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5-3

「ふっ……」

「っ!? はっ!」


 フェイントを絡めてからの足払いに、類は冷静に掌を添えてくる。瀬砂はいなされまいと足を引っ込めると、大きく飛び退いて追撃を制した。類に追いかけてくる様子はない。それどころか、彼女はこの模擬戦が始まってから、ほとんどその場から動いてはいなかった。

 臆病などとはもう瀬砂も思わない。それならば瀬砂の攻撃にすぐ逃げ出していただろう。類は彼女の猛攻を全て止めていた。いや、正確には受け流していたのだろう。そうでなければ華奢な体躯が耐えられる筈がない。無論魔法は弱めてあるし、腕力も調整してあるが、果たしてそれも必要だったのかどうか。瀬砂の全力をもってしても、類に有効打は届かないのではないかと錯覚する程に、彼女の動きは繊細でしなやかだった。一般的な女性よりは対内能力の比率は高いようだが、それだけではこうはいくまい。今ならば解る、彼女の華やかな衣装は戦場を知らないが故の油断ではなく、戦場にあってなお優雅さを忘れぬ信念なのだと。


「……このくらいにしよう。このまま続けてもボクが疲れるだけだ」

「あ、はい。ご指導、ありがとうございます」


 瀬砂が諸手を上げてそう言うと、類も構えを解いて近付いて来る。それだけで空気ががらりと変わり、類自身にも先程までの気弱そうな雰囲気が戻ってきた。その切り替わりに、もはや瀬砂には苦笑する事しかできない。


「むしろこっちが思い知らされた感じかな……あれは合気道? 凄い見切りだったけど」

「少し我流が入ってしまっていますけれど。遺伝か何かなのか、目は良い方なんです」


 それを聞いて瀬砂はしきりに頷いた。確かに類は、女性にしては魔力の対内傾向が強い。それも、瑠和と同じく神経へ比重が置かれているようだった。これならば視力も相当の物になるだろう。だがそれが格闘技にここまで直接的に関係すると言う事が驚きだった。


「眼か……格闘技を学ぶと動体視力が上がるって言うけどね」


 逆もまた然り、と言ったところか。動きを目で追う事の重要さを、瀬砂は改めて実感していた。同時に、自らを強く戒める。視力一つでこれだけの身体能力差を埋められると言う事は、それだけ自分が視力を軽んじていたという事だ。武芸を学ぶ者の端くれとして、その事は胸に刻んでおかねばならない。


「まったく、これじゃあどっちが先生なんだかね」


 思わず苦笑が漏れる。研修などとよく言った物だ、と言うのが瀬砂の素直な感想だ。実際蓋を開けば、瀬砂は学ぶ事ばかりで類には何も教えられていない。むしろ、彼女に何か教わるべき事などあるのだろうか。ベンチにすらハンカチを敷き、優雅に座る類を見て、瀬砂はそんな疑問を持った。


「そんな事はありません。こんな物よりもっと大事な事を教わっています」


 拳を握り締めながら、歯がゆそうに類が言う。一見謙遜とも取れるそれは、しかし彼女の瞳が否定していた。誇りと言える物は一切なく、ただただ虚空だけを見つめる視線は、その中にある虚無だけを見つめている。恐らく、合気道を学ぶ中で彼女の求める物は手に入らなかったのだろう。もはやその「求めている物」がなんなのかは考えるまでもないが。


「その縁って子の感性を疑うよ。こんなに甲斐甲斐しく尽くしてくれる、可愛い幼馴染みがいるのに、なんでボクなのかね?」


 ぼやきながら、瀬砂は改めて類の事をしげしげと観察する。そして見れば見る程、彼女から滲み出る完成された可愛さとでも言うべきものを感じていた。

 少なくとも表面から見た限り、彼女の可愛さはそつがない。可愛らしい衣装、可愛らしい仕草、今の頬を赤らめる表情ですら、まるで作り出したように「可愛い女性」として理想的な言動をなぞっている。そんな彼女が進んで武術を学ぼうとするとも考えにくい。恐らくは縁が先に入門して、それに釣られて自分も、といった所だろう。それでもその少年は彼女に見向きもしないというのだから、余程奇怪な嗜好をした人物なのだろう。


