3-8
「聖愛ちゃん! ……うわっ!?」
瑠和が病室の扉を開くと、中から押し返すような風が吹いてくる。咄嗟に庇った顔を上げると、月光だけに照らされた暗闇に、一対の光が浮かんでいるのが見えた。
「クッ……瑠和、結界急いで! アームド・オン!」
瀬砂の声を受けて瑠和が風の方へ結界を張る。その間に追加装甲を取り付けた瀬砂は、その向こうへ出て異変の元を凝視した。全身の鎧の重みで、身体はなんとか吹き飛ばずに済んでいる。直視はしにくいが、瀬砂は確かに見えた。風の中心にいるのは先程会った少女、訓覇 聖愛。双眸は鋭く光っているが意識はなく、虚ろな表情のまま中空を漂っている。
『どうやら彼女がグール現象の発生源、という事で間違いないようだ』
通信で彩人が伝えてくる。半信半疑だった瀬砂の予想が確信に変わった。これまでの不可思議な現象を引き起こしたのは間違いなく聖愛、正確にはそのマナ細胞だ。
考えればおかしな話だった。マナ細胞を奪うのが目的ならば、なぜ聖愛だけが無事だったのか。何もされていなかったのなら、なぜ魔力が枯渇したのか。
「聖愛はもう実験に使われてたんだよ。けど、意図的に細胞を眠らされていた」
瀬砂はなおも魔力を放出する聖愛に一歩も退かぬままそう続けた。理由など考えるまでもない、今繰り広げられている出来事が全てを物語っている。
「そんな……魔力の放出だけで大気を揺るがす力ですわよ!? 人間に制御しきれるはずがない……」
「……外道がァッ!」
瑠和が中空に拳を叩きつける。結界がゴン、と言う鈍い音を立てた。彼女がこうも感情を露にしたのは初めてかもしれない。その反応が、瀬砂達にも絶望感を伝える。一同が放心している所に、声を掛けたのは彩人だった。
『……全員、手錠は持っているだろうか。もしかしたら、まだ助かるかも知れない』
その言葉を聞いた三人は、顔を見合わせながら言われた物を用意する。防護服と共に魔法石に保管されている、現行犯逮捕用の手錠だ。規定以上のマナ細胞活性化を抑える事で、犯罪者の抵抗を抑える事ができる。取り出した魔法石が光を放ち、手元に現れたそれを見ていると、絵麗菜がハッと声をあげた。
「そうか、聖愛さんはマナ細胞が活性化した途端にああなったのだから!」
強すぎる魔力が人体に悪影響を及ぼすなら、細胞の動きを抑えれば聖愛は助かるかもしれない。少なくとも、今の彼女を止めるにはそれが最善の手だろう。絵麗菜の言葉で彩人の意図に気付いた残りの二人も、戦闘態勢をとった。
「魔法少女は被害者の保護が最優先。少しでも助かる可能性があるなら、手を尽くさないとね」
『そういう事だ……こちらとしても、彼女には少々気になる所がある。私は少しデータ収集に専念するから、戦闘は君たちに任せた』
それだけ言うと、彩人は通信を切ったらしい。周囲からは風の轟々とした音しか聞こえなくなる。彼の言葉に不自然さを感じた瀬砂だったが、今は聖愛の方が気になった。彼女の救助にはいち早い捕縛が必須となる。こんな所で考えている暇などないはずだ。
思い直しながら瀬砂はフローリングを蹴って飛び上がる。同時に背中から爆発音と、押し出されるような衝撃が走った。ブースターの勢いで聖愛に近付き、腕に取り付こうとする。
「くっ、勢いが増して……ガァッ!?」
しかし手を間近まで近付けた瞬間、風が強まった。その風圧たるやいよいよ兵器の様を呈し、壁や天井をみるみる内にひび割れさせる。病院の屋根部分が、音を立てて崩れ去った。
