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「改造人間、と来たか……」
夕日が差し込む病室で、瀬砂はクスクスと笑い始めた。光にかざすようにしてカードを眺める。彩人が残して行った名刺だ。裏には電話番号も書き込まれている。彼が「その気ならばここに連絡すると良い」と言い残して病室を去ってから、何時間が経っただろうか。しばらくは唖然としていた瀬砂だったが、以降はずっとこの様子だ。笑いながら、母へと話掛け続ける。
「現実味がないにも程があるよね。そんな言葉、古典マンガくらいでしか聞いた事がない」
改造人間と聞いて思い出したのが、今でも根強い人気のある20世紀末期から21世紀初期にかけての漫画作品だ。当時は訳も分からず見ていたが、言われてみればそこで科学者という言葉を聞いたことがあった。重傷を負った主人公が彼らの改造で正義のヒーローに生まれ変わるという展開を今までに何度見てきただろうか。まさか自分が同じ境遇になるとは思いもしなかった。もっとも、自分の動機は正義とはかけ離れたものだが。
「昔は何気なく見てたなぁ。良く考えるととんでもない話だよ」
同じ境遇になって初めて分かる、かのヒーロー達の苦悩。瀬砂は改めて作品としての深さを実感していた。
彩人は改造のなんたるかを事細かに説明していった。後戻りのできる事ではない為、良く考えてから判断して欲しいと言う事らしい。その中でも彼が特に強く言ったのは三点。いの一番に語るのはメリット、身体能力の向上だった。
「義手で戦闘が行えないのは何故だと思う? 耐久性の問題ではない。高性能過ぎる腕の動きに、身体が対応できなくなるからだ。全身がそれだけの性能を持つようになる。君のような対内能力に長けた者はなおさらだ」
まずは好印象をと考えた彩人の説明である。外見はそのままに、身体能力の底上げだけを行えるのだと彼は言った。無論、腕も元の見た目に戻ると言う。加えてエネルギーは太陽光による発電でまかなう事が可能で、食事もできるが不要になるのだそうだ。
だがそれ故に代償も大きい。二つ目に提示された事項は、人ではなくなる事を実感させるに十分な物だった。即ち、成長の停止。彼女は今の姿から成長も老衰もせず、仮に将来誰かと結ばれても子を宿す事は出来ない。人としてできるはずだった事を諦めて人以上の時間を生きる。それは人として死ぬことといかほど違うだろうか。
「今と言う瞬間の為に払うにはあまりに大きいよね、このリスクはさ」
瀬砂の言葉に母は答えない。それでもひたすらこの件に話続け、今に至る。さも興味が無さそうに、否定的な内容を。興味がないのに何故いつまでも同じ話をしているかなど、自身では考えもしなかった。
「せっちゃんは本当に思った事が素直に出るわね」
「……え?」
何気ない母の呟きに、心底驚いた様子で返す瀬砂。彼女は本気で誤魔化していると思っていたのだ。母の察しの良さに驚く事が多い瀬砂だが、実際は自身に問題があることも多い事に、彼女は気付かない。
「的衛さんの改造を受けたい。そんな顔をしているわ」
「そんな、まさか!」
両手を突き出してバタバタと振って見せる。あからさまな過剰反応に、母は見ていて微笑ましく感じた。普段は達観しているが、実際の所彼女はまだ義務教育も終えぬ子供なのだ。理屈は分かっても、それを割り切るれない事は往々にしてある。それを見透かしたように、母は瀬砂に近づき、彼女を抱きしめた。
「私もせっちゃんみたいな時、良くあるわ。二つの内どっちかを選ばなきゃいけない時。どっちも凄く大事だから、どうしても悩んで先に進めなくなる」
背中を二、三回叩く。まるで赤子をあやすような素振りだが、瀬砂も不思議と嫌な気分はしなかった。むしろ、大きな安心感がもたらされる。母親という存在の偉大さを垣間見た気がした。
