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「はぁー、やっぱり瀬砂にバラード歌ってもらわないとなんかこう、締まらないよねぇ」
「つい数ヶ月前まで接点すらほとんどなかった方の発言とは思えませんわね……」
大股気味に歩きながら瑠和がぼやくと、絵麗菜は素早くそう返した。こんな何気ないつぶやきにも律儀な返事をしてくる彼女に、瑠和は堅苦しさを通り越して愛くるしさすら感じるものがある。
絵麗菜を微笑ましく眺めながら、瑠和は少し感慨に浸った。言われてみればその通りで、彼女達と瀬砂の距離が縮まったのはごく最近の事である。周囲に壁を作り、会話すら拒絶していた「狂える魔女」。そこに変化が生じるきっかけとなった改造手術は、まだほんの二ヶ月前の出来事だ。だと言うのに今では無二の友のように感じ、ただの一日オーバーホールで会う事が出来なかっただけでもこの違和感である。
「ははっ、それだけ瀬砂が変わったって事さね。今のあの娘がいるなら、あたしは安心して卒業できるよ」
からからと笑いながら言う瑠和。それに絵麗菜も相槌を打ったが、その反応は「ええ……そう、ですわね……」と言うなんとも歯切れの悪い物だった。物事をハッキリさせたがる彼女にしては珍しい、と瑠和は首を傾げる。気になる事でもあるのかと促すと、彼女はつぼみのような小粒の唇を、しかし重々しく開いた。
「瑠和さんは、何故瀬砂さんがあんなに暴力を振るいたがるのか、知っています?」
「ん? そりゃあ、好きだからじゃあないのかい?」
あっけらかんと答える瑠和に、絵麗菜は一瞬目を丸くする。瑠和としては深く考えず、直感的に答えただけだったのだが、むしろだからこそ、絵麗菜は驚いたのかも知れない。理路整然としようとして、余計に遠回りをしてしまうのは若い内はよくある事だ。彼女にとっては、自身が必死に考えた結論に、インスピレーションだけで追いつかれてしまった気分なのだろう。
「……ええ、おおよそその通りです。彼女は『楽しいから』と言っていましたわ」
絵麗菜は未だ釈然としない様子だったが、構わず続きを促す瑠和に渋々言葉を続ける。瀬砂らしい、極めて明快な回答だと瑠和は思った。瀬砂の性格はどちらかと言えば自身のそれに近いのだろう。瑠和はそこに親近感を覚えるばかりだったが、絵麗菜は違うようだった。
「この二カ月で確かに、瀬砂さんは変わりました。でもそれって、本当に正しかったんでしょうか? 私達は、ただ彼女の心を捻じ曲げただけなんじゃ……」
絵麗菜の言葉が止まる。それ以上は口に出来ない、と言った様子だった。瑠和は言葉を発しないまま顎に掌を当てる。周囲に聞こえるか聞こえないか程度の声でしばらく唸っていると、絵麗菜がその表情を覗き込んで来た。
「あの……瑠和さん?」
「あ、ごめん。違う事考えてた」
「これ真面目な話なんですけど!?」
タコのように顔を膨らませて怒る絵麗菜を、瑠和は苦笑いしながらなだめる。ただ、それでも彼女の思考は自分の考え事で大半が占められていた。人の和を尊ぶ彼女ではあるが、それ故に和の中で自身を保つ手段も良く分かっている。他者との関係の為に自身をないがしろにすれば、いずれは内側から関係は崩壊していく。そのバランスを知り得てこそ、彼女の和は珠であるのだ。
「あの子の心を変えたのは確かにアタシ達かも知れないね」
今度は絵麗菜の話にきちんと受け答えをする。考えての事ではない、今までに培った知識を連ねて紡いだだけものだ。絵麗菜よりも早く生まれた二年間、その経験で得た知は、思考すら必要としないままに彼女への答えを導きだした。
