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「へぇ……それじゃあ、あの秘書官が色々と世話焼いてくれたんだ?」
袋詰めの羊羮にかじりつきながら瀬砂は問い返した。
浅染 瀬砂と言う少女は、その大人びた雰囲気に反して甘党である。過料に摂取する訳でも、過剰になんでも甘くする訳でもないが、おしるこの小豆が汁の容量を減らす事を気にする程度には甘党と言える。結果、彼女が入り浸る彩人の研究所には常にの菓子が常備されるようになった。そこにある物は全て私物であるため、奥で何かの作業を黙々と続ける|家主(彩人)に声すら掛けず、勝手に中身を取り出していく。
「ええ、姉が亡くなってからは、よく気にかけてくださいました」
彼女に振る舞われたそれを、類はと言うと丁寧に皿へ盛り付けていた。もっちりとした表面の感触を楽しみながら、彼は何かを懐かしむように目を細める。初めこそ連れてこられた奇妙な施設に落ち着かない様子だったが、眼前で呆れ返る程くつろいでいる瀬砂を見ては緊張も薄れると言うものだろう。
「そんな事より、絵麗菜さんはあのままで良かったんですか?」
落ち着きを取り戻したところで、気になっていたらしき事をやっと口にする。彼としては気が気でなかったのだろう。考えようによっては、彼が二人の仲違いの原因を作ってしまったような物なのだから。
「良いんだ。遅かれ早かれ決着を着けなきゃいけない問題だったんだから」
だが、彼女からしてみればそんな印象は一切ない。元々うやむやにしたままで結ばれた交遊なのだ、浮き彫りになればこうなるのは自明の理である。関係修復の為にはどちらかが譲歩するしかないだろうが、少なくとも瀬砂にそのつもりはない。瀬砂にとっては、それは存在そのものを否定される事と同義なのだから。
「アンタには他人の心配より、これからの事を考えて欲しいね。その為に不本意ながら先輩を呼んだんだから」
ため息混じりにそう言う彼女を、類は不思議そうに見つめる。言葉の意味が分からない、といった様子の彼に瀬砂はただ一言「その内わかる」とだけ返した。その返答は彼が求める答えとは程遠かったが、すぐにそんな事はどうでも良くなった。なにかけたたましい物音が、研究所に向かって近づいてきたのである。
「せっすな~ぁ!!」
「そら来たァッ!!」
やがて騒音は研究所の内部へと侵入し、瀬砂に襲いかかった。しかし、それを予知していたかのように彼女の対応は鮮やかだ。姿を視認しないままに放った瀬砂の後ろ足刀は、見事に抱きつこうと飛び込んできた音源……瑠和の鳩尾へと直撃している。悶絶して床を転げ回る瑠和だったが、復活は意外と早く十数秒後にはよろよろと立ち上がった。
「呼び出しておいてこれはちょっと非道くないかい……?」
「だから風穴が空かない程度に抑えてやったでしょ?」
瀬砂はまるで伝わらない優しさを主張するが、当然納得はされない。そんなことは些末だと言わんばかりに、彼女は本題に入った。
「ちょっとコイツの相談に乗ってもらおうと思ってね」
言いながら瀬砂は類を瑠和の前へと押し出す。瑠和は一瞬、獲物を狙う猛禽類のような目をしたが、すぐに神妙な顔つきに変わり、やがて訝しげに彼へ問いかけた。
「……なんだ、類君じゃん。どうしたね、その格好は?」
美少女でなかった事が不満なのだろう。瑠和の表情は落胆に雲っていたが、それでも絵麗菜と比べたら格段に好意的である。
幸い優里那の友人である彼女は、類とも面識があったらしい。面倒な説明は省いても心配はないだろうと、瀬砂は最低限の経緯だけを話した。
「……そこで同性愛者の先輩にありがたい言葉でももらおうと思ったんだけど」
一通り瀬砂の話を聞くと瑠和は「なるほどねぇ……」と何度か頷いた。我ながら無理のある相談だとも考えていたが、マイノリティの苦しさだけは瀬砂にも理解できるところである。せめて話せない苦しみを取り除く程度はしたい、と言うのが瀬砂の目的だった。
「んじゃあ、類。ちょっとこっちに来て」
