2-6
「……」
いやに冷たい視線で問う瀬砂に、絵麗菜は暫し押し黙る。即答はできなかったし、するべきでもないと思った。彼女は今でも良識の大切さを信じている。だが目の前にいるのは自分の常識が通じない、ある意味未知の生き物だ。その未知を知らぬまま安易な答えなど出して良い筈がない。それが瀬砂の為でもあり、秩序の有るべき姿なのだ。そんな決意を胸に絵麗菜はなんとか気持ちを言葉にしようとした。
「私は……」
「待った。どうやらここがゴールみたいだ」
しかし、それは瀬砂の言葉であっさり遮られる。不満気ながらも彼女が何かを指差したのを見て、絵麗菜は視線でそれを追った。そこは今までよりも更に薄汚れた階段だった。すぐ上には狭い天井が見え、これ以上上がない事は明白である。
絵麗菜は安堵しながら階段を登ろうとするが、少し歩いてすぐに引き返す。瀬砂がそれを追ってこなかったのだ。
「瀬砂さん?」
近付いて顔を覗き込む絵麗菜。それだけで瀬砂の変化は一目瞭然だった。息がひどく荒い。顔も青ざめていて、全身は小刻みに震えていた。瀬砂は絵麗菜の反応を見て「大丈夫だ」と答えたが、とてもそうは見えない。
「ちょっとエネルギーがなくなりそうなだけだよ」
言いながら、瀬砂はフラフラと階段を登り始める。聞けば、瀬砂のエネルギーは主に光と、補助程度に食事によるカロリーで賄われているらしい。薄暗く密閉された室内での長時間戦闘は想定されていなかったらしく、本人も戦って暫くして気付いたそうだ。
「ある程度の疲れは感じないようにできるらしいんだけど、流石に機能不全はなくせないみたいだ」
「当たり前です!」
絵麗菜は状況も忘れて声を荒げる。そして瀬砂の小脇に強引に入り込み、肩を担いでみせた。体格差があるため歩みは遅いが、それでも瀬砂よりは幾分速かった。
絵麗菜は憤った。こんなになるまで何も言わなかった瀬砂に。そして、こんなになるまで彼女に頼りきっていた自分自身に。二つの怒りが混じり合い、憤怒を通り越して何故だか悲しくなってくる。
「私が、役立たずなばっかりに……!」
「……やめてよ、そう言うの。今悔やまれても、今のボクは何も得しないんだからさ。嫌だと思ったなら、もうそうならない様に努力でもしておいて」
絵麗菜の口から漏れる後悔の念に、瀬砂は眼をそらしながら悪態つく。憎まれ口のようで、それが彼女なりの慰めだという事が痛い程伝わってきた。
なんとか階段を登り終え、二人は周囲を見回す。そこは屋上への出口である鉄扉だけが設置された、ひどく狭い場所だった。絵麗菜が見る限り、人が隠れられるような場所もなく、伏兵の危険は感じられない。
「……居るね」
しかし、瀬砂には何らかの影が見えたらしい。鋭い眼光で、壁をジロリと睨み付ける。
「この向こう、ですか?」
「ああ、警備員が3人程」
瀬砂は事も無げにそう言った。絵麗菜は落ち着き払う彼女の意図を読み取る事ができない。既に彼女はまともに戦える状況ではないのだ、その見張りをどう片付ければ良いのか。絵麗菜が考えあぐねていると、瀬砂は肩に寄りかかったままガシャガシャと右腕をいじり始める。気付けば彼女の右腕は、人間のソレとは思えない無骨で無機質な物になっていた。そこからまるで鎧か何かを外すように、瀬砂は何かを取り外す。音を立てないように絵麗菜が慌てて受け取ると、それは小さなパイプのような部品だった。
「何をする気ですの?」
パーツが外れて大きな穴が露出した腕を見て、絵麗菜に不安がよぎる。どうにもそれは銃口に見えてならない。それも今の疲れきった瀬砂には不釣り合いな程大口径の、である。歩くのもやっとの状態で一体こんなものをなんに使うのか。その答えは瀬砂の返事が物語った。
「大きなエネルギー反応が見える……あれを壊せば魔法も使えるんでしょ」
瀬砂は自力で立ち上がり、もたれかかるように右拳を壁に押し付ける。手首に取り付けられた銃口が、淡い光をもらした。
「ちょっと、そんな武器もう貴女には……」
