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「どうして……」
絵麗菜は苛立っていた。逸る気持ちはあの日から数日経った今でも収まらず、ここ最近はこうして暇さえあれば街を徘徊している。既に学校は冬休みが始まっているのは彼女にとっては幸いだった。今の状態では授業など身に入らないだろう。もっとも、絵麗菜の学力は学校の必要とするそれを遥かに上回っているのだが。
瀬砂復帰の報は絵麗菜にとっても悪いニュースではなかった。彼女とは意見こそ対立しているが、その実力は絵麗菜も認めるところである。その戦闘能力実績は自分に迫るものがあり、自らの二つ名である「真の魔法少女」も、彼女の対としてつけられる程世間で並び称されている事も承知の上だ。そして何より、彼女の境遇は絵麗菜の興味を引くものだった。
瀬砂は絵麗菜と方向性は違うものの、共に生まれつき極振りと呼ばれる存在だった。その為に被った苦労は計り知れない。松鳥 絵麗菜と言えば天才の代名詞である、などと世間で言われてはいるが、実際は違う。確かに特化した強い魔力は戦いにおいては輝かしい功績を生んだが、人並みにも劣る体力は日常生活では大きな枷となった。学校体育などでは否応なしに目立つため、いじめの経験も少なくはない。自分ですらこうなのだから、障害者として扱われる対内極降りの瀬砂の苦労は最早想像もつかない。そんな境遇であるのに、魔法少女として活躍し続ける彼女の強さにはある意味の敬意すら持っていたかもしれない。
「なのに……!」
だからこそ、彼女が先日言い放った一言は衝撃的だった。人体改造を受けたと、そう言ったのだ。聞いただけでは信じられなかったかもしれない。しかし、絵麗菜は目の当たりにしていた。帰ってきた瀬砂の戦いぶりを。
印象に残っているのは、翼。その背中には金属でできた重苦しい翼が備わっていたのが一番目だった。そこからの白光、そして爆音。次の瞬間には瀬砂の蹴りが間合いから大きく離れた相手に届いていた。それに、見間違いでなければ何か、光の玉を飛ばしたようにも見えた。無論極振りの彼女にできる芸当ではないはずだ。そして極めつけは腕から生えたドリル。あれだけのものを見せられてはもう否定はできない。瀬砂の言葉は真実なのだろう。
「どうして今になってそんなものに頼りますの!?」
周囲がどよめく。奇異の視線を向けられて初めて、絵麗菜は自分が声を出したことに気付いた。だが周囲に頭を下げつつも、思考はなおも瀬砂の事で埋まっている。絵麗菜には、瀬砂の行いが逃げに感じられて仕方がなかった。
「それでは、黒魔術教団と同じではありませんか……」
今度は周囲に聞こえぬよう小さく呟く。これは彼女が黒魔術教団について最も思うところである。彼らは自らの力を高める為に、努力ではなく他者から奪い取って事を成そうとする。それは言わば努力の放棄だ。努力なくして得た力など、その人の力とは言えない。浅染 瀬砂はただ一度の敗北で堕落した。絵麗菜にはそのように感じられた。敬意を持っていた相手に裏切られ、彼女には今自分がどうすべきかも判らない。これから先が憂鬱だ、もしこのまま瀬砂が復帰したら、彼女が引退するまでの一年、仕事を共にしなければならない。その時絵麗菜は、どのような顔を向ければ良いのか。
「……帰ろう」
絵麗菜の悩みは尽きる事がない。今のままではパトロールの代わりにもならないだろう。それに少し、何も考えない時間も欲しかった。踵を返し、家路につこうかと考えた。そこで、初めて気付く。
「ここは、どこ?」
絵麗菜は見知らぬ場所を歩いていた。周囲を見回す。閑静な場所だ、樹木が立ち並び、住宅らしきものはない。自然は豊かだが地面が舗装されているところを見ると、どこかの公園だろうか。そこまではわかっても具体的な場所は検討もつかなかった。