「そんな時は、一度どちらでも良いから選んでみるの。それで少しでも躊躇するなら、それを選ぶのは間違い。分かりやすいでしょ?」
「そんな適当な」
母からの助言に思わず瀬砂はその身を離し、彼女を見上げた。そのように決められないから瀬砂は今、悩んでいるのだ。どちらを彼女を待つのは大きな代償だ。躊躇わない選択肢など、ない。だが、それすらも分かっていたのだろう。母はすぐに答えを導き出した。
「それは色んな事を考えてるからよ。どっちが賢い選択かなんて悩んでも仕方ないわ。どんなに賢い答えでも、心が納得できなければ決して選べない。だから自分がしたい事を選ぶの。悩むのはそれからよ」
「……」
言い返せなかった。彼女の言うとおりだ、正解などとうに分かっている、分かりきっている。だからそれに従おうとしていた。だが、瀬砂にはそれができなかったのだ。だからこそ彼女は今、こうして悩んでいる。いや、間違いを選ぶ理由を探していると言うべきだろう。彼女の心は最初から決まっていたのだ。
「ボクは……魔法少女で、いたいよ……」
吐露する声が震える。それでも本音を口に出来たからだろう、瀬砂の表情には無理をした様子がない。代わりに表れたのは、不安だった。
「でも、母さんにもらったこの身体を……」
それはある意味、瀬砂を最も悩ませているモノ。彩人に提示された最後の注意点だった。人を捨てる事、力を持つことなど彼女にとってはさしたる問題ではない。今までの迫害を考えれば今更何が変わると言うのか。人との関わりで大事に思うものなど、一つだけだ。彩人がそれを知っていたかは定かではない。だが、瀬砂にとっては何よりも重要な事だった。
「母さんとの繋がりを、失いたくはないよ」
それだけ言って瀬砂はうつ向いた。当然、身体を亡くした所で親子関係がなくなる訳ではないだろう。だが、書類やデータでは表せない生の証だ。それより明確な絆を、彼女は知らない。しかし、
「……驚いた、せっちゃんはそんな事で悩んでたの?」
当然の悩みと思っていた瀬砂とは裏腹に、母は意外そうな表情で彼女を見つめる。つられて瀬砂も似たような顔になり、互いに見つめあう。先に変化があったのは母だ、優しげな笑みと共に告げられた言葉で瀬砂の目から落ちたのは、ウロコだけではあるまい……。
「来たか」
明くる日の朝、瀬砂は名刺に書いてあった住所まで来ていた。医者には話していない。腕の取り付けが終わってから事後報告の方がなにかと都合が良いとの彩人の言葉に従っての事である。部屋の中を見回した瀬砂は、その意図に妙に納得してしまった。
彩人の研究所は実に変わった内装をしていた。大きな窓があるのに心なしか薄暗い部屋、無数の点滅を見せる機械とおぼしき物体の数々。端的に言ってしまえば古典漫画に出てくるセットさながらである。残念ながらヒーローではなく悪の組織側の、なのだが。
「確かにこれに治してもらうとは言えないね……本当に大丈夫なの?」
「理論上は可能だ。実践の経験もない事はない。あとは私の腕を信用してもらうしかないな」
訝しげに尋ねる瀬砂だったが、結局確約を得る事はできなかった。良くも悪くも人形のような男だ、と思う。安心を促す配慮はないが、決して嘘はつかない。無感情な実直さは、こういった技巧の面では信用に足る要素と言えるだろう。どの道、ここで何もしなければ腕は治らないのだ。今更退く理由はない。ないのだが、
「……じゃあ手術の前に教えてもらえないかな。何でボクにそこまでするのさ?」
唯一つ、気になっている事だった。彩人にとって瀬砂は赤の他人である。彼が勤める病院に縁があったとは言え、完全に管轄外の業務。しかも資金はすべて彼が負担してくれると言う。その余りに破格な条件が、打算的と見えるこの男だけに不審に思えてしまう。何か悪意はないか、疑いを込めた問いに彩人はにべもなく答えた。
「簡単な話だ。私が君を好きになったから」
「……」
