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「幸い民間人に被害者は出ていないそうですので、今回は不問にしましょう」
やや疲れ気味の声色で秘書官が言う。表情に見せないのは流石だ、と瀬砂は思った。ここに来た他の人間は、戦いの跡地を前に驚きの表情を隠さなかったのだから。
彼らの目の前にあるのは二つの細長い塊だった。正確にはいましがた二つになったモノ。元々は黒魔術教団の所有するビルだった。魔獣を倒す際に使ったビームザンバーに巻き込まれ、二つに裂かれてしまったのだ。見るだけなら驚けばそれで済むだろう。だが、秘書官はこれの処理をしなければならない。文句の一つもあると思ったが、何も言わない彼を瀬砂は初めて尊敬した。
「施設内はこちらで調査しますので、浅染さんと松鳥さんはもう帰って頂いて結構ですよ」
少々冷たい言い方に感じたが、彼にとってはいつもの事である。特に気にする事もなく瀬砂達はその場を後にする。行き先は少し離れた場所にいた彩人の元だ。ザンバーが使用後に転送できなくなり、近場だった事もあって自分で取りに来たのだと言う。所々ひび割れたそれを見ながら、難しい顔をしていた。
「それ、直りそう?」
「修理は可能だ。だが当分は使えないと思ってくれ。必要なパーツに貴重な物が多い」
彩人に言わせれば、ザンバーの並外れた出力を、瀬砂個人のエネルギーでまかなうだけでもかなり難しいのだという。それを曲げて使えるようにした、その帳尻合わせが高級且つ高性能なパーツを、予算度外視で使用した事なのだ。そんな高価なものを、一度の使用で壊してしまったと思うと、瀬砂に罪悪感がこみあげる。
「……悪かったよ、無茶な使い方して」
「いや、君が傷付くよりは余程良い」
「っ!? ……死ね!」
一瞬前の反省から手のひらを返すように瀬砂は答えた。顔が熱くなっているのは恐らく気のせいではない。まだ不意打ちには馴れない様だった。
「的衛博士、あまり瀬砂さんを叱らないであげてください。今回の事は私が勝手にやった事ですから」
そこへ、後から付いてきた絵麗菜が頭を下げる。瀬砂が親しげに話している事から、すぐに誰かは判ったらしい。名前も事情説明の時に話したのを覚えていたのか、初対面とは思えない程のすらすらとした挨拶がなされた。瀬砂はその光景に目を丸くしたが、彩人は落ち着いたまま彼女の視線までしゃがみこむ。
「松鳥 絵麗菜だな。むしろ我々は君に礼を言わねばならない。君の助けがなければ、瀬砂も無事では済まなかっただろう」
そう言うと彩人はひざまずくように頭を下げた。彼の身長では絵麗菜より頭を低くしようとすればこうなるのは当たり前なのだが、それ故に本気で実行する事に二人は驚く。
「どうかこれからも瀬砂と仲良くしてやって欲しい」
そのままの姿勢で彩人は続けた。絵麗菜はこのようなうやうやしい行動を取られたのは初めてなのだろう。少し顔が赤くなっている。
「……ロリコン」
瀬砂は無意識の内に悪態をついていた。先程までは今の絵麗菜のように赤かった頬も、すっかり冷めきっている。その呟きを聞き取った彩人は、立ち上がりつつ彼女に向き直った。
「それは違う。私は君以外には興味がない」
「充分ロリコンじゃない……アンタはボクの彼氏でもお母さんでもないんだよ。勝手に変なこと言わないで」
尚も機嫌の直らない瀬砂に、彩人はため息をつく。しかし、諦めたかのような彼の代わりに、瀬砂へ声を掛ける者がいた。
「私と仲良くしたくはありませんか……?」
絵麗菜が、見るからに気落ちした様子でこちらを覗き込んでくる。頭を少し俯かせ、視線だけを向けてくる、いわゆる上目遣いと言った姿勢だ。瀬砂は一瞬たじろいだ。女の瀬砂から見ても、可愛い。彼女は確信した、今この場にNOと言う選択肢はない。
「……わかった、わかったよ。アンタは友達だ」
「……嫌々に見えましたけれど、今回はそれで勘弁して差し上げますわ」
ため息混じりに答えると、絵麗菜の表情は途端に明るくなった。その瞳には涙の一筋もなく、瀬砂でも演技だったのだとたやすく判断できる。やられた、と瀬砂は小さく呟いた。得意気な絵麗菜の顔に怒る気にはならず、むしろ笑いが込み上げる。
「もう、人の顔を見て笑うなんて、失礼ですわ」
そう言う絵麗菜も顔は笑っている。何がおかしいのかは判らないが、嫌な気分はしなかった。こういうのも悪くない、今は素直にそう感じている。
「アンタ達、何してるんだい……?」
しばらく笑いあっていると、瀬砂はふと横から声がしたことに気付く。聞き慣れた声だが、妙に覇気がない。疑問に思いながらも瀬砂は、声の主に問い返した。
「……瑠和?」
振り向いた先にいた少女、瑠和は何も答えなかった。ただ呆然と、二人を見つめている。そこにはいつもの凛々しい姿はなく、手に握られた巾着袋も今にも落ちそうになっていた。尋常ならざる雰囲気に、二人は一瞬目を見合わせる。
「あの、瑠和さん……?」
「……あ! いや、なんでもないよ? ただ、仲良さそうだなーって思っただけで」
おずおずと尋ねる絵麗菜に瑠和が答える。平静を装ってはいるが、見るからに挙動不審で、動揺している事は誰の目にも明らかだった。戸惑う二人に瑠和は、手に持っていた巾着を手渡す。
「あの、ずっと閉じ込められてたって聞いたからお腹空いてると思って。これ、差し入れ」
「え、ああ、ありが……とう?」
不意に突き出された袋を勢いで受け取ったのを確認すると、瑠和は逃げるように走り去って行った。その姿に瀬砂は首を傾げるしかできなかった。どうやら差し入れをしに来ただけのようだったが、それではあの狼狽した様子に説明がつかない。
「お弁当、ですわね。ごく普通の」
絵麗菜も同じ気持ちなのか、早速巾着の中身を確認したらしい。彼女が手に持っているのは、ピンクの可愛らしい弁当箱だ。子供用らしく、ティッシュ箱の半分程度の大きさしかない。もっとも、それも含めて別段珍しい点は見当たらなかった。
「やっぱり特に何も……あれ?」
念のためと思い、自分の袋も開けて瀬砂は目を丸くした。中身やはりは弁当。ただ一つ違うのは、瀬砂が持ったそれは、ずっしりとした重みを持つ、重箱だったのである……。