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「……あの時は優里那の言ってる意味が解らなかったけど、すぐに思い知らされたよ。15期生がアタシ一人になってたんだからね」
感傷的な雰囲気を匂わせながら、瑠和はそう締めくくった。話が終わった事に気が付くと、瀬砂はあくびをしながら顔を上げる。眠りが浅く、全く身体を休めた気がしなかった。話をしている瑠和はとにかく声が大きく、眠っている間も絶えず聞こえてきていたのだ。まさか絵麗菜以上にうるさいと思う存在がこうも身近にいるとは。お陰でなんとなくではあるが、話の内容も理解できた。
「裏切りにあって不意打ち喰らったって言えば済む話でしょ。要点を言って、要点を」
理解した上で瀬砂は呆れ気味にそうまとめた。的確ながら見も蓋もない言葉に、瑠和の衝撃的な思い出話はあっさりと打ち崩されてしまう。瑠和は苦笑いするだけだったが、反応は意外な所から飛んできた。後ろからピシャリと頭をはたかれた瀬砂が振り向くと、そこにはぼろぼろと泣いている絵麗菜が立っていた。
「瀬砂さん! 折角のお話に水を差さないでください!!」
興奮のあまりわざわざ席を立ってまで瀬砂を叩きにきたらしい。そこから彼女の感受性の豊かさを実感すると共に、先程の冗長な話の何処に感動の要素があったのか、瀬砂は首を傾げた。
「……絵麗菜、ケータイ小説には手を出さない方が良いよ」
思ったままを口にしても、絵麗菜はキョトンとしただけだった。恐らくケータイ小説と言う物がなんなのか、よく判っていないのだろう。瀬砂も実際に読んだ事はないが、良くない噂だけはよく耳にしている。彼女にはなんとなく、絵麗菜が丁度それに引っ掛かるような性格に見えたのだった。
「……それで、瑠和は結局何を言いたいの?」
呆れてため息つくと、瀬砂は気を取り直して瑠和へと声を掛ける。蚊帳の外だった瑠和は肩をびくりと震わせると瀬砂へと向き直った。その表情には若干の驚きが混じっている。
「さすがにあんなダラダラした話を、なんの意味もなく聞かせる程バカだとは思ってないよ。アンタは莉理奈をどう思ってて、どうしたいのさ?」
瑠和は少し黙りこむ。あまり言いたくない事なのか、それとも言葉を選んでいるのか。やがて煮詰まったのか、身体の中のもやを吐き出すように大きく深呼吸する。
「優里那のマナ細胞を持っている事、殺害現場から立ち去っていた事を考えれば、莉理奈が犯人であることは間違いないよ」
「……」
瀬砂は答えない。ただ静かに言葉の続きを待つ。
「でも、アタシはあの娘がそんな娘じゃないと思ってるし、あの日のあの娘の様子は普通じゃなかった。だから、洗脳か何かを受けてるんじゃないか、そう考えてるよ」
続けられた言葉に、僅かに顔が強張るのを感じた。瑠和の言葉は決して瀬砂の求める物ではない。そんな中途半端な気持ちでは、この戦いでは生き残れないだろう。莉理奈は強い。力で勝る彼女を倒すには、まず心が負けてはならないのだ。だからこそ、瀬砂は言葉を聴き続けた。こんなところで立ち止まるような瑠和ではない、そう信じて。
「だから……アタシはあの娘をなんとしても止める。止められないなら、せめて最期を見届ける。それが唯一、アタシにできる事だから……その為なら、アタシも全力で戦うよ」
言い終わると瑠和は「これで納得したかい?」と言わんばかりに瀬砂の顔を覗き込む。だが、瀬砂が顔を俯かせた為にそれは叶わなかった。瑠和は表情を曇らせたが、表情を見せないままの瀬砂が返した言葉に、すぐ光が戻った。
「……アンタも大概単純だよ。アンタならそう言うだろうって、ボクでも想像がつくんだから」
瀬砂はそれだけ言うと、そっぽを向いてしまう。今の表情を誰かに見せたくなかった。絵麗菜が「もしかして、照れてます?」などとからかいながら顔を覗き込もうとするが、首をブンブンと動かして決して直視はさせない。
「照れてない! そんなことより! アンタ達の辛気臭い空気のせいで気分が沈んでるんだ、そろそろ気晴らしに行こう」