「……」


 こんな事を言ったら、また類は機嫌を悪くしてしまう。そんな瀬砂の予想に反して、彼女はじっと押し黙ってしまった。俯いた顔を覗き込んで見ると、辛そうにも悲しそうにも取れる表情で地面を見つめている。その様子はなんとなく、ただの報われぬ恋に悩む少女とは違うようにも見えた。それ以外にも違和感を覚えた部分はいくつかあったように思うのだが、瀬砂にはそれが何処なのか、何故なのかと言った細かい部分が判らない。心にかかったもやのような疑念に、彼女はずっとやきもきしていた。


「あら、瀬砂さん」


 意識を眼に集中させ始めたところで、不意に別の感覚へとアプローチがやって来る。同時に類がびくりと肩を震わせた。不自然に大きな反応に、瀬砂は何事かと目を丸くしたが、無視されたと勘違いして呼び掛ける声の対応に追われる。特徴的なソプラノの声に、大きめの声で返した。


「そんな大声を出さなくても聞こえるよ、絵麗菜」


 頭をかきながら振り向くと、いたのは予想通りの人物。敷地を区分ける柵の向こうでは絵麗菜が「そんな大きな声は出してません!」などと憤慨していた。ずんずんと音でも立ちそうな足取りの割りに、柵を飛び越えたりせずに入り口まで回り込むのは、育ちが由来してのことか。


「珍しいですわね、こんなところで談笑だなんて」

「こんなところにいるのが珍しいのか、談笑しているのが珍しいのかはっきりしてもらおうか」


 話せる程度まで近付いてから一言二言雑談を交わす。すると間もなく、絵麗菜の視線が瀬砂から少しずれた。目で追ってみると、そこでは類が隠れるように瀬砂の後ろに佇んでいる。全身をぶるぶると震わせる様子は、彼女と初めて会った時以上に弱々しい物だった。


「アンタ、ボクは平気で絵麗菜は怖いの? 普通逆でしょ」


 瀬砂の呼びかけに類が応える事はない。さすがにおかしいと思ったのか、絵麗菜は訝し気に類の顔を覗き込もうとした。しかし類もうまいもので、巧妙に瀬砂の影に回り込み、絵麗菜の視線を遮断する。そんな応酬を何度か繰り返したところで、諦めたのか絵麗菜の標的は瀬砂に移った。


「瀬砂さん、この子は?」

「さぁ? 魔法少女の研修だとか言ってたけど、本当の所はどうなんだろうね……類、挨拶くらいしたら?」


 そう言われて、類は隠れたまま蚊の鳴くような声でこんにちはだけを告げる。それが聞こえていたかは定かではないが、絵麗菜の表情は更に鋭くなる。唸るように「ルイ……?」とつぶやくと、先ほど以上の勢いで彼女の姿を見ようとした。それでも持ち前の動きで視線をかわす類だったが、ついに絵麗菜も痺れを切らせる。


「ちょっと貴女、顔を良く見せてくれないかしら?」

「……」

「早く!」


 声を荒げる絵麗菜に類も観念したらしく、ついに瀬砂の後ろから横へと移動した。未だばつが悪そうに視線を合わせようとはしないが、絵麗菜にとってはそれで十分だったらしい。彼女は呆れと侮蔑を帯びた冷たい視線で、類を睨み付けながら問いかけた。


「やっぱり……類君、貴方こんな所で、そんな恰好で何をしているの?」

「類……君?」


 絵麗菜のあまりな態度に口添えをしようとした瀬砂だったが、彼女の口から発せられた言葉によって喋れなくなる。それだけでは意味が取れないが、絵麗菜は何かおかしな事を言っていないか。思わずオウム返ししかできなくなっていた瀬砂に、絵麗菜は「貴女がどこまで知っているかは知りませんが……」と注釈した上で、はっきりと告げた……。


「その子は茨木 類(バラキルイ。茨木家の跡取りで、優里那さんの弟です」

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