僕の恋人はしずく様
やっと仙台のホテルへチェックインを済ませ、さっきまでぐーすか寝ていたおんぷはお酒が飲みたいと言って、眠たそうなすずるくんと、運転で疲れていると思うショウ様の部屋になだれ込んでいったのだった。
部屋割りはいつも、後から入った組の僕とユウヤ、すずるくんとショウ様、ローディーくんや、関係者とおんぷがペアになる。
ようやくシャワーにありついた僕とユウヤはヘドバンで痛い首にいたたたたとか言いつつ、ダブルサイズの部屋に一つのベッドでやっと横になったのだった。
「にゃー、くーるーみー」
「熱いよユウヤー。」
背中を向けて横になったのに、ユウヤはチビな僕を後ろから抱き込んでにゃーにゃー言ってるのだ。
もう…いい大人が…。
だけどそんないい大人のユウヤにだけ、僕は甘える。
それは話したとおり、僕らが付き合っているからだ。
「こっち向いてよー。」
ねえねえと腕を引っ張るユウヤに、僕は少し恥ずかしさも覚えながら顔を見せないようにユウヤの胸に飛び込んでいった。
「顔見せてよー。」
「やだ。」
猫なで声のこの男が、僕の嫌がることをしないのは知ってる。
でも僕はまだ女子高生にはかわりないのだ。
はずかしいのだ。
くっついてるだけで、嬉しいし、幸せなのだ。
「ねえ、こっち向いてよ。」
だけど。このいつもと違う低い声にはどうしても慣れなくて。
顔を上げる。
「ちゅ。」
ちゅって言わなくてもちゅーしちゃってるよユウヤ。
触れたか触れないか位の一瞬で、僕は爆発しそうな位真っ赤になっているにちがいないのだ。
「好き?」
僕も、ユウヤにぎゅーしながら聞いてみる。
「好きだよ、愛してる。」
「ばっバカ!」
その低い声は反則。
アニメオタクで普段は秋葉原にでも行ってそうなユウヤが、時折こうして僕に本気なことを言う。
僕たちが付き合い始めたのは、前回話したツアーの真っ最中。
性別がバレた後だった。
ライブ中もたまにシリアスな視線を送ってくるようになったしずく様こと本名ユウヤは、僕が珍しく参加した打ち上げ後に僕に告白をしてきた。
酔ってふざけてるのかと思った…けど、あの時の顔はとても真面目で、身長差20cmの僕たちは、その日のうちに付き合うと決めた。
その時のユウヤの顔は、アー写にも、雑誌にも載ってない、凄く綺麗な、僕が憧れたV系王子様そのものだった。
告白されたのは路地裏。
僕は真面目に話があると言われてのこのことついて行き、突き当たりの所でいわゆる壁ドンをされて逃げられなくなったのだった。
…誰にも見られてなかったのが、すごい奇跡だった。
僕は僕で乙女モード全開で、は、はい!とうるさい心臓を押さえながら返事をしたんだ。
その日から晴れて恋人同士になった僕たちは、ただぎゅーっとお互い抱きしめあったり、さっきの小さなキス以上はしたことが無いし、ユウヤは僕をいつも大切そうな目で見て「絶対守る」なんて言うから。
僕の心臓は毎回壊れそうな位にドキドキする。
僕だけの王子がここにいる。
誰にも見せない顔の王子。
「ユウヤ」
「なに?くるみ」
静かな夜、何処からかおんぷの笑い声がする気がするけど。
安いホテルだし仕方ない。
「僕以外にその顔しないでよね?」
王子ボイスで呼ばれる僕の本名は、いつ聞いてもはずかしいのだ。
息が出来ない位、心臓が止まりそうになるのだ。
言ってからすぐに顔を伏せた僕の、くるみ色の髪を撫でながら、僕の王子様は笑ったみたいだった。
「しないよ。」
「ほんとに?」
「ほんとだよ。」
ああ、もう死んでいいかな僕。
心臓が壊れそうな位に高鳴っているこの時。
僕はこの後ユウヤから突然、思っても無かった言葉を聞くことになる。
「くるみ、あのさ。
俺ね、くるみをこのバンドから脱退させてあげたい。」
「へ…?」
間抜けな声で顔をあげる僕。
