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「あー……ちょっと考えを整理して良い?」
すぐにでも類へと食って掛かりそうだった絵麗菜は、なんとか気持ちを押しとどめたのか「……どうぞ」と唸るように返した。それ以降も送られ続ける刺すような視線に耐えながら、瀬砂はベンチに座り込んだ。彼女にも色々言いたい事はあったが、特に気になったのは三点。
一つは類の本名についてだ。瀬砂には姓を新出と名乗ったが、実際には茨木と言うらしい。ただ、これに関してはそう不思議な事でもない。これまでの出来事から、類が只者ではない事は判っていたし、その身分を隠す為なら偽名程度使う事もあるだろう。実際、茨木と言う家名には彼女も聞き覚えがある。それがどこでかはすぐには思いつかなかったが、兎角魔法の名門と言える家柄だったらしいと言う事はよく覚えていた。その跡取りともなれば隠すの事もあるだろうし、名前程度ならば言葉でいくらでも隠せるのだ、こちらもそれほど驚く事もない。瀬砂にとって最も大きくのしかかる問題と言えば、最後の一つ。
「……え、弟? ってことは、男?」
「そこに行き着くのに随分掛かりましたわね……」
やっと出てきた言葉に、絵麗菜はため息を漏らす。そこには瀬砂の飲み込みの悪さに対する呆れと、気付いてはくれたと言う安堵が複雑に混じりあっていた。
一方瀬砂はと言うと、更なる混乱に足を突っ込んでしまう。先程までさんざ、可愛い可愛いと内心連呼していた少女が、実は男だったなどと言われては無理もあるまい。逆にこの娘のどこに男らしい要素があるのか。多少の個人差はあれど、彼女くらいの年齢は丁度、身体に性差が現れてくる頃のはずだ。多少それらしい格好をした程度でごまかせるものではない。名前や身分とは違い、外見に出るものなのだ。それを隠しおおせるなどとは考えられなかった。
「いやいや、それはないでしょ」
「挙げ句に結論がそれですか!?」
困惑の色を見せつつ、絵麗菜は頭を抱えてしまう。頑なに彼女の言葉を信じようとしない瀬砂に、どう説明すべきか考えあぐねているようだった。要は男にしかないものを示せば話は早いのかも知れないが、彼女の気位がそれを許すまい。八つ当たりと言わんばかりに、類を睨み始める。
『瀬砂、新出 類をスキャンしてみてはどうだろうか』
「うわぁっ!?」
お互いに意見を譲ろうとせず、膠着状態になりそうになったところで、瀬砂の耳に突然声が流れた。彩人だ、話を聞いていたらしく、対応策を挙げてくる。
「ずっと聞いてた訳? ストーカーかアンタは!?」
『私はいつ君がサポートを必要としても良いように待機している』
「……一番気持ち悪いファンはここにいたよね」
『心外だ』
瀬砂の文句にもまるで堪えた様子のない彩人の声。この男に何を言っても無駄なのだろうと思い直し、彼女は助言通り、類の身体全体を視界に入れる。
「瀬砂さん、どうかしまして?」
「ちょっと待って、今確認する……ほら、データ送ったよ」
カメラ搭載の眼球から、読み取った類の情報が彩人へと送信される。それを見ながら何か操作をしているのか、彩人の側からはパチパチとキーボードの音が響いてきた。やがて音が止まると、再び彩人が話し掛けてくる。
『解析終了だ。染色体、骨格、ホルモンバランス、全てのデータが、新出 類を男性だと示している』
「嘘だろ……」
機械的に告げられた分析結果に、瀬砂は心なしか頭痛を感じた。この男が嘘をつくとは、彼女も毛頭思っていない。彼が言う以上、真実類は男なのだろう。なんと荒唐無稽な存在なのか、瀬砂はあろうことか男に可愛いを連発し、挙げ句恋バナまでしていた事になる。いや、今となってはあの話が真実かどうかも怪しい。彼が好きだと言ったのは、同性なのだから。
「……ねぇ、じゃあ縁君の話は? あれもボクを騙す方便だった訳?」
