1-1
「瀬砂!」
背後からの呼び掛けに、浅染 瀬砂は一瞥だけを返した。物音に気付いたのだろう、入り口から様々な衣装を身に纏った少女達がなだれ込む。その内の一人が、部屋の惨状を見て悲鳴をあげた。瀬砂はわずらわしそうに方耳を塞ぐ。部屋の中はむせかえるような血の臭いと、おびただしい量の血液で充満していた。
「やっぱりアンタだったかい」
少女達の先頭にいた、頭一つ飛び出た娘が近付いてくる。丈の短い白の装束と、よもぎ色の袴、後付けで縫いつけたような袖が特徴的な格好をしている。それとは対称的に外はねのショートヘアが似合う容姿は凛としていて、どちらかと言えば大和撫子というよりも女傑に近い出で立ちだった。内藤 瑠和、最年長の彼女は実に落ち着いた様子で、部屋の隅に倒れていた男を見る。彼の右腕は肘から先が失われ、撒き散らされた血が彼のものであることを示していた。それだけではない。顔は元の容姿が分からない程腫れ上がり、着ていた背広も腹の部分に穴が空いている。相当な衝撃が加わったのであろうことは想像に難くない。
「今回は……全治一年ってトコかな、運が良い方だね。誰か! 応急処置してやって。あと救急車ね」
妙に手際良く指示を出す瑠和に、何人かが続く。恐らくは治癒の魔法を使える者達なのだろう。出血はみるみる内に少なくなっていった。
「瀬砂さん!」
瀬砂が彼女達の治癒を見ていると、舌足らずな口調のソプラノが聞こえてくる。振り向くと視界のしたの方で、ピコピコと二つ分けの巻き髪が跳ねるのが見え隠れしていた。金属的な光沢のある、目に痛い金髪だ。少し視線を下ろし、頬を風船のように膨らませた童顔を見つめる。
「何度も言わせないで下さい! 貴女のしている事は明らかな越権行為ですわよ!」
良いながら人差し指を突き付ける少女の名は松鳥 絵麗菜。自信家で規律にうるさい、瀬砂の天敵とも言うべき存在だった。彼女はフリルとリボンで飾ったすみれ色のドレスを揺らめかせ、瀬砂を問い詰める。瀬砂は思わずため息を漏らしていた。
「……魔法少女の任務遂行に際する行動は、あらゆる法より優先される。採用試験にも出される常識だよ」
「魔法少女は治安維持の象徴であり、国家の名誉を傷つけてはならない。これも常識ですわね」
用意していた文面をそのまま読み上げる瀬砂だったが、絵麗菜もまた間髪入れずにそう返す。もう何度同じ問答を繰り返しただろうか。瀬砂が事件を解決した時は必ずと言って良いほど、絵麗菜はこの注意をしにきていた。
「犯人を捕らえるのに、こんな大怪我をさせる必要はないでしょう。過度の暴力は、国家の威信に関わりますわ」
「自分基準で考えないでよ。ボクはアンタ達みたいに器用な真似はできない」
瀬砂は不機嫌そうに絵麗菜を睨む。絵麗菜もまた怒気を込めて「白々しい……!」と呟いたが、それ以上は何も言う事はなかった。個人差の話になってしまうと、彼女にも口出しができない。
「……それなら、何故あんな無茶をしてまで一人で突入しましたの? 犯人が何かの拍子にトリガーを引いてしまえば、人質の命も危うかったんですのよ」
埒があかぬと切り口を変える絵麗菜。瀬砂にとってはそれこそ「白々しい」だった。口元から自然に嘲笑が漏れる。
「アンタさぁ、フォトンガンで人が死ぬ確率、分かってる? アレは元々対外能力に長けた女性が護身用として使う物だよ?」
現代を生きる人間なら誰もが体内に持つマナ細胞だが、無論そこには個体差がある。単純な力の強弱の他に、身体能力を強化する対内能力、超常的な力を与える対外能力の割合など個人によって千差万別の能力が備わるのだ。ただ傾向として、男性は対内能力、女性は対外能力に秀でる場合が多い。魔法製品であるフォトンガンの威力は対外能力に依存するため、男性が使っても致命傷を与える事は稀なのだ。
「万が一という事もありますわ。だからもっと確実に人質を助ける方法を……」
「機を待っている間に殺されてしまうかも知れない」
「それで死んでしまったらどう責任を取りますの!?」
互いににらみ合い、一歩も退こうとしない二人。両者間で緊張が高まる中、その間に割って入る者がいた。瑠和である。
「まぁまぁ、今回は皆無事だったんだからそれで良しとしようよ、ね?」
二人の肩を抱き、自分の側へと引き寄せる。彼女の胸元の豊満な膨らみが押し当てられた。瀬砂は咄嗟に腕を振りほどく、何とも言えない敗北感を覚えながら。