しかし、意外にも瑠和は何か思うところがあったらしい。類に手招きをして、自分のすぐ近くへと呼びつける。特に警戒する風もなく近付く類だったが、その直後に目を見開いた……のだろう。もっとも、顔は完全に胸に埋もれてしまっているので確認のしようがないが。その様子を唖然としながら眺めていた瀬砂だったが、瑠和の手が類の股間に伸びたのを見てやっと身体が動いた。彼女は咄嗟に、腕に捻りを加えながら拳を打ち出す。コークスクリュー・ブローである。しかしそれも警戒していたのか、直前に瑠和は距離を抱き締める手を離し、瀬砂から距離を取った。
「瀬砂、友達相手にそのあり得ないきりもみ回転はエグくない……?」
「やかましい! 昼間から何をしようとしてるんだ、アンタは!?」
「何って、確認さね」
側で真っ赤になって立ち尽くす類も、今にも二の太刀を浴びせようと言う瀬砂も気にせず、瑠和は平然と語った。瀬砂は未だ猜疑の目を向けたまま、瑠和の言葉の続きを待つ。
「要は単純に男が好きなのか、何か理由があって好きかって話さね。ほら、よく男をひたすら毛嫌いするレズとかいるだろ? ぶっちゃけああいうのはアタシの仲間じゃない」
瑠和の言い分を、瀬砂はゆっくりと咀嚼していく。男を毛嫌いするレズと言うのはつまり、男が嫌いだから消去法で女性を好む、と言う事だろうか。確かにそういう意味では、瑠和は含まれないだろう。彼女は別け隔てなく友好的で、現に類とも問題なく話しているのだから。
「要は男嫌いの言い訳に、後付けでレズになっただけなのさ。生まれ持った物じゃないなら、いくらでも変えられる」
そう語る瑠和の目は冷たかった。生粋である彼女にとって、それらはただのまがい物であるかのように、吐き出される言葉にも棘が混じる。
しかしひとしきり言葉を終えると、いつもの彼女に戻り、今度は類の方へと目を向けさせた。未だ顔が赤いままの少年は、見るからに動揺した風情だ。瑠和が触れようとした部分がどうなっているかなど、確認するまでもない。
「……ご覧の通り、類君の場合はたまたま好きになったのが男ってだけだね。女の子に興味がない訳じゃない。初恋なんてはしかみたいなモンさ。その後ちゃんと女の子を好きになれば大丈夫だよ」
最後の言葉を聞いた瞬間、瀬砂は硬直した。絶望感が彼女の身体を金縛りにする。何故、仲間である筈の瑠和すらこんなことを言うのか。そんな疑問と怒りが、少しずつそれを氷解していく。だが、それよりも早く動けるようになったのは類だった。
「……ッ!!」
何も言葉に出さないまま、類が駆け出す。それを追いかけるまでには、瀬砂の思考は至らない。呆然と彼を見送った後に、思い出したように瑠和へ問いかけた。
「なんて事言うんだよ! 好きな子がいるって聞いてたでしょ? あんな風に言われてショックを受けない方がどうかしてる!!」
「でも、諦めた後は傷つかない」
その声は問いかけと言うにはあまりにも怒気が強く、既に罵倒と言っても差し支えがない。しかし瑠和は、怖じる事なく言葉を返した。労わった風にも取れる彼女の口調は、相変わらず冷たい。それが相反する二つの気持ちを抑える為なのだと気付くのに、瀬砂は少しの時間を要した。
「アンタも分かってるだろう? 悪癖なんて、直るなら直した方が良いに決まってるんだ。同性愛のせいでこれからの人生苦しみ続けるくらいなら、子供の恋心の一つや二つ、犠牲にした方が幸せなんだろうさ」
瑠和の言葉は重い。彼女自身、同性愛者として恐らく多くの苦悩を抱えてきたのだろう。故に、今の気持ちを捨ててでも歪みを矯正すべきだと言う。経緯に違いがあるとは言え、絵麗菜と同じ事を。彼女は彼女なりに、類の事を思ってのあの言葉だった。今更ながら瀬砂は、絵麗菜への辛辣な態度を少し悔いた。だが、
「……それでも、ボクは後悔をした事はないよ」
それが、瀬砂の答えだった。確かに、彼女もその異常な性癖故に苦しんだ事は決して少なくない。だが、例え苦しくても自分を曲げる事はしなかった。だからこそ今の彼女がいる。魔法少女をもって暴力を正義とする、浅染 瀬砂と言う少女が。
「あの子はああ見えて根性があるよ。だからどんなに苦労をしてでも、本当に欲しい物を掴み取れると思う」
瀬砂の決意を聞いた瑠和が、これ以上彼女を引き止める事はなかった。彼女の「行くよ」と言う言葉に頷きだけを返し、その背中を見送ってくれる。晴れやかな気持ちで類を探しに飛び出した瀬砂だったが、鈍色の曇天はこれから起こる嵐を予感させていた……。