おかしい、絵麗菜は自らの立たされた状況をいぶかしむ。確かに注意力が欠けていたのは自身の認めるところである。だがだからと言って、このような見知らぬ土地に、なんの迷いもなく来てしまうなど明らかにおかしい。彼女は普段よく回っているパトロールコースを歩いていた。ならば普通は、無意識の時は癖で同じ道を通るのではないだろうか。では、何者かに誘導されたとでも言うのか。しかし、どうやって。それに絵麗菜にはその目的が判らなかった。周囲にはそこそこの人の目があり、何かをするにも向いているとは言えない。
気のせいか、そう考えかけた絵麗菜だったが、直後に考えを改める。気付いたのだ、周囲の人間は皆目が虚ろで、意識が稀薄だ。誰一人、明確な意思をもってここにいる人間が見当たらない。
「まさか、全員操られている?」
これには絵麗菜も動揺を隠せなかった。個人に暗示をかけて何処かへ誘導する、その程度ならば魔法を用いれば可能かもしれない。だが、これだけの人数をとなると話は別だ。手段もさることながら、実現にどれだけの魔力が必要なのかは計り知れない。それだけの膨大な魔力を持つ者が近くにいると言うのか。絵麗菜も単純な魔力量で言えば、自らの天賦の才は自覚している。その絵麗菜をして驚愕せざるをえない魔力を持つ手段など限られてくる。即ち、
「黒魔術教団……!」
彼らの黒魔術を用いれば、後天的に強い魔力を生むマナ細胞を移植することができる。絵麗菜の魔力は先天的に高いと言ってもあくまで個人のレベルの話である。後付けで無尽蔵にマナ細胞を追加できるのならば、最終的には彼女でも勝てない状況が生まれるだろう。これはそれだけの細胞が得られる人間……恐らく幹部の犯行だ。
そうだとすれば、目的もおのずと見えてくる。彼らの活動は瀬砂重傷の報から目に見えて活発になっていた。これもその一環ということだろう。そして彼らの目的と言えば、黒魔術用による移植で使うマナ細胞の確保、端的に言えば誘拐である。幹部か、少なくとも重用されているであろう者がそんな仕事をするのかどうか、という疑問は残る。それでも、強者の存在を認めない訳にはいかない。
「まさか最近の行方不明事件の真相がこういう事だったなんて……クッ」
絵麗菜は走り出す。この場にいる魔法少女は自分だけ、自分がなんとかしなければならない。そう考えたのだが、あまりに突然の出来事に彼女には自分が何をするべきか判らない。それでも立ち止まっている暇はないのだ。絵麗菜は先ずは周りの人を正気にできないかと近場の人間に話しかける事にした。近場、と言う距離ですら体力にハンディキャップを持つ彼女には時間を要する。そのせいか、彼女は少し駆け寄るのが遅れたかも知れない。彼女が近付いた人物は、手が触れるよりも先に、糸が切れた人形のように崩れ落ちた。
「っ!? ちょっと貴女、大丈夫ですの!?」
一歩遅れてその人の元へ届いた絵麗菜は、慌てて女性の身体を抱き上げる。とりあえずは脈拍の確認、それで命に別状がない事を悟り、ひとまず安堵の溜め息を漏らした。
これも術者の手による物だろう。人々をまとめて一ヶ所に集め、抵抗できなくしてからまとめて拘束する算段か。そう推測してから、絵麗菜の頭に不安がよぎる。彼女の読みが当たっているなら、近くには人を運ぶ人員がいるはずだ。もたもたしていると、それと鉢合わせる恐れがある。急いで動かなくては。しかしルートは。操られている人はどうする。あまりに唐突に追い込まれた非常時に判断能力が鈍る。それでも無理矢理に思考を総動員したのがいけなかった。その行動は彼女の不安を、ある意味最悪の形で杞憂にする。考えで頭を支配された彼女は、背後から近付いてくる影に気付けなかったのだ。殺気に絵麗菜が振り向いた時、影は既に棒状の物を振り上げ、今まさに絵麗菜に迫る所だった……。




