1-7
「そんな……どうして、浅染 瀬砂が……」
十字路は騒然としていた。特に通り魔グループの動揺は凄まじい。いる筈のない人物の手によって、仲間が血まみれの状態で吹き飛ばされる光景は、彼らを恐怖させるには十分だっただろう。その様子を満足気に眺めながら、瀬砂は掌底の接触と同時にねじ切った腹部の脂肪を放り投げた。
「……ふぅん、なかなか使い勝手は良いじゃないか」
何かを握るような動作を二、三度繰り返し、伝わってくる感覚を楽しむ。押し付けた掌が腹部から離れる前に、手首の捻りだけでその一部を引き千切るのに、一体どれだけの力が必要になるのか。恐らくは今までの瀬砂でもできない芸当だろう。
『出力、反応、共に良好。戦闘も問題はなさそうだ。瀬砂、続けてくれ』
頭の中に直接声が聞こえてくる。彩人の声だ。戦闘のサポートも兼ねて通信ができるようにしたのだと彼は言っていた。初めての感覚に眉をひそめながらも、瀬砂はどこにともなく頷く。数歩前に出ると、混乱しきった瑠和を見下ろした。
「言われなくても……いつまでそんなところでぼっとしてる気だい? そんな所にいたら、仕事の邪魔だよ」
「ほ、本当に瀬砂なのかい?」
瑠和がおずおずと問いかけてくる。瀬砂が深いため息と共に「他の何に見えるのさ」と侮蔑にも似た視線を向けると、妙に納得した表情になったのを彼女は忘れないだろう。普段、自分がどう見られているのかがはっきりと分かる瞬間だった。
「……まぁ良いよ。絵麗菜、アンタもだよ」
諦めたように顔を背けると、瀬砂は次に絵麗菜を見る。先ほど以上に冷たい目線、それは絵麗菜も同様だった。不満に満ちた、それでも生来の可愛らしさの拭えない顔で瀬砂に食って掛かる。
「冗談じゃありませんわ! 私はまだ戦えます、あんな奴ら相手に遅れなど――」
「そういう事は、自分の仕事をしてから言ったら」
冷たい視線と同じく、冷たい口調で絵麗菜の言葉を遮る。同じ冷たさでも、その意味合いはまるで違った。瀬砂の口調は、明確な苛立ちのような物を放っている。彼女は首の動きだけでどこかを指し示す。絵麗菜が目で追うと、そこには冷や汗を流したままの瑠和の姿があった。
「痩せ我慢してるみたいだけど、あれはかなり深手だよ。さっさと治癒してやらないと最悪後遺症が残る。専門外のボクでも判る事だけどね」
そう言われた絵麗菜はハッとした表情になる。今、治癒の魔法を使う事が出来るのは彼女だけだ。魔法少女の本分は人名の救助、ならば彼女が今しなければならない事は一つだろう。瑠和の負傷を目にしたためか、絵麗菜の思考は攻撃的になっていたらしい。瀬砂に言われるまでまるで考えがそこに至らなかった。
「分かったらさっさと瑠和を回収。死人を出したくないなら今殴ったヤツも連れて行きな」
瀬砂は両手を胸の前で握りしめ、ボキボキと音を立てる。少しずつ口角が上昇していった。指から打ち鳴らされる音に呼応するように、抑えていた彼女の感情も高まっていく。
「アイツらは……ボクの獲物だ!」
そして昂りが頂点に達し、彼女は歯をむき出して笑った。同時に右腕を空に向かって突き出す。それは彩人と決めた合図だった。簡易のアンテナによって遥か頭上、成層圏から瀬砂へ向けて狙いが定められる。座標へ向けて放たれる光は、瀬砂の身体まで一瞬で届き、その全身を覆い尽くした。
「アームド・オンッ!!」
光の中で、瀬砂が着ていた服が消える。中から現れたのはハイレグの水着に似た形のインナー。腹部にひし形の穴が空けられた露出度の高いものだ。それに間を置かず、彼女の周囲には金属と思しきパーツが突如として姿を現す。それらは目まぐるしく形を変えながら瀬砂の身体に取り付けられ、彼女の身を守る鎧となった。その間、僅かに四秒。発光の中で早変わりを終えた少女は、満を持してその勇姿を周囲へと見せつけた。
『各部装甲、転送完了。瀬砂、不具合はないだろうか』
全ての行程が終了し、彩人から通信が入る。瀬砂は手足を軽く振るい、調子を確認していたが、自分の姿を改めて確認すると少し頬を赤らめた。
