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5-8

「ゴ……おぉ……」


 顔面が歪む程の一撃を受けた莉理奈は、わずかに開いた口でそう呻いた。そのまま首が飛んでも良いと言うつもりで殴った瀬砂だったが、この程度で済んだのは手の痺れ故か。莉理奈自身の強い対内魔力も影響しているのかも知れない。だがそれ以上に、今の瀬砂は高揚していた。


「やっといつぞやの礼ができたね」


 歯を剥き出しにして笑う。失った右腕の礼を今確かに返したのだ。それは一方的だった立場が逆転した事への、何よりの証左だったと言えるだろう。この瞬間、莉理奈の理不尽なまでの有利は失われたのである。


「でもまだ、借りはたっぷり残ってるよ。きっちり身体で返して貰おうかッ!」


 言いながら瀬砂は拳を引いて構え直した。それを見た莉理奈は「ひっ」とだけ短い悲鳴を上げると、大きく飛び退いた。あれだけの一撃を頭部に受けながら、未だ身体を動かす事は可能らしい。そんな頑丈さからも、莉理奈の高い魔力は伺い知れた。

 だが、遅い。やはり脳にかかった衝撃は命令の伝達を妨げ、確実に動きを鈍らせているようだった。彼女を逃がすまいと、瀬砂は矢の如く飛び出した。


「瀬砂さん!」


 拳を振り上げ、飛び込みからの一撃を加えようとした彼女を止めたのは、類だった。その腕の中では絵麗菜がぐったりとした様子でもたれ掛かっている。彼女の姿を見ると、高揚していた瀬砂の思考が急激に落ち着いて行くのが分かった。


「今は、絵麗菜が優先か……」


 そう呟き、逸る気持ちを無理矢理に押さえ込む。一息を置いて、彼女は戦闘時と同等の俊足で二人に近づいて様子を伺った。絵麗菜をスキャニングして結果を見ると、ふっと口元から緊張が抜け落ちるのを感じた。


「大丈夫、魔力を急激に消耗したから疲労が来ただけだよ」


 心配そうにしている類にそう告げると、彼は胸を撫で下ろした。その姿すらも女性的に見えるな、と笑う瀬砂だったが、莉理奈を殴った拳の疼きが止まる事はなかった……。






「そうかい、莉理奈が……」


 遅れてやって来た瑠和は、瀬砂達の話を聞いてそれだけ答えた。隠してはいるようだが、苦々しげな表情が心境の複雑さを物語っている。無理もない、かつての友人が、友人の弟を認識できず、挙句殺そうとしたと言うのだ。間に立つ者としては思う所も多いだろう。もっとも、それは姉を殺していると言う時点で十分すぎる程に痛感していることだろうが。


「残念だけど今回は取り逃がしたからね、機会があればまた会う事になるよ」


 瑠和の悲愴な表情に、瀬砂も思わず慰めの言葉を口にする。彼女は彼女で莉理奈をみすみす逃がしてしまった事に苛立っていたと言うのに、他の者達と話している内にいつの間にかすっかり落ち着いてしまっていた。すでに他者のフォローに気をやる立場になっている自分に、内心では少し驚いている。


「ああ、その時は手伝っておくれよ」

「気が向いたらね」


 そう言って来る瑠和の目には決意の色が見えた。こうは言っても誰の助けも借りるつもりはないと言う目だ。それも使命感や不要なこだわりからではない、純粋に一人でも勝てるのだと視線で語っている。これが最年長の貫禄と言う物か、瀬砂は彼女の底知れなさを思い知りつつも、もう心配はないのだろうと言う確信を覚えた。


「さて……」


 瑠和が問題ないならば、と類の方を見る。莉理奈が逃げ去った方を無言で見つめ続ける彼に動きはない。少しずつ昇ってきた夕日の光が両の目を刺激し、その表情を読みとる事はできなかった。


