第46章 学校。
「あー、もう分かんねえ」
里恵はシャープペンシルを投げ出した。
「里恵。ここはこれをこっちに移項するんだよ」
「そうなの? やっぱり斐羅は頭良いなあ。明とは大違いだ」
「里恵には言われたくなーい!」
「お前ら、口ばっか動きすぎ。集中出来ねえだろ」
夏休み。明、里恵、斐羅、直史は里恵の家で勉強をしていた。
「浦高志望がなんでうちんちで勉強してんだよ」
里恵が言った。
「ちょ、みんなで勉強しようって言ったのはお前だろ」
「そうだっけ」
「私、このままじゃ川田工業にしか行けないみたいなんだ」
明が言う。三者面談で先生にそう言われたのを覚えていた。
「大丈夫大丈夫、アタシなんか私立しか受からないって言われたから。ま、行かないけど」
「今井、本当に高校行かない気なのか?」
「うん」
里恵はあっさりと答えた。中卒じゃ、世の中を渡るのは大変だろう。そんなこと、里恵も分かっているはずだ。斐羅は、どうなんだろう? 高校、行かないのかな――。
「なおくん、ここ分からないんだけど」
斐羅が問題集を指差しながら直史に尋ねる。
「どれどれ? ああ、ここは分子にかけるんだ」
「あ、そっか」
明は斐羅が勉強する姿を見てずっと疑問に思っていた。ここは、勇気を出して訊いてみよう。
「斐羅ちゃん、学校行ってないんだから夏休みの宿題なんてしなくてもいいんじゃない?」
すると斐羅はちょっと微笑んで言った。
「私、二学期になったら学校に行こうと思ってるの」
明は驚いた。里恵も直史も知らなかったのだろう、目を丸くした。
「斐羅、マジかよ」
「うん。私、やっぱり高校に行きたい。高校に行って、やり直したいの。だから、行こうと思う。今からじゃ遅いかもしれないけど」
「遅くねえよ。頑張れよ、安藤」
「ありがとう」
「斐羅ちゃん、無理はしないでね」
「うん。ありがとう、明ちゃん」
みんなが笑顔で斐羅を応援する中、里恵だけは無言だった。
「里恵?」
明が里恵の表情が曇っていることに気付いて声をかける。
「いつ、決めた。学校行くって」
「夏休みが始まるちょっと前だけど……」
「どうしてだよ」
「え?」
「どうしてもっと早く言ってくれなかったんだよ」
「……」
「アタシたち、親友だろ? なのにどうして今まで黙ってたんだよ。今だって、明が訊かなければ言わなかったつもりだろ」
里恵はそう言って立ち上がった。
「ごめん、里恵」
その言葉が聞こえなかったかのように、里恵は部屋から出て行った。
「どうしよう……」
斐羅が困った顔をする。
「何で里恵に言わなかったの?」
明が訊いた。自分に言ってくれたということは、もうとっくに里恵に言っていたっておかしくない、むしろその方が自然だった。
「自信、ないからかな」
「自信?」
「本当に行けるかどうか。無駄に里恵に心配かけたくなかったから」
そう言った後、「でも逆に里恵を傷つけちゃったみたいだね」と呟いた。
「今井、最近ナーバスになりすぎている節があるんだよな」
直史が言った。
「どうして?」
「それは分かんないけど」
明の問いに直史が首を傾げる。
「私、里恵に謝ってくる」
「止めとけ。今井が謝罪なんかで機嫌を直すと思うか」
「やっぱり……そうだよね」
斐羅はしゅんとした顔をする。
「大丈夫だよ。今井は、安藤のこと一番よく分かってるから。安藤が学校行かなくなったときだって、『辛いことから逃げることも必要だよ』って言って、無理に学校に行けとか言わなかっただろ? 今井なら分かってくれるよ。安藤の気持ち」
それを聞いて、明は里恵のことを益々尊敬した。斐羅ちゃんの気持ち、考えているんだ。自分の意見も押し付けず、斐羅ちゃんのことを一番に思っているんだ。明は里恵を見習おうと思った。
「日曜日、一緒にお祭り行ってくれるかな」
「行ってくれるさ」
「和泉、断言出来るの?」
「出来る。だって、六年の仲だぜ?」
六年か、長いな。斐羅と知り合ったのは小四のときだから、彼女とも五年の仲。自分より、里恵のことを知っている。明は思い切って言った。
「二人に、里恵のことで質問があるんだけど」
「何?」「何だ?」
「里恵が杉沢と付き合っているって、本当?」
斐羅と直史は顔を見合わせた。
「杉沢って、誰?」
斐羅が訊く。
「同じクラスの不良だよ」
直史が答える。
「……付き合ってないんじゃない? ましてや不良となんて。私、里恵が誰かと付き合ってるなんて聞いたことないし」
斐羅が目をくりくりとさせながら言った。
「今井があんな奴と付き合うわけないだろ」
直史もそう言う。
「……やっぱり、そうだよね。ただのデマかー」
明は内心ほっとしていた。煙草、酒、カツアゲ、薬。そんな噂がある杉沢と付き合っているなんて聞いたら、ショックを受けたに違いなかった。
「あ、虹」
斐羅が窓の外を見て呟いた。
「あ、ホントだー」
「日曜日、晴れるといいな」
直史は笑った。