死昏の魔女
僕を呼ぶ声が聞こえる。
起きなさい、もう朝よ、と。
起きてください、朝ですよ、と。
懐かしく、愛しい声を聴き目覚める。
「おはよう、コウ。寝過ぎよ」
「そうですよ。折角の朝ごはんが冷めてしまいます」
微笑む愛しい二人。メアにリーズ。その眩しいばかりの笑顔。僕は泣いていた。
「もう、何泣いているのよ」
「……悲しい夢を視たんだ。二人がいなくなっちゃう夢」
抱き締められる。頭を撫でられる。
「安心して、コウ。私たちはどこにも行かないわ」
「そうですよ。紅月さんを絶対ヒトリになんかさせません」
泣いた。止め処なく涙が溢れていく。識っているから。ふたりはもういなく、夢だと。
せめて夢の中だけでも、辛い現実を思い出させないでよ。
夢が崩れていく。霞んでいく。
「コウ、私たちはずっとそばにいるわ」
「だから、絶対に……」
暗転。皮膚感覚が現実だと告げる。目を開ける。見知った天井。
涙が止まらない。こんなことなら夢なんか見たくない。だから眠りたくなかったんだ。
起き上がり、周囲を見回す。僕の部屋だ。魔眼族の里にある僕の。
「おはようございます、紅月様。その、大丈夫ですか?」
「アリサか。大丈夫だよ。僕は大丈夫だ」
身体のきしみ具合から僕な長い間、寝ていたみたいだ。
「アリサ、僕は一体どれだけ寝ていた?」
「そうですね。私があなたを連れ帰ってからずっとですから……一か月くらいですね。良い夢は視れましたか?」
良い夢、ね。
「……悪夢だったよ」
決して叶わない願いを夢だというのなら、あれは悪い夢だよ。
夢は須らく醒め、否応なしに現実を認識させられる。
「おいっ紅月が起きたって本当か!?」
慌ただしく駆け込んできたのはヴェル。
「……おはよう」
僕は笑顔で。彼女は……
「お前……」
どこか憐れむような眼差しで、それでいて泣きそうな顔をしている。
「辛いなら辛いって言っていいんだぞ。泣きたいなら泣いていいんだぞ」
僕は泣きそうな顔をしているのか。痛々しいまでに。
「そうすれば、解決するならするよ」
また僕は笑顔で言うと、ヴェルは慌てて部屋から出て行った。僕に馬鹿野郎と言いながら。
「一体何がしたかったのかな?」
「……本当にわからないんですか?」
「…………」
わかるさ。僕が今どんな顔をしているかも。
僕に何があったのか知られていることも。
だけどそれは僕の問題だ。彼女たちに関係ない。
「アリサ、僕はしばらくここを離れるよ」
確かめないといけないことがあるから。
「はい。承知しております」
「そう。じゃあね」
予想していた。というより過去か未来でも視たのだろう。
僕は二階の窓から飛び出した。大気を蹴り、加速。
聞かなければいけないことがある。リーズが語った、魔女さんというのは一人しかいない。
僕とリーズと交友がある魔女。それは紫紺の魔女、メティス・S・ヘカテ。
何か知っている。
何故、リーズが水姉だったのか。
何故、リーズのホムンクルスがいるのか。
僕が駆け抜ける空はどこまでも青く澄み渡る。
僕の心はどんよりとした黒雲で覆われているというのに。
無性に壊したくなる。この世界、目に映る全てを。
数多の魔術結界を潜り抜け、いや全て斬り捨てて、数か月ぶりに僕はここにきた。
魔女の根城といってもそこは小さな民家だ。ただ地下に広大な空間があるのだが。
民家のドアを開ける。
「いらっしゃい。紅月、やはりあなたは面白いわ」
開口一番、そんなことを言ってくる。魔女は優雅に宙に浮く椅子に座り、足を組んでいた。
「僕は不愉快だ」
中に入る。すると強制的に扉が閉じられ、僕でも破壊できるか怪しい強力な結界が張られ、それを僕の眼が捉える。
妖しく、不敵にほほ笑む魔女。紫色をした髪はとても長く、瞳も髪よりも濃い紫色。
服装はというとゆったりとした寝間着のようで、実際ここから出る必要もないのだからそれが一番快適なんだろう。
「ここに来たということはあなた、ようやく私に解剖される気になったのね。ウフフ、待ってて。今すぐバラバラにする準備をするわ」
返事はしない。行動で示す。
僕の右手に奇跡が集う。
色は闇よりもなお深い深淵。全ての魔を断つ暗黒の刃。
「ウフフ。勇者とは絶えず進化する生き物。ほとほと正しいわね」
「答えろ魔女。何故リーズが水姉に化けていた?」
「あら。そのことを知っているということはあなた……」
魔女は嗤う。愚かな勇者を嘲笑うように。何も守れない勇者を蔑むように。
「彼女を殺したのね」
気が付けば僕は魔女に斬りかかっていた。
「ウフフ。私を恨むのはお門違いよ。全てはあなたが選択した結果。原因に多少関係していても、直接殺したのはあなたよ」
