第52章 両想い。
すると里恵は斐羅を抱きしめて、
「ごめん……アタシ、斐羅のこと何も分かっていなかった。気付いてあげられなくてごめん。打ち明けることの出来ないような人間でごめん。斐羅がそんなに苦しんでいるなんて知らなかったよ」
「里恵……」
斐羅はゆっくりと里恵から身体を離して、
「私が悪いの。ごめんね、弱い人間で」
「そんなことねえよ」
直史が言った。そして続ける。
「辛い状況に耐えている安藤は、誰よりも強いよ」
「なおくん……」
「直史の言うとおりだよ。斐羅は充分強い。だから、もっと力抜いて生きていいんだよ」
里恵は目を擦りながら言った。斐羅は背後に手をやって、隠したカッターを持つと、
「いつかは、このカッターを使わなくなる日が来ると思う。それまで、里恵たちにはゆっくり待っててほしい」
ああ、と里恵たちは頷いた。
「あ、そういえばジェシカちゃんって里恵たちの学校にいる?」
「ジェシカって、野崎ジェシカ?」
明と同じクラスの学級委員だ。和泉が里恵のことを好きだったとバラした女子。
「そう。ジェシカちゃん、うちの中学でいじめられていた子なの。私が学校休んでいる間に転校したらしくて。ジェシカちゃん、元気にやってる?」
「野崎さんなら元気にやってるよ。な、明?」
「うん。友達も沢山いるよ」
「そうなんだ。良かった」
斐羅が今日初めて笑顔を見せた。
そしてたわいない話をしているうちに、日が暮れたので明たちは帰ることにした。
「またな、斐羅」
「うん。今日は皆、本当にありがとう」
何か問題が解決したわけじゃない。斐羅は登校出来なかったし、リストカットも止めていない。しかし、明はすがすがしい気持ちだった。
「じゃ、またね、里恵、和泉」
「またな」
「おう」
明は里恵たちと別れ家へ向かった。
次の日。杉沢の姿を見て明は思い出した。昨日、直史が杉沢に対して意味深な発言をしていたことを。
「和泉、ちょっと来て」
直史を廊下まで引っ張ると明は尋ねた。
「昨日、杉沢に『こんな姿見たら、安藤が哀しむだろうな』って言ってたよね? それってどういう意味?」
「あー……。実は、杉沢って安藤と両想いだったんだよ」
「……え!?」
あの杉沢が、斐羅と?
「だって斐羅ちゃん、前に私が里恵と杉沢って付き合ってるの? って訊いたとき、杉沢って誰? って言ってたじゃん」
「前は『本村』だったんだけど、親が再婚して名字が変わったんだよ」
「でも和泉、ただの不良だよって言ってた」
「杉沢も昔はいい奴だったんだ。そのイメージを壊したくなくて」
「いい奴だったの?」
「ああ。いつも四人で一緒だった」
数年前までは自分のポジションには杉沢がいたというのか。不思議な気持ちだった。そして、ある案が浮かんだ。
「……斐羅ちゃんが協力してくれれば、杉沢、変わるかな」
「え?」
「杉沢って、もしかしたら根っからのワルじゃないのかもしれない。そしたら、変わることだって出来るかも」
「……今井がお前に惚れたの、分かる気がするよ」
「え?」
「そうやって他人のことを考えられる奴、なかなかいねえよ」
直史にそう言われて明の顔が赤くなる。不覚だった。
「とりあえず里恵に相談してみるっ。それじゃ」
そう言って足早にその場を後にした。
「……っていうわけなんだけど、里恵、どう思う?」
「うーん……」
登校してきた里恵に相談すると、里恵は困った表情を浮かべた。
「多分、その作戦は成功しないと思うんだよね」
それが悩んだ挙げ句に出てきた里恵の言葉だった。
「そうかなあ……」
その時、ガタンと大きな音が聞こえた。明と里恵は振り返った。すると、クボタが床に転がっていた。クボタの椅子がひっくり返っている。近くには、杉沢。
「お前、キモいから死んでくれない?」
「……」
杉沢の言葉にクボタは何も言わない。皆が彼らに注目していた。でも、助けようとする人は誰もいない。明はその光景を見ているのが辛かった。
「杉沢、止めろよ」
そう言ったのはまたしても直史だった。
「安藤に言ってもいいのか? 今のお前の姿」
すると杉沢はふっと笑って、
「勝手に言えよ。俺があんな女のこといつまでも好きなわけないじゃんか」
「あんな女って、そんな言い方……」
「暗いし、つまんねえし。あんな不細工、今でも好きなわけないじゃんか」
「お前……!」
直史は杉沢につかみかかろうとした。それを止めたのは、明だった。
「和泉、こんな奴殴ったって手が痛くなるだけだよ」
「幼なじみをけなされて黙っていられるかよ!」
「それは私も同じ気持ち」
大丈夫、怖くない、怖くない……。そう自分に言い聞かせながら明は杉沢の目をまっすぐ見て言った。
「杉沢、いじめは止めな」
「何でお前に命令されなくちゃいけねえんだよ」
「あと、斐羅ちゃんのことそんな風に言わないで」
「何、お前、不細工の友達なの?」
「不細工って言うんじゃねえよ!」
ついに明は我慢出来なくなった。直史を止めておきながらも、明は倒れていた椅子を杉沢に向かって投げた。杉沢は「痛え!」と声をあげると、殺気のこもった瞳で明を睨み、誰かが止めるのも間に合わないほどの速さで腹部を殴った。
「うっ……」
明はお腹を押さえてうずくまる。すぐにナツキと紀子が近寄ってきた。里恵は立ちすくんだままだった。直史が殴りかかろうとするのを、他の男子が止めた。
「死ね、江川」
杉沢はそう呟くと教室を出て行った。