「後始末は任せた……よっ!」
咄嗟に絵麗菜が制止に入るも、時既に遅し。光が一気に強まり、壁を粘土のように容易く貫いた。目に入るのは手首と壁の間のわずかな光だけだったが、その威力は直ぐに判った。外から大きな爆発音が聞こえたのだ。同時に、全身に力がみなぎるのを感じる。そして何より、撃ち終えて間も無く、瀬砂は糸の切れた人形のように倒れてしまった。残された全ての力を使ったのだろう、と絵麗菜にも容易く判断がついた。
「まったく、なんて無茶を……」
急いで瀬砂を抱き上げようとする絵麗菜。しかし、先程のようにうまくいかない。ぐったりとうなだれる彼女の身体は、意識があった時とは比べ物にならない程重く感じられた。まるで本当に死んだかのようだ。呼吸音すら絵麗菜には聞こえなかった。
「な、なんだ!?」
「階段の方から何か飛んで来たぞ!」
しかしそれを気にしている間も無く、外からは慌てふためく人の声が。そこで絵麗菜は「後始末」を任された事を思い出した。
「そう言う事ですか」
そう呟きながら掌を軽く広げる。その手元に、電流が唸りを上げた。力が戻った絵麗菜の前に、数名の一般人など敵ではない。扉が開くと同時に、電流がまるで植物の蔦のように次々と警備員に絡み付き、その皮膚を焼き焦がした。三人がほぼ同時に、呻き声を上げながら倒れ伏す。絵麗菜は軽くジャンプすると、瀬砂を担いだまま男達を軽々と飛び越えて屋上に出た。その跳躍力は、彼女の運動力も瀬砂の重みも微塵も感じさせない。絵麗菜にとっては空中浮遊も思うがままだ。日当たりの良さそうな中心地に向けて、瀬砂を放り投げた。少し待つと、瀬砂がゆっくりと起き上がる。
「なんでわざわざ投げ捨てるのさ。これでも生身は残ってるから痛いんだよ」
「私に相談もせずに無茶したお仕置きです」
頭を押さえながら抗議する瀬砂に、絵麗菜は笑いながら返した。彼女の不敵な表情に、瀬砂からも笑みが浮かぶ。初めて彼女が純粋に笑っているのを見た、絵麗菜はそんな気がした。また、笑えば人並みに可愛いのだとも。
「これで捕まった人も自力で脱出……ん?」
満足気に語る瀬砂だったが、何かに気付いて耳元に手を当てる。それと同時に何事かを喋り始めた。
「彩人、呼んだ? ……ああ、ちょっと野暮用でね。大丈夫だよ、もう済んだ……え? それつまりどういう事?」
どうやら誰かと話をしているようだった。電力を使った念話機のような物なのか、と絵麗菜は解釈した。しかしそれよりも、先程とはうってかわって顔を強張らせる瀬砂が気にかかる。しばらくすると彼女は手を下ろし、絵麗菜へと視線を戻した。
「今のは」
「通信。さっきのジャミングで生体反応も阻まれてたみたいでね、急に反応が途切れたからウチの博士が連絡を寄越したみたいだ」
そこまでで言葉を切る瀬砂。しかし絵麗菜は答えない。瀬砂の表情が、続きがある事を隠そうとしていなかったのだ。ただ黙って、それが語られるのを待った。
「……それでさ、ボク達の反応と一緒にもう一つ、とてつもなく大きな反応が同じ場所にあるって言うんだけど。心当たり、ある?」
「なんですって……?」
絵麗菜は眉をひそめる。もちろん彼女にも心当たりなどあるはずもない。第一ここは完全に開けた屋上、そんな巨大な何かがいれば、隠れる事も出来ないだろう。だが瀬砂の力を見ると、彼女を改造した人物の技術に疑う余地はない。ならばそれはどこにいるのか、それはなんとなく想像がついた。
「下に行きましょう! 多分地図から反応を見ているから、高度の違いがわからないので……うわっ!?」
言い終わる前に悲鳴が口を突いた。突然の地響きにバランスを崩したのだ。そのまま倒れそうになった所を瀬砂が支える。礼を言いながら体勢を立て直そうとした時ふとフェンスの向こうに目が行った。晴れやかな景色を阻むそれは、紛れもなく黒煙だ。それは彼女達に敵の存在を実感させるには充分なものだった……。
「これは……厄介な事になりそうだね」