第56章 自分のせいで。
明は里恵の顔を見ることが出来なかった。知らない方がいいこともあるって、本当だったんだ。でも、自分が何か行動を起こさなければ里恵は辛いままだ。どうすればいい?
「今井さん」
ナツキが里恵を呼んだ。
「何?」
「スマイリー、今井さんのこと心配してるよ。最近元気ないけど、何かあるのかなーって」
「別に、何もねえよ」
里恵が鼻で笑う。
「本当に?」
気が付けば、明は斐羅と同じ言葉を口にしていた。里恵の目をじっと見つめていると、彼女は視線を逸らし、
「本当、だよ……」
と細い声で言った。
「今日は屋上に来てくれるよね?」
「あー……、今日も無理だな」
やっぱり無理か……。杉沢と会うのだろう。そして、また……。
「もしかしたら、もういけないかもな」
「えっ」
「冗談冗談」
あながち冗談とも言えないんじゃないか? と思った。
「おい」
里恵が声をかけられた。あいつ……杉沢に。
「何?」
「ちょっと来いよ」
廊下に消えた杉沢の後を追う里恵。明は何も言えなかった。悔しかった。何も出来ない自分が。
「スマイリー」
ナツキが真顔で言った。
「その斐羅ちゃんっていう子に、今井さんのこと言いな」
「えっ」
「そして、その子に止めてもらうんだよ。このままじゃ駄目だよ」
このままじゃいけないのは分かっている。でも、杉沢のことを斐羅が知ったらどれだけショックを受けるだろう。ましてや、自分のためにしているだなんて。
「斐羅ちゃんってさ、もしかして安藤斐羅ちゃんのこと?」
紀子が訊いてきた。
「そうだけど……知ってるの?」
「私、和泉と同じ小学校だって言ったじゃん。だから、斐羅ちゃんとも同じ学校だったんだ」
「あ、そっか」
少し躊躇ったが、明は訊いてみた。
「斐羅ちゃんってどんな子だった?」
「変わった子だったよ。あんまり喋らなくて、でも人の心が読めるっていうか、妙に勘の鋭い子だった。だから、もしかしたら今井さんのことももう全部分かってるかも」
里恵が屋上に来なくなってから、斐羅は元気がなくなったように見えた。それは寂しいからだと思っていたが、本当は里恵が自分を犠牲にしていると感づいていたとしたら。いや、そこまで分かるだろうか? それとも……。
「江川、ちょっと話したいことがあるんだけど」
突然直史に話しかけられてびっくりした。里恵の話は直史には知られたくないと思っていたから余計に。直史に付いていくと、窓際で足を止めて言った。
「夕べ、安藤から電話があったんだ」
「何て?」
「里恵、もしかしたら自分のせいで酷いことをされてるかもしれない、って」
ぎくりとした。
「ん? 江川この話知ってんのか?」
「う、ううん!」
「何でそう思うのかって訊いても答えてくれなかったんだよな……。ただの勘なのか、それとも……」
「それとも?」
「俺たちの知らない情報を知っているかだな」
それは明がさっき考えようとした可能性と同じだった。
「とりあえず、俺今日は屋上に行ってみるよ」
「駄目!」
とっさに明が口にした。
「え? どうして?」
「その……私が斐羅ちゃんに詳しく訊いてみるから大丈夫! 何か分かったら和泉にちゃんと報告するし。和泉は受験勉強頑張っててよ」
そう言って笑顔を作る。
「そうか……? じゃあ、江川に頼むよ。よろしくな」
「うん。任せて」
直史が立ち去った後、明が呟いた。
「そう、これが一番いいやり方なんだ……」
屋上に行くと斐羅はもうそこにいた。
「斐羅ちゃん、元気?」
「え、元気だけど……」
「嘘、吐かなくていいよ」
明が斐羅の隣に座る。
「訊いたよ? 和泉から。それに、元気ないの見てて分かるもん」
「そっか……」
斐羅がうつむく。
「で、どうして里恵が自分のせいで酷いことをされてるだなんて思うの?」
「……」
斐羅は答えなかった。言ってくれるまでいつまでも待とう。明はそう思っていた。
やがて、斐羅が躊躇いがちに口を開いた。
「……三日前、デパートで本村くんっていう小学校の同級生と偶然会ったの。そしたら……」
本村くん、とは杉沢のことだ。自分の心臓がどくん、どくんと鼓動を打つのが聞こえる。
「そしたら、『久しぶりじゃん。お前、相変わらず不細工だな。しかも不登校なんだって? 人間のクズじゃん』って……。まあ、それはどうでもいい話だよね。でも、その後言ってたの」
斐羅は顔を上げて明をまっすぐ見つめた。
「『里恵もお前なんかと友達じゃなかったら、あんな思いせずに済むのにな』って言ったの。楽しそうに笑って……。私の知っている本村くんじゃなかった。いつも優しい言葉をかけてくれた本村くんはもういなかった」
悲しそうに斐羅が言った。斐羅はまだ、杉沢のことが好きなのだろうか? もしそうだったら、里恵のことを言ったら二重のショックを受けるだろう。だから、うかつには口に出せない。でも、最低限の情報は言わなければいけない。私は、もう覚悟を決めたのだから。
「里恵、杉沢と無理やり付き合ってるよ。……クラスで起きているいじめを止めるために」