そう考えるとふつふつと怒りが湧いてくる。自分の事を騙しただけならいざ知らず、あれだけ熱く語っていた想い人が嘘だったなど、見過ごせる話ではない。理屈ではない、感情が彼を許さないのだ。
類は未だだんまりを決め込み、口を開こうとしない。だが、答えは聞く必要が無さそうだった。絵麗菜の攻め口にも落ち着いた様子だった彼は、その時涙を流したのだ。同時に、見てとれる程の辛さが浮かんでくる。嘘のばれた身を案じている、と言う訳ではない事など、一目瞭然だった。
「気持ち悪い、ですよね……男なのに、男の子が好きなんて……」
絞り出すように類がそう口にする。その声だけで、瀬砂は全てを察した気がした。彼は自分の性癖が特殊である事を自覚している。それがおかしな事だと解っているのに、自分で自分を止める事が出来ないのだ。その胸の苦しみは、ただの恋心だけでは説明しきれまい。今瀬砂の目の前にいるのは、ある意味女性以上に女性の苦しみを知る、新出 類と言う少女なのである。そう気付いてしまえば、彼女には類を責める事などできなかった。しかし、
「恥を……恥を知りなさい!」
瀬砂の思考を遮ったのは、ヒステリックにも聞こえる絵麗菜の罵声だった。普段の上品で分け隔てない雰囲気からはかけ離れた、侮蔑を含んだ瞳が類を射抜く。
「貴方……貴方は今、自分がどれだけ恥知らずな事をしているか解っていますの!? 名家茨木の跡取りともあろう者が女の真似事などして、挙げ句男の方が好きなどと……全くもって不潔です! 悔い改めなさい!」
それからは矢継ぎ早に罵倒の言葉が並べ立てられた。名家の誇りに溢れ、秩序を重んじた言霊は、いかにも絵麗菜らしい正論ばかりだ。だからか類も反論する事はなく、ただただ悲痛な面持ちのまま耐え続けている。強い子だと、瀬砂は思った。きっと自分ならばあのようには耐えられない。いや、実際今まさに耐えられなくなっている。類に向けて灯されたはずの怒りの炎は、いつの間にか絵麗菜へとその矛先を変えていた。
「お姉さまがご存命なら、きっと今の貴方を見て悲しんで――」
「もう良い! 聞き飽きた!」
気付けば瀬砂は、絵麗菜をも上回る怒声で彼女を黙らせていた。何が起こったのかと振り向く彼女を無視して、類の元へと歩み寄る。そして彼の肩に優しく手を置きながら、ゆっくりと絵麗菜へと向き直った。
「……そうやってアンタは、この子を殺す訳?」
「なっ……!?」
おぼろげに浮かんできた言葉を、そのまま投げかける。絵麗菜は突然の乱入と、一見意味の分からない瀬砂の言葉に一瞬押し黙った。その時の彼女の表情が、思い付きだけだった瀬砂の言葉に明確な意味を与えていく。絵麗菜の反論が始まろうと言う頃には、彼女の思考は澄み渡っていた。
「私は別に、彼を殺そうなんて――」
「同じだよ。この子も、ボクも、アンタの大好きなルールの中では生きられない」
絵麗菜の言葉は正しい。現状この国において女装は一般的ではないし、同性婚も認められていないために終着へも辿り着けない。世間の目を考えれば、このまま幸せに生きることは難しいだろう。だが、
「それを無理に生きられるようにするって事は、生まれ持った自分を殺すのと同じでしょ?」
人並みの幸せを手にいれるために個性を捨て、本当に望む物を失って、それは果たして自分は幸せになれたと言うのか。いや、そもそも生きていると言えるのか。感性や個性に彩られて初めて確立する個人は、そこにはもう存在しないのである。周囲から迫害され続けても、なお変わる事がなかった瀬砂の行き着いた結論だった。
「アンタの主義主張にいちいちケチつけるつもりはないよ。でも、それを押し付けるって言うなら、ボクはもう友達じゃいられない」
絵麗菜はなにかハッとした表情になったが、気にせずに類を連れて公園を出る。これ以上彼女の顔を見続けると、本当に殺意が湧いてきそうな程、瀬砂の苛立ちは加速していた。心配そうに見つめてくる類にも目もくれず、ただただ足だけが止められない程歩みを進めていく。まるで、これ以上絵麗菜を嫌いたくないかのように……。