「瀬砂さん、早く飛んで!」
言葉と共に、瀬砂は身体が軽くなるのを感じる。どうやら絵麗菜が魔法で瀬砂の身を浮かべたらしい。意図が理解できず下を見ると、存外吹き飛ばされていたらしく、瀬砂の足元はコンクリートの地面まで何もなかった。慌ててブースターを吹かし、病室だった位置まで戻ってくる。
「ごめん、手間をかけたね」
「構いません。それより、あれはなかなか難儀ですわね……」
瀬砂の着地を確認してから、絵麗菜が呟く。力を緩めた聖愛の後ろには、砂ぼこりで掠れた星空が見えた。部屋の壁を片端から砕いたそれは、最早風と言うよりも爆発だ。あまりの風圧に、近付く事すらままならない。
「今度は油断しない。突っ切ってみせるよ」
「止めときなよ。その壊れかけの義手じゃ、今度こそ壊れっちまう」
構え直す瀬砂だったが、制止する瑠和の声に腕を隠す。しかし肥大した義手は細身の背中に隠せるものではなく、所々に亀裂の入った装甲を露にしていた。
「……ご慧眼恐れ入るね」
隠すのを諦めた瀬砂は腕をだらりと垂らす。動かせない事はないのだが、不用意に使ってまた壊すのは避けたい所だった。こうも容易く破損する脆さに思わず舌打ちが漏れたが、思えばコンクリートを粉砕する程の風圧だ。それでこの程度の被害で済んでいるのだから大したものなのかもしれない。真に恐るべきは、聖愛の圧倒的な魔力なのだろう。
「ありゃあ、まともに立ち向かおうって方が無茶な話さね。連携して相手の隙を突かないと……」
「……」
状況を良く認識した瑠和の判断だったが、二人は沈黙したままだった。瀬砂に至っては目頭を押さえて首を横に振ってしまう。連携、独断と単騎突入をよしとする瀬砂にとってはある意味最も縁遠い言葉である。絵麗菜は平静を装ってはいるが、瀬砂は知っていた。彼女の強さは他者を寄せ付けず、まず協力しあう事などないと。あまりに規格外な二人故に、それ以上の力を持つ相手など滅多にいなかったのだ。
「いや無理だよ、この協調性の欠片もないメンバーじゃ……」
「それ貴女だけは絶対言っちゃいけない台詞ですからね!?」
瀬砂のぼやきに、絵麗菜は間髪入れずにそう返した。結果的に連携が絶望的である事には変わりはないのだが、彼女の中では大きな差が存在しているらしい。そんな感性の違いも、瀬砂には連携を否定させる大きなきっかけとなっていた。近づきながら文句を言う絵麗菜から目を背けていると、不意に瑠和が二人の肩に手を置いた。
「そんな難しく考える事はないさね。ここに居る奴らは皆、歴戦の猛者だよ? お互いに自分がしてもらって助かる事をすれば、必ず息は合うさ」
そう言う瑠和の表情は不敵だった。それだけで一見無理のある言葉も、ある種の信憑性を持って伝わってくる。瀬砂達が、やってみようと思える程に。
「はー……どうなっても知らないよ」
「瀬砂さんですらやる気になったのなら、私がやらない訳にはいきませんわね」
どちらにせよ、このまま傍観していたところで待つのは聖愛の死だけなのだ。迷う時間など、ない。三人は示し合せるように頷きあい、まず瀬砂がしゃがみこんだ。クラウチングスタートの姿勢だ。例え片腕を欠いていたとしても、頑丈さで瀬砂に敵う者はいない。突入か彼女の仕事だ。だからこそ、瀬砂は他の事は一切考えず、全力で走る事を決めた。
「はぁっ!」
最初に動いたのは絵麗菜だ。彼女が腕を振るうと、三人を覆うように小さな竜巻が生まれた。風は聖愛が生み出すそれを掻き分け、瀬砂から直線状に亀裂を伸ばす。その一点を通れば、風に巻き込まれるのは最低限で済むだろう。
