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「改造人間……それ、本気で言ってるのかい?」
瑠和の表情は訝し気な心の内を如実に示していた。困惑、猜疑、そして得も言われぬ不安。一つとして好意的には見えない様子が、赤い絨毯の敷き詰められた如何にも豪奢な部屋には不釣り合いだ。いや、最も不釣り合いなのは瀬砂自身だと分かってはいるのだが。
絵麗菜に引きずられるようにして瀬砂が連れてこられたのは国防省だった。再起不能と言われてからの経緯と事情説明。魔法少女として復帰する為にも最低限それくらいは必要だと思った瀬砂は、渋々ながらも黙ってここまでついてきた。魔法少女政策の担当者、絵麗菜、そして当事者として瑠和と共に会議室を貸切り、第一声で「改造された」と話し始めたところ言われたのが冒頭の台詞である。
「別に信じてくれなくても良いんだけど」
そんな不信感を物ともせずに、瀬砂。言い返す事もなく、そのまま即座に踵を返す。彼女にとって相手が信じるかどうかはさして重要ではない。必要なのは事情説明をしたという事実だけなのだ。心なしかペースの速い歩みに慌てて瑠和が呼び止める。
「ちょちょちょっ! 別に嘘だって言いたい訳じゃないってば!」
不自然な程に動揺しながら手を取ってくる彼女に、瀬砂もまた目を丸くした。一瞬反論する事も忘れて、元いた場所まで引き戻される。なおも変わらない様子の瑠和は、身振り手振りを加えながら必死に瀬砂へと弁明を始めた。
「アンタが嘘をつくような娘じゃないってのは分かってるんだけど、流石に理解が追い付かないって言うか……ね。ほら、外見も全然変わってないし、科学なんて教科書でしか見たことないから実感わかなくて」
「いや、分かった、分かったから……」
瀬砂にはそれだけ言うのが限界だった。彼女には時折瑠和の言動が分からなくなる。自分という問題児を前に、なぜこうもあくせくと場を繋ごうとするのか。瀬砂にとってはあまりに慣れぬ光景だった、彼女を知る者はそのほぼ全てが自分を怖れ、関わる事すら避けていたからだ。慣れぬ瑠和の反応は一瞬とは言え瀬砂の思考を麻痺させ、彼女を踏みとどまらせる事に成功したのである。
「では、改めて経緯を説明してください。入院療養中だった貴女がどのような経緯で改造手術を受けるに至り、誰に、どのような改造を受け、どのような状態にあるのか」
難しい顔をしてそう問うたのは国防省の秘書だ。基本的に魔法少女への対応は彼が行う事となっていて、長官などとは瀬砂達も滅多に顔を合わせない。故に今回も彼女は言われるがままに自らの記憶を呼び起こす。いや、正確には呼び起こそうとして、
「無理」
途中で止めた。
「自分がどう改造されたかなんて分かる訳ないじゃない。取り敢えず改造したのは的衛 彩人ってヤツってくらいしか答えられないよ」
頭を掻きながらバツが悪そうに瀬砂は答える。しかし途中で何かを思い出し、着ていたゴスロリ服のポケットをまさぐった。やがて、一枚の名刺が中から引き出される。彩人が研究所への案内として彼女に渡した物だ。無論、裏面には几帳面に書き込まれた地図も記してある。
「ボクが長話が苦手なのは知ってるでしょ。多分改造した本人に聞いた方が早いよ」
名刺を指で挟みこみ、スナップだけで投げ飛ばす。とても飛ぶような形には見えない紙切れは、しかしくるくると回転しながら部屋中央のデスクの上に着地した。それを秘書は拾い上げ、背広の胸ポケットに仕舞う。彼の妙に納得したような表情が、瀬砂を不快な気分にさせた。
「……判りました、確認はこちらでしておきましょう」
「じゃあ、終わり次第ボクの戦線復帰も認めてもらえる?」
ため息交じりに念を押す。この結論を導き出す為に、随分と無駄な時間を掛けた気がした。過酷な戦場にあって疲れ知らずと言われる瀬砂が疲労を顔に出すのはこんな時程度だろう。だが、これでやっと帰る事ができる。内心気が抜けかけていた彼女の集中を呼び戻すように、上がったのは絵麗菜の声だ。
「……認めませんわ!」
叫びと同時に両足を椅子から床へと叩き付ける。その勢いで立ち上がると、絵麗菜は大股気味に部屋から出て行ってしまった。瀬砂の戦線復帰に対する彼女なりの抵抗なのだろう。瀬砂自身に問題がない以上復帰を却下する理由はないのだが、絵麗菜にとっては何か納得いかない所があるのかも知れない。部屋の外からもしばらく聞こえる大きな足音に、瀬砂はそんな事を考えた。
「……ああ言ってるみたいだけど」
「問題ありません。除籍手続きもまだですから、すぐにでも復帰はしてもらえますよ」
特に気にした様子もなく秘書は淡々と続ける。どうやら子供同士の喧嘩に口を出すつもりはないらしい。他者のいざこざには直接的な干渉は避け、当人同士の解決を促す。それは決して間違った判断ではないのだが、瀬砂は不信感を抱かざるを得なかった。
「お役所仕事だね」
「お役所ですから。では、私は確認作業がありますので、これで」
皮肉を意に介する事もなく、秘書も部屋を後にする。二人の反応に釈然としない瀬砂の肩を、後ろから瑠和が叩いた。
「絵麗菜も多分、色々思うところがあるんだよ。しっかりしててもあの子はまだ十四だ、考える時間をあげないと」
諭すように語りかけてくる。普段の姉御肌とは少し毛色の違う、とても優しい声。しかし瀬砂が安心感を得る事はなかった。あるいは本能で悟っていたのかも知れない。瑠和もまた、味方ではないことを。
「でも、アタシも少し不安だよ。アタシはあと三ヶ月で引退する。その後、アンタ達二人を誰が止めれば良いんだい?」
来たか。瀬砂は心の中で小さく毒づいた。綺麗事で塗り固めてはいるが、結局は彼女も同じなのだ。瀬砂の引退を心の中では望んでいる。瑠和は普段こそサバサバとした性格だが、人の心に踏み込むような言葉を掛けようとすると途端に歯切れが悪くなる。正しく今のように、だ。
「だからさ、アタシと一緒に……」
「アンタには関係ない。時期にいなくなるアンタにはね」
与えられた優しさを踏みにじるが如く、瀬砂は瑠和の言葉を終わる前に一蹴する。彼女に意見を受け入れるつもりはない。ならば瑠和の話など聞くだけ無駄だ。自分にそう言い聞かせながら、彼女を置いて部屋を後にする。おずおずと差し出そうとされていた瑠和の手が、空を切った。
「なぁ、瀬す……」
バタン、という音が瑠和の言葉を遮る。扉は音を遮断するような材質には見えなかったが、それ以上の声は聞こえてこない。知らず、瀬砂の口元からは舌打ちが漏れていた。自分の希望通りになったと言うのに、何故か苛立ちが消える事はない。心持ちの正体すら分からないまま、瀬砂は迷いを振り払うように荒々しい足取りでその場を後にした……。