「そんなことよりさ、二人とも、明日魔法少女の皆でクリスマス会をやらないかって話してんだよ、来ないかい?」
「……はぁ?」
瑠和の誘いに首を傾げながら、瀬砂は時計を確認する。日付は12月24日、クリスマスイブである。近い近いとは思っていたが、行事に疎い瀬砂はクリスマスが明日に控えていることなど完全に忘れていた。
「あら、そうでしたの。でしたら、私の家にいらっしゃらない? 人数が増えるとお店では迷惑になりますし」
「そりゃあ良い、松鳥のお屋敷にお邪魔するなんて滅多にない機会だからね」
彼女がそんなことを考えている間に話は進んでいたらしい、会場は絵麗菜の家に決まったようだ。無論彼女も参加するという事になる。しかしそんなことは気にしていないと言わんばかりに瑠和は瀬砂へと向き直った。
「瀬砂はどうする?」
「……アンタ、今のやり取り見てて両方誘うつもりだったの?」
半ば呆れた声色でそう返す。こういった良く言えばポジティブ、悪く言えば考えなしな精神構造が瑠和の良さであり、瀬砂の苦手とするところだった。
「意見のぶつかり合いなんて、青春っぽくて良いじゃないか。それに、今仲が悪いなら今回を機に仲良くすれば良いんだよ」
それ程簡単にわかりあえるならば苦労はしない。喉元まで上ってきた言葉を、瀬砂は何とか飲み込んだ。言ったところで彼女は持論を曲げないし、話は長くなる。瀬砂にとっては避けたい状況である。
「ボクはパス。用事があるんだ」
「クリスマスに用事って、オトコとか?」
予想外に食いつく瑠和に、瀬砂は内心辟易した。一番無難な理由を挙げたというのに、こうも逆効果になるとは。彼女は知らなかったのだ。クリスマスという時期に、世の女性がどれだけ恋愛に対して敏感になるのか。それがまた彼女を苛立たせる。
「かもしれないね。それじゃ」
長居は無用と感じたのか、瀬砂はやや早足で踵を返す。同時に胸当てに取り付けられた紅い宝石を取り外そうとする。魔法少女の衣装……防護服を収納している、魔力を持った石だ。魔法石、と一般に呼ばれている。着ている防護服をしまい、制服に戻ろうと思ったのだ。しかしその直前、瑠和の背後でボソボソと話す声が聞こえた。
「瑠和さんもあんな極振り誘わなくて良いのに」
「ちょっと、聞こえるよ」
明らかに聞かせる為の物ではない声。だが、それが彼女を触発するものである事は間違いがない。少女達が気付くよりも早く、瀬砂は彼女達の内一人の眼前までの距離を一瞬で詰める。そして細い首筋に掴み掛かり、片腕で持ち上げて見せた。最初こそ何が起こったのか分からなかった様子の少女だが、すぐに自分の状況に気付き苦悶で顔を歪ませる。
「ぐ……ぁっ……はな……っ!」
何か言おうとしているのを見て、瀬砂は掴む手の力を強めた。少女の血の気が更に引いていく。
「何をどう思おうが勝手だけどさぁ、その極振りにすら勝てないアンタはなんなの?」
少しずつ薄れていく抵抗。彼女が弱っていく様を見ていると、瀬砂は自然と口角が上がっていくのを感じた。もっとじっくりと苦しむ様を見たい。身体がそう望むかのように瞳孔が開く。これからどうしてやろうか、そんな事を考えている内に横から制止がかかった。
「瀬砂! ……そのくらいにしときな」
急に真面目な表情へ変わりながら瑠和が言う。その手には桜吹雪の模様が入った番傘が握られている。軸に刀が仕込まれた彼女の得物だ。これより先は実力行使に移る、という強い意志がひしひしと伝わってきた。瀬砂はふん、と鼻を鳴らしながら少女を放り投げる。やっとの思いで解放され咳き込む少女だったが、手元の違和感に気付き悲鳴を上げた。落下した先は、強盗犯との戦いで瀬砂が作った血溜まりだったのだ。血で汚れた両の手と衣装を見て、飛び跳ねるようにその場から離れる。そんな彼女の様子に、瀬砂は侮蔑の色を隠さなかった。
「魔法少女をアイドルか何かと勘違いしてるんだったら、さっさとお家に帰る事だね。どんなに着飾っていようとボク達は戦闘員で、送られる場所は戦場だ。足手まといなんだよ、血にも満足に触れられないようなヤツは」
そう言い残すと、彼女は今度こそ部屋を後にした。全身を発光させ、軽装とゴスロリファッションと言う防護服から、学生服へと服を変えながら。残った魔法少女達もこれ以上引き止める事はなかった。彼女達なりに理解したのだろう、瀬砂が狂える魔女と呼ばれる由縁を……。