「不具合はないけど……なんなんだ、この恥ずかしい衣装は」
彼女が身に纏った衣装は、とにかく露出が高い。手甲、脚甲、あとは肩当て。全体的に装甲は取り付けられているが、それ以外の部分はインナー以外ほとんど地肌のままだ。腰にもスカート状に装甲が取り付けられているが、前は隠れていない。そのくせ目元はバイザーで厳重に覆われているのが気にかかった。
『転送時に全裸になりたくないという君の希望を聞いた結果だ。服を回収する前に内側にインナーを転送し、そこに追加装甲を磁力で接続させる方式を採用している。それ以上の追加は磁場が体機能に悪影響を及ぼす恐れがあるからおすすめできない」
「……あ、そ」
彩人の言っている意味は理解できなかったが、これ以上はどうにもならないという事だけは分かった瀬砂は、状態を垂らして姿勢を低く取る。考えれば元々なりふりなど構っていた事はない。今も、昔も、やる事は変わりはしないのだ。獣を思わせる構えで、獲物に狙いを定める。周囲にいるのは既に戦慄した者達ばかり。いかに自分達が安全とたかをくくっていたかが見て取れた。それもこれも、瀬砂が戦場には現れないと思っていたから。そう考えると無性に腹が立った。
「死ねよ、腰抜けェッ!!」
曲げていた膝を全力で伸ばし、跳躍する。その瞬間、彼女の背中から爆発音のような物が聞こえた。
「グッ!?」
瀬砂が動いた次の瞬間、既に膝が突き刺さっていた。相手は通り魔グループの中でも後列にいたサラリーマン風の男。彼らの中には誰一人、命中までの過程を見た者はいなかった。瀬砂自身も少し驚いている。彼女は気付いていなかったのだ、自分の背にブースターが取り付けられ、跳躍に凄まじい加速が付けられる事に。
「……すごいな、これ。もしかして飛べるの?」
だが、驚いたのも一瞬の様子で、その後は嬉々として能力を尋ねていた。能力の関係上、彼女は空を飛んだ経験がない。初めての感覚と、何より自らの一撃の重さに、瀬砂は胸を躍らせていた。
『無論だ。神経は繋げてあるから君の考える通りに機動する。後は慣れてもらうしかないが』
「なるほど、こんな感じ……かなっ!?」
言いながら身体を捻り、男を吹き飛ばす。そのまま滞空を維持しつつ、次の獲物へと狙いを定める。タキシードのリーダー格を挟んで真反対にいるニット帽をかぶった若者だ。彼はすっかり青ざめ、動きを見せる様子がない。固定標的なら練習にはちょうど良いと思った。
「う、うわぁ……!?」
瀬砂に睨まれうめき声を上げる男だが、それ以上は動かない。瀬砂は弧を描くようにリーダーを避け、男の側頭部にソバットを仕掛ける。ミシ、と言う不安を誘う音も、彼女にとっては心地よい音色だ。目を閉じながら堪能していると、顔の横を何かが横切る。頬の皮が捲れ、僅かに血液がこぼれた。
「ば、化け物!」
飛んできた方向を見れば、黒いワンピースの女が銃をこちらに向けていた。瀬砂は少し意外に思う。元来、女性は血を恐れないというが、これだけ男性が揃っていて、最初に抵抗を見せたのが紅一点とは。その意味では彼女の行動は賞賛に値するものかもしれない。だが、
「邪魔だな」
「ひっ!?」
瀬砂が冷たく見据えると、女は再び引き金を引こうと指に力を込めようとする。無論、それを見逃す瀬砂でもない。彼女が左手を女に向けると、指が動き切るよりも早く、女の持つ銃が跳ね飛ばされた。瀬砂自身が動いたのではない、彼女から発せられた何かが、恐るべき速度で女の銃に衝突したのだ。その事実に、誰もが驚きを隠せなかった。
「な、どうして……!?」
「脳筋女が飛び道具を使えるのかって?」
「っ!?」
先読みして放たれた言葉に、女は更に目を丸くする。もっとも、驚愕の理由は瀬砂が既に彼女の真横に位置していたからに他ならないが。やろうと思えば女が気付くより早く無力化する事もできた瀬砂だったが、それはしなかった。
「良いねぇ、その無力に気付いたって感じの表情」
