い出す。


「私はね、夢を視るんだ。私が魔王で君が勇者。そして魔王らしく死ぬ、そんな夢」

「それで?」

「君に興味を持った。まるで勇者のように三階から飛び降りた君にね。まあ、本当は入学当初から君は気になっていたんだよ。ずっと見ていた夢の勇者にあまりにもそっくり過ぎるからね」


彼女は続ける。


「さあ? 僕はどこにでもいるただの凡人だよ」


ただ異世界で人をやめたけど。

僕の答えに納得していないのか、マオは不満そうに僕を見据える。

だけど僕からはもう何も言うことはない。


「もう僕は帰るよ。あまり遅いとまた水姉が泣くから」

「シスコン?」

「家族を大切にするのは当たり前だよ」


馬鹿にしたような視線で見つめてくるマオを睥睨し、僕は立ち上がった。


「じゃあね、十六夜紅月君。また明日」

「じゃあね」


変わったひとだ。普通あんなこと僕に言わないよ。厨二病ファンタジーな夢物語、それに出ていたという理由で僕に興味を持つなんて……

本当に変わったひとだ。

いつもより遅く家に帰り、僕は水姉に泣かれた。それから女の匂いがするなんて言われて、酷く大変だった。

今日も平和な一日は終わる。そして阿久野マオは行方不明となった。一か月の月日が流れた。流石に水姉も学校に行くようになり、光輝もユリアのことから立ち直っていた。


僕はというと部活はやめた。いつか本当にヒトを殺してしまいそうだったから。という理由もあるがどうしても僕は馴染めなかった。

命を殺めたことがある僕と汚れていない彼ら、馴染めるはずがなかった。


秋風が吹く。日も傾き、冷えてきた。少し足早に僕と水姉は帰宅しているその時、異変は起こった。


感じたのは全身の毛穴という毛穴が開いていく悪寒。

そして既視感。

世界に穴が穿たれ、世界が繋がる。

展開されるは魔法陣。僕の足元で光り輝くソレ。見間違えるはずがなかった。


僕を異世界に誘った、魔の法。


「紅ちゃん!!」


響く悲鳴。視界の端で水姉が僕に飛びついてきた。


「駄目、来ちゃ……」


間に合わず、僕と水姉は光に呑まれた。


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