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「あーあー。もうほとんど廃墟だね、こりゃあ」
所々にヒビの入った壁を見つめながら、二人の少女が照明のついていない廊下を歩く。学校の廊下など、学生からしてみれば日中しか使わないものだ。例え蛍光灯が割れていても、付け替える必要を感じない者がほとんどなのだろう。むしろこの学校では、無駄になる事の方が多いかも知れない。そう感じさせる程の雰囲気が、この学校にはあった。
「修理したそばから壊されるから、本当に危ない状態にならないと直さないんだって」
「なんだいそりゃ、スラム街じゃあるまいし」
そう教えてきた同僚に、呆れたように返すと、瑠和は再び荒れ果てた校内に目を戻す。
このような状態になってしまう学校は、最近では少なくない。大人への対抗心と、理由のない万能感が心を支配してしまう中学時代に、マナ細胞の最盛期が重なる影響が大きいのだろう。強い魔力を持った学生が非行に走った時、大人では止められない事も多く、それが彼らを更にエスカレートさせる。その結果、力を誇示する学生は後を絶たず、彼らの争いは最早社会問題にすら発展していた。
「学校に国家権力が介入しようってんだから世も末さね」
そんな彼らを止められる人間は限られる。例えば彼女達、魔法少女である。彼女達の業務には、いつしか暴徒と化した学生の鎮圧も含まれるようになった。今では、名を上げる為にわざわざ魔法少女を呼び込む者も居る程だ。
「仕方ないじゃない、実際これが一番効果的なんだから」
その言葉には瑠和も納得せざるを得ない。事実、依頼をしてきた学校では、学生がおとなしくなったと言うケースが大半だ。魔法少女を相手にした者は、誰もがその戦意を削がれてしまう。いや、正確には魔法少女の中のただ一人を、なのだが。
ふと、窓の外を見る。グラウンドでは相も変わらず立ち上る砂埃が、戦いの継続を表していた。初めて番長などと言う前時代的な呼称を聞いた時は思わず吹き出した瑠和だったが、存外そう呼ぶにふさわしい気概はあるのかも知れない。
「かれこれ30分か……粘るねぇ」
入校の時間と照らし合わせて、戦闘の経過時間を測る。彼女と10分以上戦い続ける自信は、瑠和にはなかった。とは言え、恐らく限界は近いだろう。微妙な変化ではあるが、瑠和には目に見えて勢いが落ちているのが判った。
「今回も事後報告になるかね」
粉塵の中に浮かぶ、光を反射する程に純白の衣装を一瞥すると、瑠和はやっと辿り着いた校長室の扉を叩いた。その向こう側から「どうぞ」という返事が聞こえたのを確認し、二人で中に入る。校舎よりも幾分豪奢に作られた部屋の中にいたのは、少し生え際の後退が始まった中年の男性だ。うっすらと隈の見える目と、恰幅の良かった状態から不自然に痩せたのであろう体格が、心労の濃さを表している。今の学校の問題について、校長として責任を求められているのだろう。綺麗に補修されている校長室も、外の様子を見てからでは虚飾にしか見えなかった。
これは早々に報告は済ませておいた方が良い。そう判断した瑠和は、挨拶もそこそこに現状の報告に入った。既に半ば鎮圧が終了している旨を話すと、校長は目を見開いて驚いた。
「もう対応して頂けたのですか!?」
「ええ、時期に学生もおとなしくなるでしょう」
「そうであれば、喜ばしい事です。しかし……」
しかし満面の喜色もつかの間、話している内に彼は表情を曇らせ始め、瑠和達の顔色を伺い始めた。不思議そうな視線に彼女もすぐに意図を察する。
「……アタシ達もこう言った事に関してはプロです。勿論、またなにかあるようでしたら、また伺いますが」