「でもそれって、ごく自然な事なんじゃないかい? 家族の言葉、学校の勉強、昨日観たテレビ……影響を受ける物はいくらでもあるってモンさ。大事だのは、受け取った本人がそれをどう思うのか、じゃないかね。絵麗菜はどう思う? 最近の瀬砂を見て、辛そうにしてると思った事はあったかい?」
そう問い返すと、絵麗菜はうつむいて黙り込んでしまう。しかし、その表情は僅かながら穏やかになったのを、瑠和は見逃さなかった。仕草でこそ思い返しているようではあったが、恐らく彼女の中では既に結論が出ているのだろう。それを見て小さく微笑むと、瑠和は改めて自身の思考に入り込んだ。
「そう、あの娘の心は変わってるんだよね……」
瀬砂の変化をここに来て再認識する瑠和。だが変わった瀬砂は、果たして自分が愛した瀬砂であると言えるのだろうか。そもそも、瑠和は瀬砂のどこを愛しいと思ったのか。
彼女を美しいと思った事は、鮮明に記憶されている。だが瑠和自身も、そこまで自分が人を顔でしか見ない人間とは思いたくない気持ちもあった。では愛したのは心か。しかしそれは、たった今変わった事を証明したばかりだった。繰り返される思考は、時期にゲシュタルト崩壊を引き起こしていく。
「……瑠和さん?」
名を呼ばれてハッと我に返る。見ると絵麗菜が心配そうにハンカチを瑠和へと向けていた。彼女の強い感性が、苦悩を外面にまで引き出していたのだろう。気付けば彼女の顔からは大量の汗が噴き出していた。その場を取り繕おうと乾いた笑いを浮かべるが、あまり意味はないようだった。
「大丈夫ですか? どこかお加減でも?」
「はは……全然平気。で、なんの話だったっけ?」
「いえ、ですからずっと電話が鳴りっぱなしです」
不安げにそう絵麗菜からそう教えられ、瑠和は思い出したように携帯に手を伸ばす。音は聞こえていたのだが、どうやら脳がそれを着信音と認識していなかったらしい。奇妙な現象に大仰な声を上げながらもなんとか平静を取り戻して画面を確認し、瞬間に顔が強張るのを感じた。発信者には国防省、とある。恐らくどこかで事件が発生したのだろう。
魔法少女達への連絡は、基本的に本人が所持する携帯電話へと寄せられる。彼女達の本分はあくまで学生であるため、必要以上に呼び出しへの緊張感を持たせないための配慮なのだと言う。彼女達に支払われる多額の報酬は、それらの通信費用も含まれているのだ。
瑠和はこんな時に、と小さく舌打ちをした。魔法少女の最大戦力、瀬砂を欠いている今に限っての呼び出しである。黒魔術教団のごとき大規模な事件ではないと良いのだが、そう思いながらもあまり良い予感はしていなかった。
「……もしもし、内藤です。絵麗菜も一緒に居ます」
スマホのスピーカーをオンにして、絵麗菜にも聞こえるようにしてから電話に出る。電話口から聞こえて来たのは、いつもの秘書官の声だった。仮にも緊急事態であろうに、相も変わらずその声色は微塵も動揺を感じさせない。
『国防省です。丁度良かった、松鳥さんにも連絡をお願いします。大規模な無差別殺傷事件が発生しました。至急現場に急行してください』
淡々とした口調で語られる、現場の詳しい位置情報を聞きながら、二人は顔を見合わせた。瀬砂の穴を埋めながらの戦闘、それも規模から察するに、犯人の中にはかなりの魔力を持った人間がいる事は間違いない。これから起こるであろう厳しい戦いに、自然と顔が引き締まる。皮肉にも、秘書官が最後に出した情報は、そんな二人にすら緊張を与えるに十分なものだった……。
『最後に、現場に居合わせた民間人の証言から、犯人は納部 莉理奈である可能性が濃厚です。十分な注意をお願いします』