避けられた。まるで瞬間移動したかのように僕の背後にいた。
「説明しろ。お前は何を知っている?」
「そうね……あなたが聞きたいこと全て、と答えましょう」
僕は切っ先を魔女に向ける。
「その脅しは無効よ。あなたに私は殺せない」
「……舐めるなよ、絶対強化」
対象・十六夜紅月。
施行回数・無限数。
僕が強くなれた、最強と呼ばれる所以のチカラを発動。
右手に激痛。強化の代償。それは限界を超えると対象が崩壊する。
だが僕の身体はとうに限界を超えている。
強化に強化を重ねた結果、強化は歪み、狂化となった。魔女曰く、変質した。
僕の身体は無限に強化され、そのたびに歪んでいく。違う存在になっていく。
理由は不明。
「ウフフ。ああ、凄い。人間が人間をやめる瞬間だわ」
右手が痛い。劇薬を掛けられたように痛かった。
激痛のあまりチカラを強制解除。蹲る。
震える左手で黒の手袋を引きはがす。
「……くそ」
闇色に染まる右手。いやよく見ると肘まで染まっていた。
「フフ。あなたは一体どんな存在に変質していくのかしら?」
「どうでもいいよ、そんなの。僕は僕であれたらそれでいい」
嘘のように痛みはない。立ち上がり、チカラを発動。
奇跡が右手に集う。
奇跡が右手に集う。
その色は、不可思議な、闇でも光でもない色。絶望というものに色があるのならこんな色だろう、と僕は何の疑問もなく構える。
不思議と、このチカラの名前も頭を過る。だが使わない。ここで使うには危険すぎるチカラだ。
地を蹴り抜く。それは今までよりも遥かに速く、魔女に一切の行動もさせぬまま、僕は魔女を捕まえた。
魔女の首を掴み、地面に叩きつけた。
「答えろ、魔女。お前は何を識っている?」
「乱暴しないでほしいわ。まあいいでしょう。いいものを見せてもらえたのだから」
魔女は首元に刃を添えられているというのに涼しい顔で。
このチカラは例え不死だろう存在が希薄だろうとも切り殺すというのに。
魔女はまるで気にしていない。あたかも優位であるかのように語る。
語った結果、どうなるか容易に予想できるというのに。
「一言でいうならあなたと一緒にいるためよ」
「……僕と?」
「そう。大好きで愛しくて、世界を捨ててでもあなたの傍に居たかった」
でも、ならなんであの時、僕を止めてくれなかったのかな。
「だから彼女は決意した、失くしてから」
ああ、そっか。リーズも僕と一緒だったんだ。失くしてから気付く。
「もう一度会うために、彼女はこの世界を捨て、自由を捨て、時を捨て、世界を移動した。無論、大いなる対価を払い。対価は転生後の干渉禁止。解り易く言うなら彼女の意識は封印され仮の、十六夜水月という意識が主な人格となる」
それはただ見る事しか叶わない。自分とは違う人格が自分の思い人と過ごすときを眺めるしか許されない。それは何て辛いことなんだろう。
僕なら耐えられない。そこにいるのに触れ合えないなんて……
それ故に代償となりうるのだろう。世界は常に質量保存、等価交換だから。
「さらにもう一つ。消えた彼女を補完する存在を用意すること。これは何故か百年後と要求されたのだけど」
だからリーズのホムンクルスがいた。空いた穴を埋めるために。
「面白いことに彼女が死ぬ一歩前に人格が交代するようになっていたわね。これが対価の内容。これが真実よ。納得したかしら?」
「……一つ聞かせろ。誰が対価なんて要求した? お前か?」
魔女はにやりと含みを持たせた笑みで言い放った。
「世界よ」
「はっ?」
その答えは余りにも荒唐無稽で僕はからかわれたとしか思えない。けどこいつはそんな冗談を言うような人間じゃない。
「私でもそうやすやすと次元を超える術を持っていないわ。だから対価を払い、許可をもらった」
「何でそんなこと……」
「さあ? もしかしたらこの悲喜劇を望んでいるのかもしれないわね」
魔女は嗤う。
「どうだったかしら? 最愛のヒトの血の味は?」
「……ああもう死ねよ」
「殺しなさい。もう“この世界”での役目は終わったから」
そこまでいうなら、僕は殺す。否、もとより終わらせるつもりだった。
振り抜く。絶望色の刃持つ光剣を。
「くく、ああそうそう。人間を駆逐した魔王に会いに行きなさい。彼女、また堕ちたから。残念だったわね。あなたの労力は全て無駄だったわよ」
頭部と胴体を分かたれたはずなのに彼女は話し、そして話し終えたそのとき、一瞬で彼女は霧散した。
くそ。またこいつは僕に……
「ギルがどうしたって言うんだよッ!! どういうことなんだよ」
世界はいつも残酷だ。僕の大切なモノを奪っていく。理不尽に、非情に、冷酷に、容赦なく、慈悲もなく……




