3-7
「何て言うか……随分アクティブな病院だね?」
「おっ、良いねぇそのウィットに富んだブラックジョーク」
目の前の光景に飛び出した瀬砂の皮肉に、瑠和が嬉しそうに返す。ついでに腕に抱きつこうとしたようだったが、それは払いのけた。彼女にその体勢を取られると、瀬砂は柔らかい塊を押し当てられて苛立たざるを得なくなるのだ。
「お二人とも、何だか様子が変わりましたわね」
「詳しい話はそいつに聞いて、いっさいがっさいそいつが原因だから」
二人を見て不思議そうな顔をする絵麗菜を、瀬砂は虫でも払うようにあしらう。余裕があることは彼女にとっても望ましい事だが、かといって雑談などは得意とするところではなかった。
「そんなことより、これは一体どういう状況なのさ?」
瑠和を手で制しながら、瀬砂は前方を見直す。深夜にも関わらず、ナースセンターは人で溢れかえっていた。もっとも、それは白衣の天使などではなく、それどころか人間かも怪しいものではあったのだが。外見や服は間違いなくヒトのそれ、しかしその全員に生気がなく、虚ろな表情でどこかしらを見つめている。
「わかりませんわ。悲鳴が聞こえたので来てみたら、彼らに夜勤の看護師さんが襲われていたんです。なんとか全員逃がすことはできたんですが……」
その頃にはこれだけの人数になっていた、とのことだった。曰く、動きは緩慢だがとにかく頑丈で、衝撃波を当てる程度では気絶もせず、止めようがないのだそうだ。とは言え、人間相手に完全に破壊するような魔法は使えない。まさしく八方塞がりな状態になっているらしい。
無論、そんな中で人命を守った絵麗菜を責める理由はない。瀬砂は「上々だよ」と彼女の肩を軽く叩いた。
「女が多いな……一体何処に隠れてたのかな?」
群がる姿に瀬砂がまず思うことはそれだった。人数は20を越え、これだけの数の接敵に気付かないとは考えにくい。ならば彼女達はどこかに隠れていたと言う事になるだろう。問題はこの病院にその場所があるか、と言う点だが。
「それより、なーんかコイツ等、どっかで見た覚えがないかい?」
瑠和の問いかけに、瀬砂は再度少女達を見直す。今度は顔を重点的に。言われてから見ると確かに、記憶の片隅に残ったような感覚があった。とは言え、どこかで一度見た程度。絵麗菜も似たような感想なのだろう。こちらは必死に思い出そうと目を見開いている。それが叶うより早く、瑠和が口を開いた。
「アタシは皆より目が良いからね、より鮮明に写った物は、より鮮烈に記録される……あいつら、この前の事件の被害者ばっかりだよ」
瑠和の答えに絵麗菜はあっと声を上げる。彼女にも心当たりがあるらしい。確かに霊安室に安置されていたなら、瀬砂の疑問も解決する。瑠和の言葉は、確かに全ての辻褄を合わせていた。
「つまり、ゾンビ――ぐぇっ!?」
頭を整理して出した瀬砂の結論だったが、言葉が終わるより早く、何者かに首を絞められて阻まれた。見れば絵麗菜が必死に背伸びしながら瀬砂の首を掴んでいる。
「変な事言わないでくれます!?」
「わかっ、わかったから、苦しい……!!」
息も絶え絶えな瀬砂の返事を聞き、やっと絵麗菜は手を離し「すみません、取り乱して」とだけ答えた。絞められていたのは瀬砂だったにも関わらず、彼女の方が余程息が乱れている。
「魔獣の時は平気な顔してたくせに……」
「ゾンビだけは駄目なんです。あの腐り落ちた肌とか、中からわいてくる虫とか……」
震える声で答える絵麗菜に、瀬砂は冷たい視線で返す。全員が死体であることに気付かなかった事からもわかるように、彼女達にはそのような特徴は見られない。完全に瀬砂の絞められ損である。
「そもそもゾンビに負けるほどか弱くもないだろうに……で、ゾンビじゃないならなんなのさ。彩人、見解!」
声色にトゲを持たせたまま、瀬砂は自らの腕に向けて話し掛けた。すると腕からガチャリと音が立ち、スピーカー特有の空気音と共に彩人の声が流れてくる。周囲にも会話が聞こえるよう調整した通信機である。
『あくまで可能性の話になるが、グール現象が挙げられる』
返ってきた言葉は妙に歯切れの悪いものだった。普段なら機械的に事実を述べる彩人らしくない、と瀬砂は思う。恐らくその答えは時期に出てくるのだろう。彼女はそう考えて次の言葉を待った。
『これは簡潔に言えば、強力な魔力に影響されて死体のマナ細胞が身体を動かす現象だ』
「強力な魔力……?」
瀬砂と瑠和が同時に視線を動かす。その先にいたのは絵麗菜だ。二人の視線を同時に受けてひどく動揺しながらも、彼女は首と両手をバタバタと振った。「私じゃありませんわよ!?」と言う否定の声が聞こえたのだろう、助け船を出したのは彩人だった。
『絵麗菜の言う通りだ。グール現象は、個人レベルで引き起こせるものではない。過去の事例も魔導炉の影響で発生した物ばかりだ』
「そうは言われてもね……」
