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「また途切れてるよ。全く意味がわからない建物だね」
突き当たった先の壁をさすりながら、瀬砂はぼやいた。この建物、階段が一ヶ所に纏まっておらず一気に上まで行くことができない。お陰で絵麗菜達は一階層毎に内部の探索を余儀なくされていた。エレベーターなどあれば早いかも知れないが、出入りの際に敵と鉢合わせては洒落にもならない。
「大方、テロ対策の一環なのでしょう。直ぐに使えるようになる施設は、占領された時に脅威になりかねませんからね」
絵麗菜は努めて冷静に答える。薄暗い通路の雰囲気と、面倒を強いられる状況は、確実に二人の心に焦りを生んでいた。刻一刻と過ぎる時間が、やけにもどかしい。
「牢番の男、あのまま放っておいて良かったんですの?」
ふと思い出して、絵麗菜は瀬砂にたずねた。あの男が目を覚まし、どこかに連絡を入れてしまう事が彼女には気がかりでならなかった。口はハンカチで縛っておいたが、肝心の手足はそのままだったのだから、不自然としか言いようがない。
「背骨を外してやったからね、アイツは大丈夫だよ」
「また荒っぽい事を……」
瀬砂の答えに、絵麗菜の眼が鋭くなる。背骨は骨格としての役割に加え、各種神経を脳まで経由させている、言わば人間の支柱である。上手くすれば半身不随を引き起こせるし、現代医療なら充分治療も可能な箇所だ。しかし、損傷のしかたによっては後遺症が残る場合もあり、最悪死に至る。そんな危険な手段を平然とやった瀬砂に非難の言葉をぶつけようとする絵麗菜だったが、途中でやめた。
「やり方を、知っていたんですの?」
「一応ね」
素っ気ない瀬砂の反応を見ながら、反射的な行動を取らなくて良かったと息をつく。このような技を予備知識もなしに使えはしない。お世辞にも頭は良くない瀬砂ならば尚更だ。意識して習得した、そういう事になる。
思えばここに来るまでの瀬砂の手際は実に鮮やかだった。足音も立てずに歩き回り、あらゆる手段で見回りの目を欺きながらやり過ごしていく。見つかりそうな時は声すら上げる暇も与えずに気絶に追い込んだ。一度だけ支援に銃を使おうとした事もあったが、絵麗菜には照準を合わせるだけで精一杯だった。それすらも間に合わず、結局は瀬砂が背後から締め上げての決着だった。
絵麗菜は認識の甘さに気付く。使う人間が訓練していなければ、武器などあっても仕方がないのだと。そして、瀬砂がそれを苦もなくこなしていると言うのは、つまりはそういう事なのだ。
「ありましたわ」
戦闘ではどう考えても役に立てない。絵麗菜は進路探しに躍起になった。幸い、建物の構造から設計者の癖のような物は見えてきた。少し辺りを見れば、だいたいの見当はつく。
「しかし、本当に屋上に行けば装置はあるの?」
絵麗菜の見つけた階段を先行しながら、瀬砂は疑わし気に言う。上に登る事は、同時に出口から離れる事に繋がる。勿論他の女性を見捨てる訳にはいかないのだが、やはり不安はあるのだろう。しかし、そこに関しては絵麗菜には確信があった。
「国営魔導炉からの魔力供給は、外部に露出した受信塔にしか出来ませんのよ」
ジャミングは一瞬でも解除されれば脱走の恐れがある。このような恒常魔法製品は、国からエネルギーを受ける為に必ず受信塔と呼ばれる装置を併用するのだと言う。これは極振り用の魔法製品にも使われる技術で、極振りならば当然のごとく知っている知識なのだが。
「仮に装置がなくても、受信塔さえ壊せば魔力の供給はストップします。それとも、瀬砂さんは年中無休でこのジャミング装置を稼働させ続けられます?」
「知らないよ、そんなの」
皮肉混じりに返した言葉だったが、瀬砂の反応は予想以上に不機嫌なものだった。それを見て、絵麗菜は彼女が極振りで、魔力供給自体できない事を思い出す。
「……失言でしたわ」
軽率だった。知らず、絵麗菜は苦虫を噛み潰したような顔になる。瀬砂はそれを見るなり少し驚いた様子で「気にしてないから」とフォローを入れてきた。そして一度周囲を見回して、
