第51章 赤い染み。
明は和泉に言葉の意味を訊こうとしたが、チャイムが鳴ってしまったので仕方なく席に着いた。斐羅ちゃんが悲しむ? 杉沢の姿を見て? 斐羅と杉沢は知り合いなのだろうか。でも、前に斐羅は「杉沢って誰?」と訊いていた。考えれば考えるほど分からなくなる。
「和泉、格好良かったね」
次の休み時間、紀子が言った。
「惚れ直した?」
とナツキ。やだぁ、と紀子が笑う。
「紀子ちゃん、そんなに和泉のこと好きなら告っちゃえばいいじゃん」
明が言った。
「え、無理だよ! 無理無理」
「他の人にとられちゃうかもしれないよ?」
「でも……」
「うちが代わりに言ってこようか?」
「駄目!」
「冗談冗談」
「もう。あ、私ちょっとトイレ行ってくる」
紀子が席を立った。
「紀子って面白いよね」
ナツキが言った。以前、ナツキは紀子のことをナルシストと言っていたことがある。しかし、いつの間にか二人は以前より仲良くなっているようだった。
「ナツキ、夏休み受験勉強した?」
「したした。紀子に負けたくないからな。同じ高校に行きたいし」
「私は、多分二人と同じ高校にはいけないと思う」
「学校が離れてもうちらは友達じゃんか」
その言葉が嬉しかった。
放課後、明は部活を休み里恵のマンションの屋上へ行った。予想とは違い、斐羅だけの姿がなかった。
「斐羅ちゃんは?」
「朝、斐羅んち行った。屋上に行かない? って誘ったけど今の心境では行けないって」
「斐羅ちゃん、何て言ってた?」
「ネガティブモード突入してたな。やっぱり私なんか生まれて来なければ良かったんだ、って」
「ほっといて大丈夫なの?」
明は心配になった。
「ううん。アタシだって心配だよ。でも、一人になりたいって追い返されて」
「でも、もう一回安藤の家行ってみないか?」
直史が提案した。
「そうだな。もう一度行ってみるか」
「だね」
三人は屋上を後にして斐羅の家へ向かうことになった。
そこは薄汚いアパートだった。里恵がインターホンを押すと斐羅の母親と思われる人物が出てきた。
「ああ、里恵ちゃん」
「度々すみません。もう一度だけ、斐羅に会わせて頂けないでしょうか?」
里恵があまりに丁寧な言葉を使うものだから明はびっくりした。
「いいよ。皆入って」
「ありがとうございます!」
そして明たちは中に入った。斐羅の部屋まで行くと、斐羅の母が声をかけた。
「斐羅。里恵ちゃんたちが来たよ。ドア開けるね」
「え、ちょ、ちょっと待って!」
斐羅の焦った声が聞こえたが、斐羅の母は構わずドアを開けた。すると、ベッドに寄りかかって座る斐羅がいた。ドアが開く瞬間に後ろに何かを隠したようにも見えた。斐羅の母はその場を離れ、里恵が、
「入っていい?」
と訊いた。
「ごめん……入れられない」
斐羅はまっすぐ明たちを見つめながら言った。まるで、他のものから目を逸らさせるかのように。
しかし、明は気付いてしまった。斐羅の座るすぐ側の床に、赤い染みがぽたぽたとあることを。
「少しでいいから」
里恵が中に入ろうとする。
「駄目……!」
斐羅は手のひらで赤い染みを隠そうとするが、それより先に直史が言った。
「それ、血か?」
まだ、このときなら否定のしようもあったかもしれない。しかし、皆の視線が赤い染みに集まった今、血が手首を伝ってぽとりと床に新たな染みを作ってしまった。里恵と直史が驚愕の表情を浮かべる。
「……」
斐羅は何も言わなかった。
「斐羅、まさか……」
里恵が言った。そして斐羅に近付き血が垂れている方の袖をめくり上げた。すると、傷口がぱっくりと開いて血を流していた。斐羅は俯いたまま無言だった。
「斐羅……」
里恵が呟く。明はベッドの上にあるティッシュを取って斐羅に渡した。
「……ありがとう」
斐羅は傷口をティッシュで拭く。
「どうして……」
里恵が絞り出すかのような声で言った。
「どうして言ってくれなかったんだよ!」
明は驚いた。というのも、里恵が涙を流していたからだ。
直史は入り口に立ったまま、
「俺たちに言ってくれてもよかったじゃないか」
と言った。
「ごめんなさい……」
斐羅が消え入りそうな声で謝る。
「明は知ってたのか? 驚いてないけど」
里恵の問いに明はためらいがちに頷いた。
「明には言ったのに、アタシには言おうと思わなかったの? どうして? どうしてよ……」
里恵は今も泣いている。
「だって、里恵こんなこと私がしてるって知ったら止めるでしょ? なおくんも」
斐羅は里恵と直史を交互に見つめた。
「当たり前だろ」
「ああ」
と里恵と直史。
「そんなに死にたいのなら、アタシに相談してくれたって良かったじゃないか」
「違う。違うの」
斐羅は首を振る。
「私、死にたいんじゃない。死にたくて切ってるわけじゃない。生きたいんだよ。生きたいから切ってるんだよ!」
斐羅の語尾が強くなる。
「辛さを痛みで紛らわすの。だから、私は生きていられる。そうでもしなきゃ、私、生きられないの……」
斐羅は涙を零した。