「だってさ、こうしてるうちにもきっとファンがどんどんついて…隠してくのが難しくなると思う。…特におんぷあたり、勘もいいし…そもそも。」
ごくり、僕は息を飲む。
「このバンドは女子禁制の男バンドだし…さ。何かがあってくるみが困った時、必ず俺がカバー出来るとは限らない…じゃん。
個人で撮影も増えてきて、着替えとか…男だからその辺で済ませてこいなんて良くあるし…」
ユウヤが恥ずかしそうに一言一言を言っているのが分かった。
あと、真面目なんだってこと。
「だから今俺、どうやってくるみを、女子高生に戻そうか考えてるんだ。」
それはきっと、脱退理由とか、そういうのも含めてだろうなと僕は思う。
「戻れるの…?僕…女の子の僕に。」
そして僕はそう言って気がつく。
涙がこぼれてしまっていることに。
「ごめ、泣かせるつもりなかったんだ!」
焦りながら僕の涙を拭ってくれるユウヤ。
ううんううんと首を振る僕。
本当は最初から間違ってた、このバンドに僕が入ることも。
本音を言えば学業だって、支障が出てる。
今は高校3年。
勉強だってしなきゃいけない中、今回もテストを受けずにこのツアーに出た。
父がなんとか誤魔化してくれてるけど、それもそろそろ限界な気もしてる。
それはずっと僕の中にあった本音だった。
「じゃあ…さ、考えよ?なんで僕が脱退しなきゃダメなのか…。
男の子の狂実が、今絶好調のバンドを抜けてまでやりたい事…とか。」
僕はユウヤの目を見て言う。
僕は設定上、二十歳を超えている設定になっている。
ライブ時間が押したりしても良いようにと、メンバーが誤魔化している事だ。
そして男の子の設定の女形ギタリストが、バンドを抜けてまで何をしたいか。
「んー…ケーキ屋さんになりたくて、パティシエの修行する…とか?」
またどこから出たのか、メルヘンな設定。
「狂実様がケーキ屋さん…かぁ。でも、あり得そう。」
自分の普段のブリっ子男の娘の映像を思い出しながら僕は吹き出してしまった。
「…でもね。ユウヤといられなくなるね。」
視線を合わせて、僕はずっと一緒にいてくれていたユウヤと離れることが寂しくなる…と、訴えた。
ライブ中のユウヤも、もし脱退したら2度と見れなくなるかもしれない。
書きかけの新曲も、お蔵入りかもしれない。
なによりライブが終わってからこうしてホテルでその日のライブの事を笑いあったり、たまに王子様なユウヤに抱きしめて貰ったり、出来なくなるんだ。
「くるみと距離が出来るのは俺も覚悟の上なんだ。
でも、青春時代…とかは、ちゃんとくるみとして過ごした方がいい。
女の子なんだから、女の子として。」
あーもう…何言ってくれてるの…イケメン…。
真面目なユウヤの声と顔を見て、嬉しくて、でも寂しくて、涙が出た。
「俺さ、くるみが女の子として20歳になったら、皆の心で狂実様が残ってるって分かったら、安心出来たら!くるみのさ。」
そこまで言ったユウヤの声が耳元で。
「…………………。」
僕にだけ聞こえるような小さな声でそう呟いた。
ああ、それも、いいかもしれないなぁ。
再びあふれた涙は、僕が眠るまで止まることは無かった。
性別を間違えられたあの日から変わった僕の日常が、帰ってくる。
想像するだけで、嬉しい。
そしてあの言葉も嬉しくてたまらない。
わんわん泣く僕の肩を、トントンと優しく撫でてくれたユウヤ。
ハチャメチャな流れでここまで来てしまった僕。
ウトウトし始めた僕の隣で、ユウヤは言った。
「俺とくるみだけの秘密でいいなら。
このツアーの最終日。
俺がくるみを女の子に戻すから。」
意識を手放す直前のその言葉を聞いて、僕は。
「最終日……うん…」
そう告げてから目を閉じた。
僕だけの王子様に抱きしめられながら。
次のお話はその最終日の事。