2-8
「アームドオンッ!!」
早口気味にそう叫ぶと、戦闘用の装甲が瀬砂の身体を包み込む。その行程が終わると同時に、彼女は背中のブースターに意識を集中させた。まるで光で出来た翼のように広がる炎が、瀬砂に掛かる運動エネルギーを相殺していく。やがて落下速度は遅くなり、瀬砂は地面すれすれの所でなんとか体勢を整えてから着地した。
「ふぅ……ちょっと絵麗菜! アンタ、ボクを殺す気!?」
「え、だって貴女、飛べるのではありませんでした?」
瀬砂に続いて、絵麗菜も降りてくる。こちらは緩やかな機動で、足を着ける前に中空で動きを止めた。見上げるような形でその様子を睨む瀬砂に、絵麗菜は不思議そうに首を傾げる。
「こっちはアンタ達みたいな常識外れな力はないんだ、これがなきゃ飛べるわけないだろ!?」
絵麗菜は事の重大さに気付いていないらしく、瀬砂はブースターを指差しながら、できる限りの大声で抗議する。その目尻には粒程度だが涙が浮かんでいた。
「それは……失礼しましたわ」
「これだから魔法が使えるヤツは……」
愚痴っぽく続けようとした瀬砂だったが、絵麗菜の目付きが変わった事に気付き、早くなった動悸をおさめる事に集中した。未だ傷一つなく鎮座する魔獣は、二人に気付いて向き直ったようだった。
「瀬砂さん、今はーー」
「判ってる、文句は後で言わせてもらうから」
瀬砂は言いながら右腕を構える。その先から現れる光の刃。軽く一振りすると、陽炎が景色をぼやけさせた。それが危機感を煽ったのか、魔獣が触手を瀬砂へと伸ばす。だが、既にそれは意味をなさない。瀬砂は既に、戦う力を手に入れたのだ。
「はっ!!」
掛け声一閃、刃で逆袈裟に切り上げる。ジュウ、と言う蒸気が沸き立つような音と共に、触手が中程から吹き飛んだ。熱さからか、魔獣はすぐさま繋がった部分を引っ込める。だが、表面には丸く焦げ跡がしっかりと残っていた。
「なるほど、やっぱり焦げると再生は……え?」
出来ないらしい、そう言おうとした口が止まる。魔獣が急に残った触手を体内に戻し、丸くなったのだ。そして、急激に身体の色を変化させる。瀬砂は身構えながらも訝しげにそれを凝視した。くすんだ体色は、とても強化の類いには見えない。むしろ風化したような、劣化を感じさせる。
「見て、身体の肉が剥がれていきますわ!」
恐らく同じ印象を受けたであろう絵麗菜が叫ぶ。瀬砂も目を丸くしていたが、魔獣は気にするそぶりもなく、表面の肉をボロボロと落としていき、
「脱皮した……?」
中から現れたのは先程と変わらない鮮やかな肉塊だった。焦げ目も既に残っていない。くすんだ肉塊と一緒に落ちてしまった。
『破損した部分を切除、新しい肉体を精製したのか。かさぶたを剥がすような物だな』
「かさぶたってそんな早く剥がれる物だっけ?」
彩人から届けられる解説に、聞くまでもないと判っても疑問がついつい口を突いて出る。かさぶたは内側で安全に傷を治療する為の言わば防護膜だ。内側の傷が癒えねば剥がしたところでなんの意味もない。問題はもっと根本的な所にある。それを考えると、すぐさま戦闘を再開した絵麗菜に続く気にならなかった。
『あの魔獣、素体は回復能力に優れた個体だったと見える。再生する間も無く死に至らしめる火力が必要だな』
それ見たことかと瀬砂は心で呟く。彩人の言葉が正しいのなら、絵麗菜の戦いは焼け石に水だ。先程ビルから落とした時ですら魔獣は無傷だった。彼女では決定打が足りないのだ。とは言え、それは瀬砂自身も変わらないのだが。
「彩人、何か良い武器はないの!?」
このままでは埒があかない。無理は承知でそう尋ねてみる。しかし、返答はある意味予想を裏切る物だった。
『無いことはないが』
「じゃあそれ送って!」
速答する瀬砂。歯切れの悪い彩人の態度が気になったが、状況がそれを許さない。彩人は少し沈黙したが最後は折れて「……わかった」と何かの操作を始めた。間も無く手元に現れる影。それを見て瀬砂は眉をひそめる。
「……剣?」
彼女にはそう見えた。しかも、極めて大型だ。刀身を重ねているのか、中心には隙間がある。確かに重量はあるが、これが切り札になり得るか疑問だった。
『発信器だ。それからレーザー刃を形成する』
