第一章・四篇「額縁の中の禁忌」
お城のような家に住むのが小さな頃の夢だった。
路地裏で生まれた私には一生無縁だと知っていながら、そんな夢を見ていた。
だから私を引き取ってくれた二人にはとても感謝している。
お城ではないけれど、それに引けを取らない場所で暮らせたのだから。
…………。
「お嬢様。お客様がお見えになりました」
物思いに耽っていた少女に執事が呼びかける。
「……わかったわ。お通しして」
驚く様子も無く、ゆったりとした仕草で少女―アルカ・F・オルドロスは執事に微笑を返した。
「…………」
軍の本部から虚ろな街を抜けて、更に海岸沿いに十五分。
着いた場所は結構な豪邸。
先日『愛国者の銃声』が襲撃したパーティ会場ほどではないにしろ、二家族、いや三家族は余裕で暮らしていける大きさ。
広大な庭に広大な屋敷。
―これだけ広いと掃除する使用人はたまった物じゃないだろうな…
応接室に通されてから十分間、そんな無駄な事を考えて時間を潰す。
そして更に五分後。
「お待たせ致しました。主がお待ちです」
いい加減痺れを切らした頃にようやく現れたのは、オールバックの白髪とモノクルが良く似合う執事らしき初老の男性。
「……主ってのは、女かい?」
案内に従いながら、問い掛ける。
「何故、そうだと?」
頭髪と対を成すような白い口髭に手を当て、執事は少しばかり目を丸くする。
「客人を十五分以上待たせるのは、化粧か着付けをしてたから…じゃないのか?」
相手が男性ならちょっとした皮肉になる一言。
しかし執事はバツが悪そうにするでも無く、軽く微笑んでその皮肉に返答した。
「如何なる客人が相手であっても、粗雑な格好でお嬢様に恥を掻かせる訳には参りませんので」
出来た執事の返事は、ヴァルクの問い掛けに対する答えも含まれた出来た答え。
「なるほど」
「納得して戴けましたかな?」
「尊重すべき理由だ」
「御理解に感謝致します」
一礼の後、踵を返す執事に今度は黙って従う。
物の分かった『大人』と会話をするのは久しぶりな気がする。
ロディスと言いジェンスと言い、何処かで何かがイカれた連中ばかり相手にしているからだろうか。
皮肉や罵詈雑言が無い会話というのも、たまには良いものだ。
―って、一番イカれてる俺が言える事じゃないか…
内心で苦笑しながら長い廊下に飾ってある絵に目を向ける。
特に絵に興味の無いヴァルクでも見た覚えがあるような絵画ばかりが並ぶ。
結構な数が飾られており、これだけあればそれなりの展覧会が開けるだろう。
「…ん?」
ふと一枚の絵を前に足を止める。
長い廊下の中間に当たる位置に飾られた絵。
椅子に腰掛けてはにかむ亜麻色の髪の少女。
その背後で二人寄り添いながら少女の肩に手を置いている夫婦。
柔らかなタッチで描かれたそれは、暖かな家族の絵だった。
「あの…」
気に掛かり、執事を呼び止めた。
「はい?」
「この絵は…」
不思議そうに振り向いた執事はヴァルクの視線の先にある絵を見て、「ああ」と納得の声を上げる。
「この絵は先代当主のザウス様が描かせた物です」
「先代…?」
スーツ姿で微笑むこの男をヴァルクは知っている。
それも二、三日前に軍の施設で見かけたばかりだ。
だが執事は『先代』と呼んだ。
まだ隠居する歳でもないはずなのに…。
ヴァルクの意図を察したのか伏し目がちに執事は口を開く。
「…ザウス様は昨日赴いたパーティの席で…」
「!」
『パーティ』と言う単語でだいたい察しはついた。
この男も『愛国者の銃声』の襲撃の被害者だったわけだ。
「それは…お気の毒に…」
とりあえずの礼儀としてそう言っておく。
「なら…アンタの言う『お嬢様』ってのは…」
「オルドロス家現当主アルカ様にございます」
名を聞いてからもう一度、絵に目を向けて見る。
―こいつが…現当主…