さすがに顔を背けるのにも限界が来て、勢い良く立ち上がる。その勢いに驚く絵麗菜だったが、一瞬遅れて今度は発言に唖然とした。瑠和もポカンと口を開ききっている。
「……なにさ、急に黙り込んで」
「いや、アンタがそんな事言い出すなんて思わなかったから……」
瑠和が消え入りそうな声で答えたのに、絵麗菜はコクコクと頷く。失礼な、と出かけたが、実際普段なら絶対に言わないのでなにも言い返せない。結局、口の中で「うるさいな」と言う返しを咀嚼する事しかできなかった。
「……とにかく! これ以上こんな所に引き籠ってたら、身体がなまってしようがないよ。今日は徹底的に遊び倒すから。さぁ、出た出た!」
「ちょ、ちょっと! 今は謹慎中!」
絵麗菜は言葉でだけ抗議したが、そのまま引きずられる形で研究室を後にした。瑠和も慌ててそれに続く。ただ一人、神妙な顔つきの彩人を残して……。
「はー……ホントに遊び倒したねぇ」
「まぁ、八分目ってところかな」
ため息の割に充実した表情で呟く瑠和に、瀬砂もまたいつもより少し、穏やかな表情で返す。最初は止める側だったはずの絵麗菜も、今は一番楽しそうにしている程だ。
瀬砂達は本当に日が暮れるまで遊び通していた。最初にまだ乗り気ではなかった二人をゲームセンターまで連れて行き、クレーンゲームで景品を取った。今思えばそれをプレゼントした事で二人は既に懐柔されていたのかも知れない。ゲームを一通り遊び終わると、絵麗菜の紹介で近所の雰囲気の良い喫茶店に入る。そこで飲んだ紅茶は、今までどこで飲んだものよりも美味しかった。そこで軽食を済ませると、ウィンドウショッピング。瑠和はファッションにも詳しく、色々な店でコーディネートに関する話も聞かせてもらった。三人で試着をすると、彼女だけ異常に盛り上がっていたのは印象深い光景である。そして最後はカラオケに入った。瀬砂がしっとりとバラードを歌い始めた時の二人の表情は、なんとも言えない物だった。ひとしきり遊び終え、今は夕日を見ながら公園で小休止を入れている。
「私、友達とこうして遊んだのなんて、初めてかも知れません」
満面の笑みを輝かせながら、絵麗菜。彼女の厳しい家庭環境を鑑みると、いつどこで無駄な魔力を使うとも知れない外出など、そうそうさせて貰えなかったのかも知れない。カラオケにも入った事がないと言っていた彼女にとっても、いい思い出となっただろう。
「……ボクもさ、こうやって友達と一緒に出かけるなんて、した事がなかった」
斯く言う自分もと言ったところか、感慨と共にため息が漏れる。そも、瀬砂の人生の中で友達と呼べる人間がどれだけいた事か。こうして自分のバラードを聞いてくれる人間がいると言うのも、存外悪い気はしない。14年と言う時を経て得た初めての友達は、彼女にとって態度に見せている程邪険な存在でもないのである。
「これから先、こういう思い出がもっと作れたらなって。今は少しだけそう思ってる」
勝手に動く口に、今日はどうかしていると思う。もう我慢の限界だった。本当はもっと早くにこうしたかったのだ。だと言うのにこの数日は、謹慎に消沈と、全てが彼女の邪魔をしていた。逼塞した感情は、解き放たれると共に暴走してしまい、今日一日は二人を連れ回してしまった。
「……駄目かな?」
今になって、その事に申し訳なさが湧いてくる。無意識に声が弱くなる瀬砂の背を、瑠和が大きく叩いた。絵麗菜もそれに続く。
「何言ってるんだい、友達だったら当たり前じゃないか!」
瑠和の明るい声に、絵麗菜が頷いた。この二人の楽しそうな様子など、久々に見た気がする。不思議と、鉄の塊となったはずの胸が熱くなった気がした。顔がほころんでいるのに二人も気付いたはずだが、その時ばかりは誰も茶化す事はなかった。
「……さ、そろそろ戻らないと、謹慎中に遊びまわってるのを見られたら大変だ」
「……ああ、そうだね」
そう言うと、三人は満足げな表情で帰路についた。ただひとり、二人の背に立つと同時に眼光を鋭くした瀬砂を除いて……。