N-010 ガトルの襲撃
今年に入って4回目に降った雪は融けずに根雪になった。
雪が降る直前に集めた薪はたっぷりあるから、雪に閉じ込められても心配はないだろう。
綿の服を2枚重ねて着ただけだが小屋の中は暖かい。だけど外に出るときにはこの上に革の上下を着なければ耐えられない。そして、革のブーツが必携だ。
そんな装備に俺の蓄えは殆ど費やされたが、まぁ、初めての冬だ。必要な物は購入せねばなるまい。
小屋から10m程離れたトイレにはポンチョを被って出掛ける。夜は、蝋燭を使ったカンテラを持っていけば安心だ。
最もエルちゃんが行く時にはそっと俺が付いて行く。何か間違いがあっては遅いからね。
俺とルミナスで雪レイムを狩る罠を作っては、森に仕掛けに出掛ける。
捕らえた獲物は山分けという事で狩りに勤しんでいるんだが、たまに罠に掛かる雪レイムの皮を剥ぐのはルミナスだから、報酬は6:4でもいいと思っている。
エルちゃんはサンディに教わりながら一生懸命に毛糸を編んでいる。何が出来るか楽しみだけど、毛糸玉を更に5つ追加して購入しているから、この冬で編み物を覚えるんじゃないかな。
そんな2人に触発されたのか、リスティナさんも細い毛糸で編み物をしている。
暖かい小屋の中で俺達は優しい時間を過ごしているようだ。
「ギルドの2階ではこうはいかないよね」
「全くだ。暖かいし、何より好きな時にお茶が飲める」
ルミナス達には好評みたいだな。
「確かにね。去年の冬は酷かったものね。あの部屋に6人が押し込められたんですもの。食事だって満足に食べられなかったし……。」
リスティナさんもそんな過去を思い出しているようだ。そんな会話を俺とリムちゃんは顔を見合わせながら聞いている。
「少なくとも、村に戻るのは来年の雪解けが始まってからになるわ。これから4ヶ月は此処で過ごすことになるからね」
リスティナさんの言葉に俺達は改めて頷きあう。
確かに俺達だけだから、ちょっと心細いのも確かだ。しかし、此処では好きな時に寝られるし、僅かだが収入を得る手段もある。
狭い部屋に押し込められて暮らすのは願い下げだ。それだけでもルミナス達は満足しているに違いない。
夜になって火の番をしていても、小屋の周囲には2重に鳴子を仕掛けているから、野犬が近寄ってきても直ぐに判るだろう。それに、この小屋は頑丈だ。
◇
◇
◇
雪が30cm程小屋の周囲に積もった夜半過ぎ。
鳴子が鳴り出した。直ぐに止まって、また2度程鳴って静かになる。
火の番をしていた俺とルミナスが顔を見合わせる。
ルミナスがパレトを取り出すのを腕で制して腰のホルスターからM29を取り出す。
これはカートリッジを消耗しないから、2,3発撃つなら都合がいい。
入口の扉は頑丈だ。丸太を組み合わせた扉の裏打ちをした茅を寄せて、丸太の隙間から外をうかがう。
外には10匹程の大きな野犬がいた。
「何だ?」
「どうやら、野犬みたいだが大きな奴だ」
そう言って、ルミナスと位置を変わる。
「あれは、野犬じゃない。冬になると山を下りてくる狼だ。ガトルとも言われてる」
「凶暴なのか?」
「あぁ、無傷ではすまないぞ。だが、この小屋なら安全だろう」
「どうする? 皆を起こすか」
「いや、入口を齧るようなら、てっちゃんの銃で脅かしてやれ」
確かにM29ならカートリッジを使わずに済む。高価なカートリッジをなるべく使いたくないのは俺も同意できる。
ルミナスに頷くと、腰のホルスターからM29を抜いて扉の丸太の隙間から、ガトルの様子を伺った。
雪明りで見える範囲にいるガトルの群れは小屋に少しずつ近付いてくるのが分る。
20m程の所にいるのだが、この距離で命中させる自信は無いな。
前に撃った時には数mの至近距離だ。幾ら野犬よりも大きいとはいえ、俺の腕では心もとない。撃つんだったらやはり確実に命中する距離まで待つべきだろう。
「撃たないのか?」
「もう少し近付いてからだ。奴等少しずつ近付いてる」
ドォンと言う発射音が小屋の中に響くと、耳がキーンとなる。
外のガトルの1匹が跳ね飛ばされたようになって雪の中に倒れる。
「「どうしたの!」」
「ガトルだ。てっちゃんが銃を撃った。……どうだ? やっつけたか」
ルミナスが吃驚して飛び起きたリスティナさん達に説明しながら俺に問いかけてきた。
「1匹を倒したぞ。残りは逃げたみたいだ」
「とりあえず安心だな。だが、奴等はしつこい、しばらくは様子見になるな」
ルミナスが外を覗きながら呟いた。
俺達は炉の回りに腰を下ろして、とりあえずお茶を飲む事にした。
エルちゃんが皆にカップを配る。配ったのは、木製のカップだ。ちゃんと取っ手も付いている。
小屋住まいを前に俺達も皆とおなじようなカップを購入した。5Lと安いものだが、側面に簡単な彫刻が施してあり、それで誰の物かが分るのだ。俺のは魚だし、エルちゃんは花柄だ。サンディとリスティナさんも花柄だが、絵柄が少し異なるから直ぐに分かる。ルミナスのは頭に3本の角がある動物の顔だ。見た事もない獣だが、近くにいるのだろうか?