彼らを止めたのは部外者である魔法少女なのだ、いなくなればまた荒れないとも限らない。場合によっては魔法少女達への報復を考える事もあるだろう。瑠和は校長を安堵させるためには必要な言葉を選んだ。とは言え、実際にそうするつもりは微塵もない。何故なら彼女は、実際にそれが起きた事例を一つとて知らないのだから。
「その必要はありません」
言葉に応えたのは全くの別の声だった。背後から扉の音がして、誰かが入って来る。先ほども見かけたウェディングドレスのような白いドレス。それには不釣り合いな大鎌を肩に担ぎ、艶やかな黒髪をなびかせながら彼女は瑠和の横に並んだ。その大仰な武器で何を刈り取ったのか、衣服どころか得物にさえ汚れは見られない。
「今日もお早い到着だね、優里那」
瑠和は少し見上げ気味に隣に立つ少女へと声を掛けた。彼女はいつも通りの自信に満ちた、しかし決して嫌味を感じさせない微笑みで頷き返してくる。
茨木 優里那。最年少の14歳にして、現在各地で発生する魔法校内暴力への対応を一手に担う凄腕の魔法少女だ。一応チームメイトとして瑠和達も同行はしているが、実際戦っているのは彼女一人。それでも優里那は常に無傷で戦いを終えてしまう。それも彼女だけでなく、戦った相手すらもだ。
「君が番長を止めてくれた方ですか。必要がないとはどういう?」
「言葉通りですわ。再犯の可能性は皆無です。もう彼らに戦う意思は残っていません」
自信満々の受け答えに、瑠和は今日も頭を抱える。これでまた先方を納得させるのが難しくなってしまった。優里那はいつもこうだ。普通の感覚では理解のしがたい理屈を、微塵の迷いもなく言ってのける。恐らく天才肌なのだろう、彼女には当然の事過ぎて、理解できない状況をイメージできていないのだ。
「あー、解った! 解ったから優里那は、話が終わるまで外で待ってておくれよ」
優里那に話をさせると一向に終わらない。そう判断し、瑠和は押し出すようにして彼女を校長室から追い出す。彼女はまだ何か言いたそうだったが、瑠和の心底迷惑そうな顔に何かを察したのか、渋々と部屋を後にした。
「あの……本当に大丈夫でしょうか?」
「それは問題ないと思います。彼女、感受性が高すぎて、たまに凡人に理解できない事を言うんです」
校長は「はぁ……」と納得には程遠い顔をしているが、瑠和の困り様はそれ以上だ。なにせ、優里那の事は彼女ですら理解できていない。自分で解っていない物を、どうやって他人に教えようと言うのか。考えあぐねた瑠和の視線は、自然と横に少し離れた位置にいたもう一人の同僚へと流れる。瑠和の視線に気付くと、彼女はため息をつきながら前へとやって来た。ちぢれ気味の毛先を弄びながら、ゆっくりと口を開く。
「茨木 優里那は特殊なアプローチで、人の感情に直接干渉する事が出来るんです。それにより、闘争心そのものを刈り取ってしまうのだとか」
彼女が説明したのは、過去に国防省が優里那に彼女の力の原理を聞き、一時間に渡る問答の末に導き出した結論を要約したものだ。説明が必要になった時の為にとまとめ上げられたが、瑠和は結局記憶できていない。今回も彼女は、同僚へと説明を丸投げする形となった。両手を合わせながら謝る姿は、瑠和にとって全くの日常となってしまっている。もともと他の二人と比べて派手とは言い難い容姿の為だろう、同じく同僚の事務的な対応も、とてもさまになっていた。髪こそ赤茶に染めているが、生来のおとなしそうな印象は消えていない。
「ごめんね、莉理奈」
それを彼女が気にしている事を知っているからこそ、瑠和の口から自然と言葉が突いて出る。小さく述べられた謝罪の言葉を聞いているかはわからないが、若干の疲れを見せながら、ため息交じりに同僚、納部 莉理奈は説明を続けていた……。