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「学校にはこちらから連絡して、公欠にさせましょう」
秘書官がレジュメにそって淡々と説明を続けている。しかしそんな物は話し半分に、瀬砂は落ち着きなく周囲を見回していた。既に資料としてまとめられている物をわざわざ読み上げる行いに、彼女は意味を感じない。そんなものよりも、現状の居心地の悪さこそが彼女の思考を捕らえていた。
いつもながら豪奢さで場違いに感じる応接室には、瀬砂を含め3人の魔法少女がいる。すみれ色のドレスと金のツインテールがトレードマークの松鳥 絵麗菜と、縁の赤い眼鏡とカーキのベストでカジュアルな装いの内藤 瑠和、瀬砂にとってはすっかりお馴染みと思える面子である。他の魔法少女がいないのは、今回の依頼が泊まり掛けになるからとの事だった。
先日壊滅した黒魔術教団のビルの跡地、そこの調査結果は凄惨な物だった。誘拐された人間は大半が既に死亡していて、生き残りは一人だけ。死体だけが不気味に安置されていたと言う。政府はこの生存者一名の検査と、念の為遺体の解剖を決定したらしい。この検査中、国指定の病院を警護するのが瀬砂達への依頼である。平日の為、期間中は学校に行くことはできない。公欠になるとは言え、授業に追い付けなくなる事を危惧する保護者も多く、参加を表明したのは卒業を間近に控え実質授業のない瑠和、家庭教師にかなり先まで予習を受けた絵麗菜、そもそも勉強する気のない瀬砂だけだった。
「一応正門に一人、裏門に一人、巡回に一人となりますが、有事に急行できる場所にいて頂ければ、何処にいても構いません」
説明を断片的に聞きながら瀬砂が思うのは、交代できる人間がいないと言う程度だ。他の者達はともかく、自分にはさして関係のない話である。彼女の意識は、自分の斜向かいに座る少女に向けられていた。
「地理的には正門が最も狙われやすいでしょう。よってここは戦績の良い浅染さんにお願いしたいのですが――」
「じゃあ、あたしは裏門に回ろうかなっ!?」
秘書官の言葉に瀬砂が応えるより早く発せられた大きな声に、全員がびくりと肩を揺らす。ただ一人、声の主である瑠和を除いて。
「えっと、では私は巡回で……」
その勢いに気圧されて、思わず絵麗菜は実質の同意を示す。瀬砂はまだ一言もやるとは言っていないが、わざわざ決まりかけた話を覆そうとは思わなかった。と言うより、やはり彼女も驚いて否定の選択肢など浮かんで来なかったと言う方が正しい。
瑠和は先程からずっとこの様子でいる。妙に反応が過敏で、落ち着きがない。理由も大体想像がついていた。瀬砂は先日の差し入れの時以来、瑠和とまともに喋っていないのだ。今まで鬱陶しい程に絡んできた彼女と、である。それは鈍感な瀬砂でも、なんらかの異常を感じるのに充分な出来事だった。
「……では次に、皆さんの中から一人、被害者の護送に立ち会って頂きたいのですが――」
「あたしが行くっ!!」
「あ、どうぞどうぞ」
またも瑠和が素早く返事をして、瀬砂達は唖然としたまま護送役を譲る。絵麗菜と声が揃ったのが少し嫌で、二人は互いに一瞬睨みあった。この先日できた『友達』も距離感が掴みにくく、瀬砂にとっては慣れぬ気苦労が続いている。
「……決まりですね。では当日は手はず通りにお願いします」
ややあってから秘書官は、ため息混じりにそう締めくくると席を立つ。様子から察するに、場の違和感にも気付いているようだが、終ぞ口に出す事はなかった。徹底してプライベートには立ち入らない腹積もりらしい。さっさと資料を片付けると、そのまま部屋を後にした。
「えっと、瑠和?」
「あーっとゴメン! あたしこれから人に会う用事があるんだよ、お先にっ!!」
いたたまれなくなって会話を試みた瀬砂だが、希望は叶わず瑠和も逃げるように部屋をでる。残された二人は扉が閉まるのを見計らってため息をついた。
「き、気まずい……」
再び声が重なり、鋭い視線が交差する。考えようによっては気が合う証拠であり、友人ならば理想的な反応のはずだが、双方共にそれをよしとはしようとしなかった。
「ちょっと、ボクの台詞を取らないでよ」
「そっちこそ……と言うか、他の方ならまだしも、貴女が言わないでください」
苛立たしげに絵麗菜に抗議する瀬砂は、その意外な返答に言葉が詰まる。てっきり根拠のない発言権の奪い合いにでもなるのかと思ったのだが、絵麗菜には何か思うところがあったらしい。瀬砂は喧嘩腰を一旦止め、彼女にたずねる。
「どういう事さ?」
「どうと言っても、言葉通りです。瑠和さんに何か問題が起きたなら、十中八九原因は貴女ですよ」
「なんで!?」