瀬砂は答えない。どうやら思考停止していたらしく、一瞬の間を置いた後はみるみる内に顔を赤くして行った。湯気が出そうな程熱くなっているのを肌で感じる。それを覗き込もうとした彩人だったが、すぐに手をじたばたと振り回され、距離を取られてしまった。
「い、いきなり何を言い出すんだ! ボク達はほとんど初対面だよ!?」
「おかしいだろうか?」
首がもげる程の勢いで縦に振る。告白への返答としてはあまりに酷な行為だったが、知り合って間もない男性からの突然の告白に、瀬砂にも相手を気遣う余裕など全くなかった。同級生に疎んじられ、異性とは話すらまともにした事のない彼女には大変な刺激である。
一方、当の彩人は相変わらずの能面ヅラで何かを考え込んでいた。聞けば「おかしいか……」などと呟いており、新しい協力の理由でも考えていたのかもしれない。
「そうだな……では、ここ数日の犯罪件数はご存知だろうか?」
思いついたように彩人が言う。不可解な切り口ではあったが、恋愛から話が離れた為か瀬砂は多少冷静になった。彩人の意図を測りかねていると、彼が何かの資料を持ってくる。折れ線グラフだ、タイトルは『都内で発生した魔法少女要請事件』とある。
「最後の辺りで数値が激増しているのが分かるだろう。境になっているのは、君が入院した日だ」
確かに、12月26日から直角に近い程線が曲がっている。全ての犯罪が組織的に行われている訳ではない。一斉に事件が起こったのならば、そこには多くが犯罪をしようと考える何かがあると考えて然るべきだろう。そして彩人は彼女にその理由を見出した。
「君の行いは褒められた事とは言い難い。だが、その恐るべき魔女は必要悪である。これで納得してもらえただろうか」
「……」
瀬砂は一瞬返答に詰まる。あまりに軽い言い回しだ、恐らく本音ではあるまい。だが、先ほどのものよりは余程まともな返答だとも思えた。第一、これでまた好きだなんだと言われたらたまったものではない。タダでさえ彼女は色恋沙汰は分からないのに、自分が言われる側に立っているのだ。
「分かった、信用するよ」
「よろしい。ではくどいようだが、最後にもう一度確認しておこう」
本位でない理由に本位でない納得、歪なる契約が今形をなした。彩人は部屋の奥へと歩みを進め、壁のスイッチを入れる。と、窓の向こうから光が差し込んだ。どうやら光を入れる為ではなく、隣の部屋と繋げる為のものだったらしい。明るくなった隣室から見えたのは腕とおぼしき物体だった。それらしい形ではあるが材質は明らかに金属で、自分の腕よりも一回り大きい。
「改造後の君の姿だ。無論、擬態皮膚で外見は人間のソレに見せる事はできるが」
思わず息をのむ。それは外観だけで周囲を圧倒していた。人のそれとは言い難い威容、自分もこれからこういった物になるというのかと思うと、目を離す事ができなかった。
「だが、外見を装ったところで本質は変わらない。君はご両親が産み落としたものではなくなってしまう訳だ。それでも、改造を受けるというのだな?」
義手に見入る瀬砂だったが、彩人の言葉でふと我にかえる。彼の瞳には否定も肯定もない。ただただ瀬砂の答えだけを求めている眼だ。例えここで彼女が怖気づいたところで非難はしないだろう。だが、彼女の気持ちはもう決まっていた。
「その言葉をそっくり返すよ、ドクター。ボクが母さんにもらったのは、身体だけじゃない」
彩人を見返しながら瀬砂が言う。その眼は強く鋭く、圧倒的だった彩人の視線にも怖じた様子はない。彼女を見て彩人は満足気に歩き出す。行き先は隣室、恐らく手術はそこで行われるのだろう。
「入りたまえ」
「うん……あのさ」
部屋に招き入れられた瀬砂だったが、途中で歩みが止まる。何事かと彩人が彼女を見ると、バツが悪そうに目を背けた。間を持たせようとしているのか何度か咳払いが続く。やがて今までになく小声で、実に言い難そうに呟いた……。
「……魔法少女だからって痛みを感じない訳じゃないんだ。出来ればその、痛くしないで欲しいな」