6-2
『瀬砂、絵麗菜が犯人を見失ったらしいんだけど、そっちから何か見えないかい?』
電話の声に瀬砂は辺りを軽く見回す。狭い路地裏は壁と看板だらけだが、彼女には関係ない事だ。サーモグラフィを用いて熱源とその距離を把握、地図と照らし合わせればその位置などたやすく確認できる。
「そりゃ見えるけど。なんで絵麗菜が見失ったのに、アンタが連絡してくるの?」
『あの子、ケータイ持ってないからねぇ。アタシに念話で連絡してきたんだよ』
理由に納得すると、瀬砂は小さく「めんどくさいな……」と呟いた。対外魔力を持たない彼女は、魔法にて思念を直接飛ばす念話の類を行う事ができない。文明が発達した昨今、電話を使えば大抵は携帯電話で事足りるのだが、稀に今の絵麗菜のように電話を持っていないと言う人物がいるのだ。
魔道具の使用が、使用者の魔力総量を減らすと言う噂を今でも信じている人間はそう少なくないのである。医学的には全く問題ないと説明されて久しいのだが、そんな化石のような思考の持ち主は後を絶たない。
『犯人の現在位置を確認した。マップにマーカーを表示しておこう』
間もなく電話口とは違う場所から声が届く。研究所の彩人がデータの解析を終えたらしい。視界の端に移された地図に、赤い点が一つ表示された。この少しずつ移動している点こそが、今回追跡している連続ひったくり事件の犯人なのだろう。対内能力に優れた相手なのか、かなりの速度で走っていることが伺える。所々から聞こえて来る声に頭を押さえながらも、瀬砂は既に点在している緑のマーカーから絵麗菜を確認し、その位置を照らし合わせる。
「……これ、考えながら逃げてるのかな。絵麗菜のヤツ、完封じゃないか」
彼女からの道筋を確認したところで、瀬砂は目を丸くした。導き出されたいくつかのルートの中には、直線的に移動できる物が一つもないのだ。路地から出ないように移動すれば必ず看板に阻まれ、一旦上空に移動しても周辺が屋根に覆われている為今度は降りれなくなる。空からの追跡を考慮に入れているとしか思えない、見事な逃走経路だった。
「これじゃ捕まらない筈だよ……瑠和、犯人はアーケード街近くの繁華街の辺りにいるよ。通りに出られたら厄介だ、アンタは先回りして封鎖しておいて」
『了解だよ! で、絵麗菜はどう行けば良いんだい?』
「この位置からだったら一度来た道を戻って、途中中華屋の大きな看板が見えるからそこで迂回してから隣の路地に――ああ、もう! ややこしい!」
瀬砂の指示と同時に、電話口からはおおよそ人とは思えない勢いの足音が聞こえて来た。瑠和はすぐに行動に移ってくれたようだったが、絵麗菜はそうはいかない。彼女に伝えるべき内容を話しながらまとめようとしたが、途中であきらめた。とにかくルートが複雑なのだ。とても口頭で説明し、言伝で正しく理解してもらえるとは思えない。苛立ちながら通話を切ると、そのままケータイを投げ捨てたい気持ちをなんとか抑えて瀬砂は駆けだした。
改めて自身からのルートを確認しなおす。位置の関係で絵麗菜よりは幾分直線的に進む事ができそうだった。やはり上空からの移動は望めないが、そのギリギリの位置を壁伝いに移動すれば誰よりも素早く到着ができるだろう。万一逃げられても、相手の目指す大通りには瑠和が先回りしている。相手も身体能力は優れているようだが、二人で抑えれば追いついた絵麗菜が魔法で抑えてくれるはずだ。
「ふふっ……」