間が抜けた、とも取れる女の表情を瀬砂は満足気に眺める。彼女の楽しみの一つだ。自信を砕く事は、心を砕く事だ。破壊は瀬砂を高揚させる。それは心であっても同様だった。
「そうだな……アンタは頑張ったから、顔は避けてやろうかな」
言い終わるが早いか、女の腹に拳が突き刺さる。加減はされているらしく、貫通する事はない。刺々しい金属の握り拳が、僅かに血を滲ませた。崩れ落ちる女を地面へ転がしながら、瀬砂は最後に残った一人……タキシードの男を見る。すでに恐怖で立っている事も叶わず、純白の衣装は放尿で汚れてしまっていた。
「で、誰の引退記念オフだっけ?」
水たまりを避けながら、二、三歩男へと近づく。ただそれだけで男は短い悲鳴を上げた。いや、むしろそれしかできないのだろう。既に彼にまともな言語を発する意識があるようには見えなかった。
「ドリル」
そんな様子を嘲笑いながら、瀬砂は高く右腕を掲げる。呟くように一声を上げると、手元に光が降り立った。間もなく、彼女の右腕が巨大なドリルへと姿を変える。拳を固めようとすると、手先が耳障りな摩擦音を放ちながら回りだした。動きを確認すると、一旦回転を止めてタキシードの男の脚へと押し当てる。そして……
「な!? お、おいっ……!?」
「ムカつく」
再び鉄塊は螺旋を描き始めた。鉄が肉を巻き込み、擂り潰していく。男の声にもならない悲鳴が、機械音にかき消された。
手応えが無くなり瀬砂がドリルを持ち上げると、男の脚は汚ならしい切り口だけを残し血だまりと化していた。先が削れた骨を覗かせる、ミンチのような傷口は、痛々しさを通り越してグロテスクな雰囲気を漂わせる。男は空虚な眼でそれを見つめながら、乾いた笑い声をあげていた。
「さて、二本目はどうしようか」
既に真っ赤に染まったドリルを持ち上げながら、瀬砂は考え込む。この完全に放心した男に、これ以上苦痛を与える意味があるかどうか。絶望する姿を見て瀬砂自身の苛立ちは晴れた。男に既に抵抗する様子もなく、もう苦しむ心も残されていないように見える。瀬砂自身、反応のない相手を傷つけた所で面白味も感じられないであろう事は、容易に想像がついた。
「……ま、良いか。キリも悪いからもう片方も――」
もう片方の足も削ぎ落とそうとドリルを降ろそうとする。しかし、その途中でバチッ、と言う音と共に手に軽い痛みが走り、手を止めた。静電気を凝縮したような、痺れを伴う感覚。誰の仕業かは考えるまでもなかった。
「なんでボクを攻撃する訳、絵麗菜」
振り向きもしないまま瀬砂が問う。絵麗菜は答えず、彼女に向けて杖を構えたままゆっくりと歩み寄っていった。眼前までたどり着く絵麗菜、しかしそこまで行っても足が止まる事はない。彼女の目的はその更に先のモノだった。
「……この人は本件の犯人として現行犯逮捕します。被疑者の確保は最優先事項、これ以上の貴女の行いは越権行為とみなしますわ」
瀬砂から目を離さないまま杖を男に向けて振るう。男の周囲に光が集まり、数本の輪へと収束して彼を縛り上げた。瀬砂は若干不満そうな表情をしたが、特になにかするでもなく、そんな様子を一瞥だけしてその場を後にしようとする。しかし、それを呼び止める声があった。絵麗菜である。
「まだ何か用?」
瀬砂は訝しげに絵麗菜を見る。絵麗菜は絵麗菜で瞳には明確に懐疑を宿らせ、一向に警戒を解く気配はない。
「……貴女、自分の現状がまるで分かっていませんのね」
絵麗菜は呆れを帯びた声色で呟く。その不快なトーンに一瞬眉をひそめた瀬砂だったが、彼女の反応の理由に思い至り思わず「……ああ」声を漏らした。思い出したのだ、自分が今、存在するはずのない人間である事を。絵麗菜の態度も無理はない、彼女にとって今の瀬砂は未知以外の何物でもないのだから。
「再起不能と報告された貴女が何故ここにいるのか? それだけでも十分疑わしい立場ですわ。貴女も同行なさい、事情をキッチリ聞かせてもらいますわ」
刺々しい声が矢となって瀬砂へと射られる。殺伐とした風が、無人の街を通り抜けた……。