彩人の弁護は解りやすくまとまったものだったが、瀬砂には納得できない部分があった。グールの目が、明らかに瀬砂達に向いたのだ。動きは緩慢だが、どう考えてもこちらを狙っているとしか思えない。
「これでもボクらのマナは関係ないって!?」
ついにグールの手が瀬砂達に伸びる。もたれ掛かるように腕を掴む彼女達を瀬砂は無理矢理払いのけた。意外と力が強いらしく、手がほどけると同時にグールは勢い良く飛んでいく。
『グール化に関わりがないだけだ。行動原理的には間違いなく魔力を求めている』
「そういうこと……じゃ、倒さないとねッ!!」
続いてやって来たグールを投げ飛ばしながら、瀬砂はおもむろに腕を振るう。同時に手の甲から光の刃が姿を現した。しかし、それを構える間もなく、横からの金切り声にそれを制止されてしまう。
「お止めなさい! ご遺族に返却するご遺体を傷つけるつもりですか!?」
絵麗菜は言いながら、床に手を当てて氷を張り始める。それはみるみる壁を伝い、膜のような障壁を作った。双方に攻撃をさせないつもりなのだろう。だがそれも時間稼ぎでしかなく、直ぐに叩き壊されてしまった。
「ゾンビじゃないと判ったとたんに贅沢だね、アンタ……じゃあどうしろって言うのさ。自分だって魔法を使ったら跡形もなくなるでしょ」
「うーん……針穴くらいの刺し傷くらいならアリかねぇ?」
問い返す瀬砂の言葉に、瑠和が言葉を続ける。具体的な例だ。その質問の意図は解らない様子だったが、絵麗菜は戸惑いながら「そのくらいなら」と返す。その答えに瑠和は小さく笑みを浮かべた。
「そうかい……なら、アタシに任せな!」
言いながら指を一本立てると、彼女は呼吸を整えるように静かに息を吐き出す。次に彼女が目を見開いた時、周囲の空気が変わるのを瀬砂は見逃さなかった。恐らく、何処かに結界が張られたのだろう。
瑠和の得意とする魔法は、不可視の障壁を展開する結界魔法だ。一見すれば守りの術だが、瑠和の技術を組み合わせる事で多彩な変化を見せる。模造刀をコーティングして切れ味を持たせたり、壁を蹴って擬似的な空中戦を行ったりだ。速さと技、それが内藤 瑠和の武器と言える。
人差し指を立てたまま、彼女はグール達の元へ駆け寄り、一瞬にして背後を取る。それは相手が遅いことを加味しても、鮮やかな動きだった。瑠和はそのまま指を、後頭部目掛けて突き出す。触れるだけに見えるその動きだったが、指差されたグールはまるで糸の切れた人形のようにその場で崩れ落ちた。そこで瀬砂は初めて察した。瑠和が生み出した結界は指先にあったのだと。
「結界を針状にしてね、頭の中のマナ細胞に穴を開けてやったよ。心音がなければ、アタシにはあいつらの鼓動まで聞こえるからね」
言葉を失った瀬砂達に瑠和が説明する。確かに操っているのがマナ細胞なら、そこだけを正確に破壊すれば動きは止まるだろう。ただし、それにはグールに対応し得る戦力と、細胞を見つけ、且つそこに正確に一撃を加える技術が不可欠なのだが。
「よくやるよ、アンタも」
次々と襲い来るグールに同じ攻撃を繰り返すのを見ながら、呆れたような口調で呟く瀬砂だったが、内心では畏敬の念に絶えなかった。
瑠和は彼女や絵麗菜とは違い、そう強い細胞に恵まれている訳ではない。それを応用してこれ程立ち回るには、一体どれだけの修練が必要なのか。間近で瑠和の戦いを見て改めて実感した。彼女は数々の死線を抜けた実力者なのだと。
「……よし、粗方片付いたかな。で、これからどうするんだい?」
最後の一体を倒し、汗を拭いながら瑠和が言う。その間、たったの2分半。弱点さえ判れば物の数ではない、と言わんばかりだった。だが、問いに対しては二人揃って口を接ぐんだ。なにせ成り行きで戦うことになったのであり、彼女達は状況すらよく判っていない。
『何処かに、極めて大きな魔力を持つなにかがあるはずだ。それを叩くほかない』
「じゃあ、それで」
彩人の提案に乗る形で同意する瀬砂。それを苦笑混じりに眺めてから、二人は少し考え込んだ。
「しかし魔力、と言われましても……」
「アタシら魔力の発生源なんて、マナ細胞と魔導炉くらいしか知らないよね」
瀬砂もこれには同意する。強力な魔力の発生源など判断もつかなかった。魔導炉は論外として、マナ細胞でそれほどの力が出るかも怪しいし、そもそもマナ細胞は常に魔力を作り出す のだ、それが唐突に停止したり、動き出したりなど、
「……ちょっと待って、停止したマナ細胞?」
そこまで考えてふと一つの可能性に思い至る。ごく最近、そんな症状を聞いた事はなかったか。その時は細胞が弱っているのだと思っていたが、それがもし、意図的に止められていたのだとしたら? 黒魔術教団のアジトに巨大な魔獣がいた理由は? 彼らはなにをしようとしていた?
「瑠和ッ!」
思わず瑠和へと声を掛ける。彼女も意図に気付いたらしく、神妙に頷いた。唯一、絵麗菜だけがなにも判らず、二人を交互に見ていた。
「ちょっと安直だけど、可能性はあると思う」
瑠和の言葉が引き金となり、瀬砂は駆け出す。その首筋に、いやな汗が流れた気がした……。