「……これから?」
瀬砂は手元に付いた、義手の発信器と見比べる。このサイズでも3尺程の刃にはなるのだ、発信器だけでそれくらいはありそうなこれならどれだけの刃になるのか。
「また馬鹿げた物を……でもこれなら」
重みをそのまま勝機に感じる。瀬砂は剣から垂れたコードを腕に繋ぐと一度肩に担いで狙いを定める。
「絵麗菜、一旦下がって!」
呼び掛けにすぐさま応える絵麗菜。最後の一撃と言わんばかりに、巨大な炎を放ちながらその勢いで飛び退く。再び再生しようと丸まる魔獣の姿は、無防備そのものだった。絵麗菜が背後に着地する。瀬砂はすべての準備が整ったと言わんばかりに柄に備えられたトリガーを引いた。しかし、
「……あれ?」
構えてみても肝心要の光の剣が姿を現さない。二度、三度と試しても結果は同じだった。腹の底から焦燥感が込み上げてくるのを感じる。
『やはり出力が確保できないか』
通信から漏れる彩人の呟きが聞こえ、瀬砂は急ぎ問い返した。回答する彩人の声も、心なしか困っているように聞こえる。
『その大型ビームザンバーは、起動に君のエネルギーの六割は使用する計算だ。充電がまだ追い付いていないのだろう』
「エネルギーが足りないって事?」
言われて確認すると、エネルギー残量は約五割。展開した後振り回す事を考えると明らかに足りない。どうしてそんな大事な事を早く言わなかったのか問い詰めようとした瀬砂だが、問答を切り上げて転送させたのは自分だと思い出して止めた。
「でも、それならどうしたら……」
愚痴を言っていても仕方ないのは事実であるが、かと言って彼女に出来る事も限られている。エネルギーを貯めようにも、戦闘体勢を維持したままでは戦えない。絵麗菜にも少しずつ疲労の色が見えていた。
「退くしかないか……?」
周辺の人間は被害に遭うが、それが最も確実に思える。自分達が負けては、それ以上の被害が出るのだから。無意識に、剣を降ろそうとする、その時だった。
「魔法少女は魔法犯罪撲滅に死力を尽くさなくてはならない!」
後ろから大きな声と共に手が伸びてきた。絵麗菜だ。彼女は瀬砂が二掴みしてなお余りあった剣の柄を、下から握りしめる。一体何を、そう聞くよりも先に変化が現れる。ビームザンバーから、唸るような低い音が聞こえてきたのだ。
「これ、起動した?」
驚きでそれ以上の言葉が出てこなくなる。何が起きたのか考えあぐねていると、絵麗菜の身体から光の帯のような物が漂っているのが見えた。現象は瀬砂が把握できるような物ではなかったが、それがなんなのかは瀬砂でも判別がつく。恐らく可視化した電気、プラズマだ。絵麗菜が凄まじい量の帯電を行い、それが漏れているのだろう。
『魔法で電気を生み出し、それを動力系に無理やり流し込んでいるのか。無茶な事をする』
独り言のように彩人が呟く。その声は低く、何かを押し殺しているように聞こえた。機械は電気を巡らせる為に、ホースのような物を繋いでいるのだ、と瀬砂は聞かされていた。絵麗菜の行為は、言わば空のホースに外側から穴を開けて無理やり水を流し込むような物である。その後のホースがどうなるかなど、彼女でも判った。だとすればこの機械は。
『瀬砂、使うなら早くしたほうがいい。それはもういつ壊れてもおかしくないだろう』
「……」
彩人の言葉と口調は、瀬砂にも察して余りある物があった。心の中で彼に詫びつつ、再びトリガーを引く。ザンバーは今度こそ、眩い光を放ち始めた。
「すごい……」
どちらともなく呟く。彼女達の前に現れたのは、最早剣と言うよりは塔に近い。天高くまで伸び、その先端までは視界が届かなかった。そんな長物を持って、まるで重みが無いことに少し不思議な気分になる。と共に、頼もしさが伝わってきた。
「じゃあ行くよ、絵麗菜」
「いつでもよろしいですよ」
魔獣の再生が終わる。再び伸ばされる触手に、二人は正面から立ち向かった。剣が、降り下ろされる。
「いけぇぇぇええっ!!」
剣に触れ、先端から灼き斬れて行く触手。それに留まらず、刃の傾きが増すごとにどんどん切れ目が本体に近付く。振り抜かれ全てが終わった時、瀬砂達の前に残ったのは一直線に伸びた長大な斬れ跡だけだった……。