「瀬砂さん、行って!」
瀬砂は頷き、再び聖愛へと接近する。先ほどと比べて、身体にかかる軋むような圧力はない。ただ壊す事に特化していると思われた魔法は、意外な所で瀬砂を助けてくれた。いくら優れているとは言え、身体能力一辺倒の瀬砂では出来ない芸当である。絵麗菜に支援に立たせたのは、存外正解だったようだ。
「これで今度こそ……ッ!?」
瞬く間に聖愛に肉薄する瀬砂だったが、そこで一瞬動きが止まった。彼女の目の前、残り十数センチと言う位置で竜巻が途絶えている。そこより先はあまりに風の発生源が近く、絵麗菜のそれが押し返されているのだ。この距離ならば瀬砂なら耐える事もできるかも知れない。だが、それはサイボーグ化した右腕ならばの話である。左には肉体も残っており、耐久力が劣る。行けるか、そう思いながら一度絵麗菜達の方を見直す。絵麗菜の表情は固く、何かに耐えているようだった。負荷に耐えかねているのだろう、長くは持ちそうもない。
「瀬砂! 3カウント目で手を伸ばすんだ!」
考えあぐねる瀬砂の元に、瑠和の声が飛び込む。意図を読ませない言葉、しかし信じてやってみよう。何故か瀬砂にはそう思えた。聞こえて来るカウントに自分の声を重ねる。3を口にしながら、瀬砂は意を決して腕を伸ばした。竜巻から腕が飛び出し、風圧に晒す。彼女はそのつもりだったのだが、何故かそこに抵抗はない。何が起きたのか、しかし考える間もなく瀬砂は手錠をかけた。ガチャリと錠の音がするのと、再び強い風が瀬砂に吹き付けるのは、ほぼ同時だった。
「ったぁ!?」
突然の事に反応しきれず、尻もちをついてしまう。幸い先ほどと比べると風の勢いは弱く、ビルから吹き飛ばされるような事はなかった。それもすぐに止み、聖愛がゆっくりと床に落ちてくる。危うく頭から墜落するところだったが、寸でのところで瑠和が滑り込んで彼女を支えた。
『瀬砂、報告だ。どうやら院内に残っていたグールも活動を停止したらしい』
「アンタ、今まで何をやってたんだよ」
『データが膨大過ぎて、処理に手間取ってしまった。それで、訓覇 聖愛の容体は?』
聞かれて聖愛の方を見る。瑠和の腕に抱えられている聖愛は、少し衰弱しているが外傷らしきものはない。それに気づいていないのか、瑠和は必死に呼びかけを続けていた。瀬砂は二人へ向けて「気絶しているだけだ」と伝える。スピーカーと耳、両方に安堵の吐息が聞こえた。と同時に、どさりと言う音を立てて瑠和が倒れ込む。疲れたのだろう、あれだけの風圧に干渉したのだから当然と言える。
「聖愛ちゃんの身体の表面に、膜状の結界を張ったんだ。形や厚さ、強度まで神経を注いだから脳みそが溶けそうだよ……」
「そりゃお疲れ様。じゃ、後はボクがやっておくよ」
瑠和はもう動けそうもない。絵麗菜も見た所、既に魔力は残っていないだろう。ならば体力の残った自分が運ぶしかないと、瀬砂は聖愛に近づく。どこに運べば安全か。とりあえず国防省だろうか、それとも彩人の研究所か。そんな事を考えていた時だった。
不意に、鋭い痛みが頭を駆け抜ける。だが何事か確かめる間もなく、自分の前を風が通り抜けた気がした。一体何が、頭痛に頭を押さえながらも状況を整理する瀬砂。この二つの現象、どこかで体感した事はなかったか。あったならば何処か。
「……え?」
その答えが浮かぶのと、視界に血の飛沫が映ったのはどちらが先か、彼女には判別がつかなかった……。