知らず、笑みがこぼれる。昔ならば考えもしなかった事だ。今までずっと一人で戦って来たと言うのに、気付けばこうして連携まで考えるようになっている。それも、相手は当時天敵だった絵麗菜と、疎ましく思っていた瑠和。瀬砂は、時の流れとは実に恐ろしい物だと改めて思った。彼女達と話すようになったからか、最近では他の魔法少女達とも関わる機会が増えて来た。それは、瀬砂自身にも変化があったからなのかも知れない。少しずつではあるが、彼女を取り巻く環境は変わりつつあるのだ。
「……そこか!」
自分が満たされている事を再認識したところで、彼女は目標を発見する。まだ人気のない路地裏に位置する地点、そこを女性物のカバンを持った男が必死な様子で走っている。間違いなく、先日モンタージュで確認したひったくり犯である。幸い、相手は瀬砂の存在には気付いていないようだった。彼女は足跡も上げないまま速度を上げ、ビルの壁へと駆けあがる。そして相手の頭よりやや上まで登った所で、跳躍。
「確保ォォッ!」
そこまでした時点でひったくり犯もようやく瀬砂を視界にとらえたが、既に遅い。彼女を見る為に向けた側頭に、凄まじい助走をつけた上での飛膝蹴りが突き刺さっていた。男は瀬砂の膝に踏み潰されながら、滑るように地面へ倒れ込む。勢いが止まる頃には、既に白目を剥いたまま身動きを取らなくなっていた。
「ははっ、取った……!」
それでも瀬砂は、男に跨りマウントポジションを取る。拳を振り上げながら笑う姿は、ほんの数秒前の笑顔とはまるで違う、まさに狂える魔女のそれであった。彼女は忘我の境地にあるまま、その鉄拳を振り下ろそうとする。狙いは腹部。そこならば恐らく一撃では死なないと言う事が、彼女にはわかっていたのかも知れない。しかし、それも叶う事はなかった。
「瀬砂!」「瀬砂さんっ!」
前後から、ほぼ同時に声が聞こえて来る。顔を上げて最初に見えたのは瑠和の姿。持ち前の風の如き素早さで駆け寄って来る。振り向けばそちらには絵麗菜だ。地上に戻ってから地道にここまで移動してきたらしい。二人が心配そうな表情で瀬砂の元までたどり着いたのは、ほぼ同時の事だった。
「二人共、間に合ったのか……」
「連絡が来なかったせいで、随分迷いましたがね! でも、犯人は確保できたようで何よりですわ」
言いながら絵麗菜は気絶したままの犯人に手錠を掛ける。瀬砂が咄嗟に拳を隠した事には気付いていないようだった。
「全くだよ。誰も怪我してないみたいだし、何よりさね」
続いて瑠和。彼女は半ば引きはがすような動きで瀬砂を犯人からどけ、倒れた犯人の肩を抱いて起こす。そのまま二、三歩後ろに下がって距離を取ると、彼女に笑いかけた。その笑顔にどことなく安堵の色を見たのは、瀬砂の気のせいだっただろうか。
「じゃあ、コイツはアタシらで警察に引き渡しておくね。瀬砂は少し休んでおいた方が良い……ちょっと、疲れた顔してるよ」
「……え?」
瀬砂には一瞬、瑠和の言葉の意味が理解できなかった。サイボーグである彼女に疲れの概念はない。疲労とは限界以上に動こうとする事に対する身体からの警告であり、機械化された彼女の身体の限界は人間のそれとは比較にならない程遠いのである。
しかし、瑠和に限って見間違いとは考えにくい。ならばその原因とは、彼女が何かの理由で方便を述べたのでは、とまで考えた所で瀬砂は自身の身体の異常に気付いた。確かに、身体が思うように動かない。いや、動かない事はないのだが、挙動に若干の鈍さを感じた。恐らく瑠和は、その異常を疲労と判断したのだろう。だが今は、それよりも動かない身体の事の方が気掛かりだった。一体何故? そんな疑問が瀬砂の思考を埋めていく。
「……そうだね、悪いけどそうさせてもらうよ」
それだけ言うと瀬砂は、足早に彩人の研究室へと向かった。道中での故障を怖れ、飛行能力も使用せず、走る事にすら慎重になりながら……。