第64章 サン……キュ。
「ショック状態……」
「め……」
里恵の口から言葉が漏れた。
「何?」
「ご……め」
ごめん、と言いたいのだろうか。明は微笑んで、
「里恵が助かって良かったよ」
と言った。
「今井、もう終わったんだ」
担任が言った。
「辛い思いをさせて悪かった。でも、もう大丈夫だからな」
「信じ……て……た」
里恵が途切れ途切れに言う。
「杉沢……こと……信じ……て……た」
「もう杉沢のことは忘れろよ」
直史が言った。そして、こう続けた。
「お前が杉沢と付き合っていたことくらい、知っているんだよ」
直史は知っていたのか。生ぬるい風がカーテンを揺らした。
「アタ……シ、田淵たちに……襲わ……れたん……だ」
里恵が告白した。そのことを知らない直史は驚いた顔をした。
「マジかよ……」
そう言って唇を噛む。
「怖くて……。ここにいた……ら……殺され……る」
「今井、もうあいつらは逮捕された。大丈夫だ」
担任が里恵の肩を持って言ったが、里恵は首を振って、
「仲間……に……殺される……殺……される」
里恵の身体は震えていた。気の強い里恵がこんなに怯えているなんて……。明はいたたまれない気持ちになった。
「大丈夫。私が、里恵を守るから」
そう言ったのは斐羅だった。
「私も守るよ。里恵のこと」
明もそう言った。
「今井は一人じゃねえんだぞ」
と、直史。
「今井、こんなに守ってくれるという友達がいて幸せじゃないか。先生たちだって、全力でお前を守る。だから、安心しろ」
担任がこんなに頼もしい存在だったなんて知らなかった。
「先……生」
「何だ?」
「サン……キュ」
「こういうときはちゃんとありがとうと言うんだぞ」
そう言いながらも担任は照れくさそうに笑った。
「江川も疲れたろ? 今日はゆっくり休めよ」
病院を出てからの別れ際、直史が言った。
「うん。和泉もね」
「ああ」
「なおくん、ごめんね。その……里恵と本村くんのこと、黙ってて」
「気にすんな」
そう言って直史は自転車で帰っていった。
「じゃあ、私も帰るね」
「うん。気を付けてね」
「明ちゃんもね」
斐羅も帰っていった。明は一人、すっかり暗くなった空を見上げて深呼吸をした。
「もう、終わったんだ」
そう、もう終わったんだ。田淵たちの仲間もどうせ捕まるだろう、と担任は言っていた。もう怯える必要はない。大丈夫。あとは、里恵が精神的にも肉体的にも回復するのを待つだけだ。
「頑張れよ、里恵」
そう呟いて、明は帰路についた。
一週間後、里恵が登校してきた。杉沢と里恵の噂が立てられることもなく、学校は平和だった。やはり杉沢たちは薬をやっていた。その件で多くの杉沢の仲間が逮捕された。
「今井さん」
ナツキが声をかけた。
「何?」
「良かったら、うちらのグループに入らない」
里恵は一瞬目を丸くしたあと、笑って、
「よせよ。今更、入れねーよ。それに、アタシは単独行動の方が好きなんだ」
「でも、入りたくなったらいつでも言ってね」
と、紀子。二人の優しさに明は嬉しくなって、
「私は里恵の友達だから」
と言って里恵の手を握った。ナツキと紀子がトイレに行っているとき、
「もう……大丈夫なの?」
と尋ねると、里恵は、
「大丈夫にならなきゃいけねえもん」
と言って、少し哀しげに笑った。
「辛かったら、いつでも言ってね」
「ああ。サンキュ」
放課後、一週間ぶりに皆が集まった。
「なんで和泉までいるの?」
明が訊くと、
「別にいいだろ」
と直史が言った。やっぱり、里恵のことが心配なのだろうか。
「里恵、本当にごめんね。元はといえば私のせいだよね」
斐羅が言った。
「だから、斐羅のせいなんかじゃないって」
「そうだよ」
元をただせば自分のせいだから。自分が杉沢たちの話を聞かなければ、あんなことにはならなかっただろう。
「もう、恋愛はこりごりだな」
里恵が笑って言った。しかし、その瞳は哀しみの色を帯びていた。乱暴されたショックもあるだろうが、好きな人に裏切られた辛さもあるんだろうな。
「今井のことすら守れなかったなんて、男失格だよな」
直史が言った。
「今井があいつと付き合っていることに気付いた時点で、あいつをぶん殴ってでも別れさせるべきだったんだ」
「直史、そんなことしたらお前がボコボコにされてただろうよ」
里恵が言った。
「それでも引き離すべきだったんだ。幼なじみなんだから」
「例えアタシが殴られても、アタシの目は覚めなかったよ。杉沢の証言を得ない限り」
そうかもしれない。それほど、里恵は杉沢のことが好きだったのだろう。
「でも……守りたかったよ」
「なおくんはやっぱり優しいね」
斐羅が言った。
「そんなことねえよ」
「アタシ、そろそろ帰るわ。帰りが遅いと親が心配するし」
里恵の言葉で解散となった。エレベーターに乗っているとき、直史が、
「江川は大丈夫なのか?」
と訊いてきた。
「えっ、何が?」
「江川も色々と疲れたろ。矢野とも嫌々付き合ってたんだろ?」
「あー……。私は大丈夫だよ」
笑顔でそう返す。
「あんまり、無理すんなよ」
直史の言葉が、素直に嬉しかった。
「また、明日からは来れなくなりそうだから、江川、安藤、今井をよろしくな」
「うん」
「オッケー」
マンションを出てから、斐羅が言った。
「なおくんって、里恵のこと好きなのかな」