この絵がいつの物かは知らないが絵で見るザウスとヴァルクの記憶にあるザウスに違いがほとんど無いと言う事は、ごく最近に描かれた物なのだろう。
だとすれば今回の依頼主は二十歳にも満たない子供、という事になる。
―やれやれ…子守は得意じゃないんだがな…
「よろしいですかな?」
早くもこの仕事に不安を感じ始めたヴァルクだったが、促されるまま執事に続く。
まあ拒否権はこちらにあるのだから仕事は選ばせてもらおう。
「……………」
たがここまでの燃料代を考えると断る事になった時に請求できるだろうかと、少々不安になる。
「……………」
仕事もせずに帰った場合、ロディスに何と言われるか…少し憂鬱だった。
そして、控え目な装飾が施された扉の前で執事は立ち止まる。
「お嬢様、お客様をお連れしました」
「お通しして」
扉の向こうから響く予想よりも大人びた声。
―『お』が四回…か
実に下らない事を考えながら執事が開けた扉を通り抜ると、真っ先に視界の中で自己主張を始める赤いソファと亜麻色の髪の少女の姿。
それは笑ってはいないが間違い無く絵の中の少女。
腰まで伸びた髪は艶やかで美しく、背丈こそ低いが整った顔立ちと泣きボクロのアクセントがそれを補っている。
だが、何よりもヴァルクの目を奪ったのは彼女の瞳。
金と銀、それぞれ異なる色の両目。
一昔前に発生し、そして世界に否定されて消え去ったはずの禁忌の申し子の瞳。
「『REINCARNATION・CHILD(生まれ変わった子供)』……」
連想出来た言葉を思わず口にしてしまう。
死体の遺伝子から作られるクローンとは似て非なる存在。
遺伝子操作で造られた大人にとっての理想の子供。
髪の色から能力に至るまで、子供の全てを大人の要望通りに調整し、編集し、そうして生み出される人類の次の進化の形たる子供達。
神の行為に手を伸ばし、禁忌を快と刺激の幻想で覆い尽くした大人達のエゴと狂気の代弁者。
そのエゴを皮肉った名をヴァルクは呼んでいた。
「…………」
「まさか、このご時世にお目にかかれるとは…」
皮肉ではない。
同じ部隊のシェニスが唯一の生き残りだと思っていたヴァルクにとって目の前の少女はまるで斬新な芸術品。
「貴方もずいぶん変わった髪の色と声ですね」
驚いているのは向こうも同じようだ。
「まあ…アンタと似たようなもんさ」
妙なくらい静かに発せられた言葉を肩を竦めて返す。
「仕事の話に移りませんか?」
「…そうだな。無駄話は性に合わねえ」
二人が赤いソファに腰掛けると、いつの間に用意したのかテーブルには執事が運んできたのであろう珈琲が二つ。
ガラス製のテーブルに置かれた珈琲に手を付けずに少女は口を開く。
「申し遅れましたね…私はオルドロス家当主『アルカ・F・オルドロス』です」
丁寧な挨拶だったが彼女の目に宿る光には見覚えがある。
あれは人を知る目。
人が持つ表と裏。
高潔な顔と穢れた顔のどちらも知っている。
この世の底を見てきた人間の目。
「…共和国陸軍第13特務部隊『GEGENANGRIFF・TOD(死への逆襲)』所属、ヴァルクだ。」
こちらの自己紹介にアルカの瞳が僅かに揺れる。
「『G・T部隊』…噂じゃなかったのね…」
見透かすように両目を細めて続ける。
「依頼主や民間人の無事より暗殺者やテロリストの抹殺を優先する部隊…」
「ほぉ…よく勉強してるな」
軍の中でも大佐以上の階級でないと知り得ないG・T部隊の情報を調べ上げたことに、素直に感心しておく。
「そして、その部隊の中で最も強力な戦闘用サイボーグ…『ヴォルフ・エクス・マキナ(機械仕掛けの狼)』…」
ヴァルクの二つ名を呟き、一拍入れると底冷えする視線と声で再び呟く。
「父様を…見殺しにした男…」
「…………」
声に篭った憎しみとは裏腹に、その目は相変わらず全てを悟りきったように澄んでいた。
_____________続く