「それにしても大きな音ね。吃驚して起きたわ」
リスティナさんの言葉にサンディとエルちゃんが頷いてる。
「ロアルのカートリッジは高いからね。確かに減装弾ならあれ程の音にはならないと思うけど、M29ならカートリッジを消費しない。魔力は消費するけど……。」
「魔道具だから私達には使えないわ。ちょっと音が大きいけど、てっちゃんを頼りにした方がいいみたいね」
リスティナさんは納得したみたいだ。サンディとエルちゃんは撃ちたくてしょうがないみたいだけど、俺のM29で事が済むならそれに越した事は無いだろう。カートリッジは消耗品だが、来年の春までは入手できないのだ。
俺とエルちゃんが23発、サンディ達が平均で30発は持っている。エルちゃんの持っている弾丸は減装弾だから威力は低い。それでも20m程離れた人間を殺傷する事は出来ると雑貨屋のお姉さんが言っていたな。
「まぁ、てっちゃんが撃っても近寄って来るようなら、俺も銃を使うさ。てっちゃんが寝ている時に来るようなら、とりあえず起こして撃って貰うよ」
ルミナスの言葉に皆が俺を見て頷いてる。うかうか寝てもいられないのかな?
そんな中、エルちゃんがもじもじし始めた。
「お兄ちゃん、トイレに行きたいんだけど……。」
俺の耳元で小さな声で呟いた。
「それなら、あれだ。リスティナさんがいるから、今の内に行ってきたら」
そう言ってリスティナさんの寝床の奥を指差した。
直ぐにエルちゃんがチョコチョコと奥に入っていく。リスティナさんの寝床の奥は薪の貯蔵庫になっているのだが、その奥に小さなトイレを作っておいた。厳冬期に10m程離れたトイレに行くのに遭難しては大変だと、ルミナスと一緒に急遽作ったものだが、思わぬ所で役に立ったぞ。
「馬鹿にしてたけど、こんな時には助かるわね。今外に行くのは考えものだわ」
「ルミナスとてっちゃんに感謝しなくちゃね」
「まぁ、備えあれば……って奴だな」
ルミナスがパイプに火を点けて2人の感謝に応えている。
そういえば、タバコの葉もたっぷりと買い込んでおいたな。エルちゃんは飴玉を買い込んでたな。
飴があるという事は砂糖があるという事だ。甘いお菓子は飴玉だけだったけど、虫歯にならないか心配だぞ。
嗜好品という事では、サンディとリスティナさんはハーブティのような変わった匂いのするお茶を買い込んでいるようだ。一度ご馳走になったけど、何か花の香りのするお茶だった。
もっとも普段飲むお茶は、色んな葉や茎が入ったお茶だ。意外とさっぱりして渋みも少ないから俺の好みでもある。
とことことエルちゃんが帰って来た。さっぱりした顔をしているぞ。
そして、炉の傍に来ないでそのまま毛布に包まってしまった。確かにまだ夜中なんだよな。
「そうね。私達も休む事にするわ。後をよろしくね」
そう言って2人が寝床に戻る。
「まぁ、夜中だしな。もうしばらくは俺達の当番だ」
ルミナスはポットを取って自分のカップにお茶を注ぐと、俺のカップにも注いでくれた。
「ありがとう。そうだよな。ところで、外のガトルはどうするんだ?」
「明日にでも毛皮を剥いで遠くに捨ててこようぜ。近場に吊るしておけばガトルは来ないだろうが、他の肉食獣を招く恐れがあるからな」
小屋掛けして住むのも良い事だけとは限らないみたいだ。
サンディが寒くて狭いと言っていたギルドの2階の部屋では、命を無くす事は無いだろう。だが、此処ではその危険性が付き纏うのだ。
ある意味、赤レベルのハンターはギルドの2階が適しているのかも知れない。それなりの経験を積んだ者が冬に小屋掛けして住む事が前提の措置と考えれば何となく納得できる。
◇
◇
◇
次の日、朝食を終えた俺とルミナスは早速外に出て昨夜倒したガトルの毛皮を剥ぎ始めた。
「野犬よりは毛皮を高く売れるんだ。この分なら、春までにもう2、3匹分は手に入れられそうだ」