「莉理奈さんに、弱いのはいけない事だと言われてしまいました」


 呟きと言うには大き過ぎる声で、類はそう告げた。その言葉は誰にと言う事もなかったのかもしれない。しかし、近づいていった瀬砂にはまるで自分に向けられた言葉のように感じられた。声を掛けようとするが、止める。見つからなかったのだ、このような時に掛けるべき言葉が。

 今の類の気持ちは複雑極まりない。失恋にも似た想いから逃げ出した先で姉の友人にして仇と出会い、言われた台詞がそれなのだ。今彼が何を思っているのか、それすらも瀬砂には判断できなかった。


「類くんさ――」

「だから、強くなろうと思います!」


 それでも何か言おうと喋りかけた瞬間、類は力強くそう続けた。突然の事に、瀬砂は思わず「わぁっ!?」と情けない声を上げる。その声でか、あるいは最初から気づいていたのか。類は彼女に振り向いて言葉を続ける。


「僕、思い切って縁君に気持ちを伝える事にしました」


 類の宣言は、直前とは違う意味で瀬砂を驚かせた。先程まであれほど悩んでいたはずの彼は、今では信じられない程に快活だ。初見でのなよなよとした印象は既になく、芯のしっかりとした真の意味での淑女と言った出で立ちは、性別の差異を踏まえてみても美しい。この僅かな間に一体何がこれほどの変化をもたらしたのか、瀬砂には想像もつかなかった。


「瀬砂さんと絵麗菜さんを見ていて思ったんです。本当に仲良くしたい相手には、本当の気持ちをぶつけたいって」

「!!」


 思わずはっと息をのむ。目から鱗が落ちるような思いだった。この少年のたった一言が、瀬砂の感じていた疑問を氷塊させていく。

 彼女が絵麗菜に感じていた苛立ちは、つまりそう言う事だったのだ。浅染 瀬砂と言う人間を、もっと彼女に理解して貰いたかった。だから似た者に感じていた類が否定されるのを、黙って見ている事ができなかった。とどのつまり瀬砂もまた、松鳥 絵麗菜と言う人間を好ましく思っているのだろう。


「なんだ、後輩に教わってばかりじゃないか、ボクは」


 思わず自嘲気味な言葉が口を突いて出たが、嫌な気分は全くしなかった。今なら少し解る気がするのだ。人とは元々歪な原石のような存在で、こうやって間違いを正し合いながら少しずつ形を整えて行くものなのではないだろうか。自分は今まで人と触れ合って来なかったから、だからこうも歪んでいるのかも知れない。このまま絵麗菜達と付き合っていれば、自分もいずれは――


「……瀬砂さん?」

「……え? うん、なに?」


 知らない内に、随分と物思いにふけっていたらしい。気付けば心配そうに自分の顔を覗き込む類が目前にいた。見れば瑠和と絵麗菜も、近くまでやってきている。三人のあまりに神妙な顔つきに首を傾げると、おずおずとした表情で類が内々の疑問に答えた。


「大丈夫ですか? 手、震えてるみたいですけど……」

「え……」


 言われて両の手を眼前に持ってくる。彼の言う通り、そこにはカタカタと音でも聞こえそうな程に身を震わせる、彼女の掌があった。機械化しても身体の震えはあるのだと、場違いな事を考える。いや、その程度しか考える事がないと言うべきか。瀬砂自身には、その震えの原因に全く覚えがないのだから。


「……なんでもないよ。そんな事より、類くんは告白を頑張るんだね。ボクにここまでさせておいて、やっぱりできませんでした、なんて許さないよ」


 手を後ろで組みながら、瀬砂はそう答えた。類はそれを聞いて、苦笑混じりに困り顔をしてみせる。そんな彼の反応に残りの二人もまた破顔した。皆が笑い合う中、笑顔の下で瀬砂は内心冷や汗をかいていた。背中に回された彼女の両手は、未だに震えたままだったのだから……。

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