思わず声を大きくすると同時に、絵麗菜が呆れるような目を向けてきた。それを見て瀬砂もまた悟る。彼女の言葉は、決して謂れのない嫌疑を向けている訳ではない。何か根拠をもっての反応である。とは言え、瀬砂にはまるで身に覚えがない話である。なにせここ数日、彼女は瑠和と話してすらいないのだから。そう弁明すると、絵麗菜は少し考えてからこう返した。
「それが原因なのでは? 私、たまに瑠和さんにお話をうかがいますけど、大体瀬砂さんとうまく馴染めないとか、もっと話をしたいとかですし」
「何をやってるんだよ、あの受験生は……」
瀬砂は一瞬頭を抱える。絵麗菜はぼかして言っているが、恐らく瑠和は彼女に何か相談をしていたのだろう。確かに絵麗菜は年下とは思えない程しっかりしているが、もうすぐ高校生にもなろうと言う人間が、中学一年生に教えを請う姿は想像するだに滑稽である。
「とにかく、二人がその様子では間にいる私がい辛いんです。早く仲直りなりなんなりしてください」
それだけ言うと、絵麗菜はやけにスッキリとした表情で部屋を後にした。言いたいことを言い終えて達成感があるのだろう。瀬砂はその後ろ姿を恨めしく見ていた。
「いや、仲直りって言われてもな……」
それこそ頭を抱える事であった。そもそも瀬砂には喧嘩したと言う意識がないのだ。それどころか話した覚えすらない。原因のわからない事態をどう解決に導くか、それは人との関わりを避けてきた彼女にはあまりに難儀な問題だった……。
「なるほど、確かにそれは複雑な問題だな」
瀬砂の説明に彩人は目頭を押さえ、それでいて落ち着いた様子で答えた。照明の影に隠れて表情はうかがい知れないが、どこか困っているように見えなくもない。
「感情に関する部分は専門外なのだが」
「自分で相談に乗るって言っておいて、それ?」
彩人の呟きに瀬砂が目を鋭くした。彼女としてもこの相談は本意のものではなかったのである。ここに来た目的は、きたる防衛任務の際に、先日のようなエネルギー不足が起こらないよう改良を受けに来ただけ。それなのにまたメンタル面に問題アリと言われ、物は試しと相談した結果がこれである。瀬砂を不機嫌にさせるには充分な反応だっただろう。
「参考になるか判らない、と言う話だ……情報を整理しておこう。君が最後に内藤 瑠和にあったのは誘拐の一件、以降は会っていない」
言いながら彩人は部屋の脇からホワイトボードを引っ張り出し、何事かを書き込んで行く。それは日本語ではあるようだったが、瀬砂にはミミズがのたうち回った程度にしか見えなかった。
「接触がない以上この時に彼女の奇行に関わるなにかがあったと考えるのが妥当だ。ではその時の君達は何をしていたかと言うと」
「……友達になった?」
言葉にすると妙な違和感があったが、他に例えようもなく、瀬砂はそのままを口にする。彩人は「そうだ」と言いつつミミズの一匹の下に線を書き込んだ。
「確かその瞬間、瑠和は弁当を取り落としている。それが彼女の心証であるとすれば、君と松鳥 絵麗菜の友好が影響している可能性が高い」
そこまで話したところで彩人が振り返る。瀬砂はただただ呆然としていた。事実に驚いているのではない、単に意味が解っていないのだ。
「……これは推測だが、瑠和は君達に嫉妬しているのではないだろうか」
小さく溜め息をつきながら彩人は言った。彼にこの反応をされるのは瀬砂もはなはだ不本意だ。彼よりは人の気持ちには敏感な自負があったし、その意見も納得はいかない。
「友達作ったら嫉妬って、なんかベクトルおかしくない?」
「友達を作りたがらない君が、前々から友好的に接していた自分を差し置いて、最初に作った友達だ」
一つ一つ強調しながら言葉を付け加える彩人。その衝撃に押し出されるように、瀬砂からも「あ……」と言う声が漏れた。頭の中に過去の記憶が蘇る。思えば何度邪険に扱っても話しかけてくるのは彼女だけだった。それ以外は言い合いはしても話などにはならない。当時はそれがうっとうしかったのだが、今にして考えると随分と手間のかかる事をしていたものだと思う。その努力が無為になったのだとすれば、機嫌も悪くなるだろう。負けた相手がほぼ敵対関係だった絵麗菜ならなおさらの事である。
「重ねて言うが私はこの手の分野は専門外だ。あくまで一般論として覚えておいて欲しい」
「悪かったね、一般論すら解らなくて」
拗ねたように瀬砂はそっぽを向いた。本当は彼女にも判っているのだ、瑠和はどれだけ自分を気にかけてくれていたか。それを裏切ったのだとすれば、あまりいい気のするものではない。
「そう言わないでくれ。そう言った部分が、君の魅力を引き出している所もある」
「その余計なことばかり話す口を閉じろ、今すぐに」
毒づきながらも瀬砂は、瑠和にどんな言葉を掛ければ良いかを考えていた……。