「だが、危険じゃないのか? 女子供がいるんだから積極的に狩るのは反対だな」
「まぁ、そうだが……、冬の走りに群れが来てる事を考えると、もっと大きな群れが現れるかも知れないな。その時に、またやっつければいい」
ガトルは野犬以上に群れを作るのか。今回は銃に驚いて逃げてくれたが、次も同じとは限らない。喜んでいるルミナスには悪いが、群れが来ることがないようにこの世界の神に祈る事にした。
綺麗に剥ぎ取った皮を布袋に入れて魔法の袋に詰めたルミナスは棒の先にガトルの死骸を括りつけて肩に担いだ。
「ついでに雪レイムの罠を見てこようぜ」
「そうだな。上手く掛かってればいいんだが」
俺は手製の槍を持ってルミナスの後を付いて行く。
森の中には小動物の通り道がある。普段は気が付かないけど、雪の上に点々と続く足跡でそれと分るのが面白い。
そんな通り道に罠を仕掛けておくんだが、竹を薄く剥いだものをより合わせた紐を輪にして通り道に垂直に置いておくだけの簡単な物だ。運悪く、輪を潜ろうとすれば輪が締まって窒息死させる。
ルミナスの器用さも手伝って、そんな罠を10箇所近く森に仕掛けている。
罠の1つに雪レイムが掛かっていた。その場で皮を剥いで皮を袋に詰めると、雪レイムの死体を遠くに投げる。
そして、森の外れに来ると、背中に担いでいたガトルを棒ごと雪に深く差し込んだ。
「これで、この森にガトルが来なければいいんだけどな」
「まじないみたいなものか?」
「いや、見せしめだ。結構役に立つと黒レベルのハンターに教えて貰った」
畑にカラスの死骸を吊るすようなものか? 昔はそんな風習があったとお婆ちゃんが話してくれたな。
そして、また森の中を歩きながら罠を確認する。この前来てから数日が過ぎている。この日、罠に掛かった雪レイムを回収できたのは2匹だった。もう数匹掛かっていたのだがどうやらガトルに上前をはねられたらしい。壊れた罠の周囲に血の跡があった。
「少し、罠はお預けだな。ガトルの姿を見たなら雪レイムは姿を表さないんだ」
「また、罠作りか? まぁ、暇潰しには丁度いいけどな」
俺たちは急いで森を歩き、小屋へと戻っていく。
ガトルの群れが近くにいないとも限らない。そして俺たちは2人だけなのだ。
◇
◇
◇
「ただいま!」
そう声を掛けると入口の扉を中からリスティナさんが開けてくれた。
「お帰りなさい。どうだった?」
俺たちが小屋に入るのももどかしそうに問い掛けてくる。
「とりあえず森は平和だった。雪レイムを2匹手に入れたが、数匹はガトルの餌になったようだ」
「まだ近くにいるんでしょうね。昼に見かけなくても、夜にはまた来るかも知れないわ」
「その時は、またてっちゃんに頼む事になるな」
そう言いながらルミナスと俺は炉の傍に座って体を温める。革の上下は体が温まってから脱ぐとしよう。
エルちゃんが俺たちにお茶を入れてくれる。熱々のお茶は芯から体を温めてくれるのだが、俺はいたってネコ舌だ。フーフーと冷ましながら飲んでいる俺をエルちゃんがにこにこしながら見ていたが、俺達が半分ほど飲んだカップにお茶を注ぐと、サンディの隣に座って編み物の続きを始めた。
「昨夜は雪は降ってなかったよな。森にはガトルの足音がなかったぞ」
「という事は、東か西から来た事になるわ」
「だが、西は村があるぞ。たぶん東だな」
森ではなく、雪に覆われた荒地を通って来たということか?
「やはり、今夜も注意した方が良さそうね」
「そして、天候が変わるかもしれない。ダリル山が見えなかった。吹雪くかも知れない」
ハンターの観天望とでもいうんだろうな。ダリル山は此処から北西にある山だ。3千mはあるだろう。それが見えないという事は、吹雪で輪郭が見えなくなったという事だろう。
今夜は吹雪か……、もう一枚、毛布を出してあげようかな。エルちゃんはネコ族の血を引いているんだからきっと寒がりに違いない。