「アンタ、本当に細かい事気にするよね。疲れない?」
絵麗菜に向き直ってからそうたずねた。壁しかない階段を見回してなんの意味があるのかは判らないが、彼女にしか見えない何かがあるのかも知れない。近くに敵はいないと言う事なのだろうと絵麗菜は思った。
「疲れませんわ。だって、こうすれば皆楽しくいられるでしょう?」
そして、特別迷う事もなくそう答える。彼女にとってはもう自然体と言っても良い姿勢だ。
絵麗菜が今よりも小さい頃、身体が弱い彼女を助けてくれたのはいつも大人だった。いじめにあった彼女は良識を持った大人に助けられ、また彼女が間違いを犯した時は大人がたしなめてくれた。そんな彼らを見て、絵麗菜は自分もこんな人間になりたいと思ったものである。良識を持ち、人を助け、また過ちを正せる大人に。
「私が立派な人間になれば、私を見て良識ある人間になってくれる方もいるはずですわ。それって、素敵な世界じゃありません?」
そう語る絵麗菜を前に、瀬砂は終始無言だった。ただ、悲しげにも苛立たしげにも見える少し暗い表情を浮かべ、そのまま背を向けて先に進み始める。彼女の様子に首を傾げていた絵麗菜だったが、置いていかれてはと慌てて追いかける。そうして二人が歩みを進め始めてから、瀬砂はゆっくり口を開いた。
「アンタの事を、少し誤解してたかもしれない」
「え?」
絵麗菜は少し驚いた風に問い返す。瀬砂とは今まで会えば口論が絶えず、たまに会話をしたとしても喧嘩腰で、双方理解など全くしようとしていなかった。そんな瀬砂が自分の非を認めようとしているのだ。驚くなと言う方が無理だった。
「ルールがどうって言ってくるヤツは昔から居たんだよ。この性格は結構昔からだったから」
絵麗菜は黙って耳を傾ける。瀬砂が自分の事を話すのは、思えば初めてかもしれない。自分とはある意味真逆とも言える人生を歩んできた者の言葉は、彼女の興味を引いた。
「そう言うヤツらは口では野蛮だ、お里が知れるだって罵倒してくるけどさ、眼を見るとなんとなく判るんだよ。ああ、これは恐がってるなって」
滔々と語られる言葉が絵麗菜の胸に刺さる。その光景は彼女もよく知っていた。瀬砂の事を悪く言う他の魔法少女達がまさしくそうだ。誰もが彼女を否定しながら、誰も彼女には向かわない。正すのではなく、淘汰したいのだ。自らの安全の為に。
「だからそういう事言うヤツは嫌いだったんだけど……アンタは違ったみたいだね」
いつもより少し弱々しい瀬砂の声。はっきりと言葉にこそしないが、そこからは謝意が感じられる気がした。真摯だ、と絵麗菜は思う。自らの過ちを正しく反省する。それはあの魔法少女達なら絶対にしない事だった。
「……私にも教えてください! どうして貴女は人を傷付ける事にこだわりますの?」
そんな彼女の姿に思わず声が出ていた。だが、間違ったとは思わない。彼女を知るには今を逃してはならない。そんな確信めいたものが、絵麗菜の中には渦巻いていた。突然の大きな声に瀬砂は驚いたようだったが、すぐに何かを考え込み、今一度周囲を見直してから口を開く。
「楽しいから」
「……え?」
絵麗菜は一瞬、反応が遅れた。あまりにシンプルな答えにふざけているのかと勘繰る。だが、瀬砂にその様子はなく、むしろ切なげな表情は本気さをうかがわせる。
「楽しい? 人を傷付ける事が?」
「おかしいのは自覚してるよ。でも本当にこれ以上の理由はない」
強いて言うなら、自分が我慢しているのに平然と暴れるヤツらが気に入らない、と彼女は付け加えた。本当に今思い付いたような、どうでもよさそうな口調。ならばやはり先程の言葉こそ本心なのだろうと思う。だと言うのに、絵麗菜にはそう答える瀬砂の心情が全く理解できなかった。確かに加虐心と言う物はあるだろう。しかし彼女のそれは異常だ。その常識はずれな嗜好が理解と納得を結び付けようとしない。
「……ねぇ、絵麗菜。誰もが楽しくいられる為のルールに、一番の楽しみを奪われる人間はどうすれば良いんだろうね?」