第一章・三篇「電子音の響く街」
大都市の昼下がり。
晴天から降り注ぐ陽光がアスファルトを焼く。
立ち並ぶ高層ビル群のガラスに乱反射した太陽が異様な熱気で街を包んでいた。
しかし、そんな地獄の釜のような環境にも拘らず文句を言う人間は一人もいない。
いや、文句を言えるはずが無い。
この都市には猫の子一匹、存在していないのだから。
この街は愚行の象徴。
世界が何とか戦争を忘れ一つになろうとしていた時、何故か一国だけで抗った国があった。
理由は未だに不明。
それは極東の小さな島国。
誰よりも世界平和を望んでいたはずの国。
世界で唯一、核の味を知っている国。
しかし世界平和が実現する一歩手前で世界を裏切り、勝ち目の無い戦いを挑んだ愚かな国。
完膚なきまでに叩き潰され、文字通り滅亡した悲しい国。
そして、この街はその国の首都。
かつて「東京」と呼ばれた虚ろな街。
「…………」
言葉を語る者が存在しない街を轟音が震わせる。
車の通っていない道路を猛スピードで駆け抜ける車輌が発する独特のエンジン音。
それは強化装甲を施された今時珍しい大型のバイク。
軍用である事を物語る無骨な迷彩柄のボディとライトの下に填め込まれた機銃が容赦ない日差しの下、光沢を放つ。
強襲用自動装甲二輪『Ferrum・Tauromachia(鋼鉄の闘牛)』。
通称『F・T』と呼ばれる最前線で活躍する特攻兵器である。
「………」
防弾用強化プラスチックの風防で叩き付ける風から身を守るのは、銀縁の眼鏡をかけた青年。
歳は二十歳を超えているだろう。
子供には無い成熟した鋭さを秘めた黒い目を細めながら、更にバイクのスピードを上げる。
風防に映写されるように浮かび上がるホログラフィに表示された速度は優に300キロを超えている。
目深に被ったヘルメットに収まりきらない白髪が風の流れの中に暴れ、それでも青年はスピードを落とそうとはしない。
とは言っても急いでいる訳では無いらしく、むしろその馬鹿げたスピードを楽しんでいるようでもあった。
「……」
ふと、青年は誰もいない街に目を向ける。
遮蔽物が存在せず、遥か彼方まで伸びる直線の道路。
余所見をするにはスピードが出過ぎていたが、青年は静かに建ち並ぶビル群から目を離そうとはしない。
「………」
懐かしむように哀れむように空虚な都市を眺め続け、やがて感傷を振り払うかのように更にスピードを上げるべく体勢を低くした。
『あー、あー、ヴァルク君、応答せよ、ヴァルク君?』
「…………」
しかし、突然無線から流れ出てきた緊張感の無い声にヴァルクと呼ばれた青年の表情が僅かに呆れの色を帯びる。
「…なんだ?」
F・Tのスピードを落としつつ返した返事は人間の声ではない。
人工的に造られた、心地よくも無ければ耳障りでもない電子音。
人工音声が主流の時世に全く合わない、聞く者に嫌悪と虚しさを抱かせる声色。
人間の口から発せられるはずの無い音に、ほとんどの者は耳を疑う。
しかし、無線の向こうにいる人物は何の動揺も感じていない様子だった。
『ええと…ロディスから伝言だよ』
まるでその声を聞くのが日常だとでも言うように。
「伝言?」
『そう』
聞き返す間にF・Tを停止させる。
「緊急なのか?」
『うーん…どうだろ?」
間延びしたのんびり口調に苛立ちと呆れを込めて、ヴァルクは「もういい…」とため息混じりに告げる。
「生憎と急いでるんだ。早く言え」
『了解。えっと…「退屈だ、早く帰って来い」…だって」
場違いにも程がある伝言に、呆れを通り越して怒りさえ湧いてくるのを感じる。
「ケツにドライバーでも捻じ込んで黙らせとけ…」
暴言以外の何物でもないヴァルクの発言に、無線の向こうからは「あら〜」などと間延びした返事。
「だいたい、あの甲斐性無しがきちんとジェンスから予算を取ってりゃこんな事しなくて済むだろうが。」
この場合「あの甲斐性無し」とはロディスの事であり、ヴァルクは事ある毎にこの呼び方をしている。
『まあね…正直、兵器開発部の予算の横流しにも限界があるし…』
さり気無くとんでもないことを口にしているが、どちらも特に気にしてはいない。
『中将に媚を売ってでも予算を回してもらうのが一番なんだけど…ねえ…』
「ったく…何を意地になってんだか…」
「はぁ…」と2人同時にため息を吐いた。
「なあ…お前からアイツにジェンスと寝るように説得してくれないか?」
『それは…シェニス嬢に殺されそうなのでお断りします。」
こんな冗談を言い合う辺り、2人の関係がただの知り合いでないことが伺えた。
「とりあえず、早く帰るのは無理だ。」
『わかりました。伝えておきます。」
相手の返事を最後まで聞くと、ヴァルクはすぐさま無線を切ってエンジンを噴かせる。
「…………」
そして再び街の方に一瞥をくれると、先程と同程度の猛スピードでその場から走り出すのだった。
______________続く