第4章 和泉直史。
「――俺、小三の時からずっと同じクラスなんだよ。あいつと。家もかなり近い。結構優しい奴だった。中学生になってからだな、ああなったのは」
明は、里恵の幼い頃の姿を思い浮かべてみた。黄色い通学帽をかぶり、髪の毛の黒い彼女。しかしそれは、果てしなく今の姿からは想像出来ず、そして控えめに聞いてみた。
「……好きなの?」
直史は一瞬驚いた表情になり、すぐに弾けたように笑い出した。
「江川、幼なじみの男女だからって幻想を抱いちゃいけないよ。あいつは、恋愛対象外だな、俺とタイプが違いすぎる」
それは納得だ。直史は過去に学級委員をを務めていたこともある、気さくでみんなからも好かれている男の子だった。
「それで、今井さんは何であんな風になっちゃったの?」
「江川、それは間違っているよ」
「え?」
耳にかけた髪の毛がぱらりと落ちた。
「口も素行も悪くなったし、決して見た目の印象も良くない。でも、あいつはあれで良かったんだ」
「……和泉の言ってること、分からないよ」
「分かるのは今井だけだと思うな、俺は」
意味の分からないつぶやきを残し、直史は教室へ戻ってゆく。薄暗い廊下には明だけが残された。もうみんな何を考えているのか分からないよ、何だか泣き出しそうな気持ちになった。
「あ、スマイリー! 今井さんがひどいこと言ったんだって?」
教室に戻るなり、目を大きく見開いたナツキが聞いてきた。
「ひどいこと?」
「掃除の時間だよ! くずだらけとか高校に行くのは低脳だとか言ったって聞いたけど。紀子なんか泣いちゃってるんだから!」
最後の方は小声で言った。明は机に突っ伏している紀子を視界にとらえた。どうして紀子が泣く必要があるのか明には分からなかった。呆気にとられる明をよそに、ナツキは紀子に歩み寄り背中に手をあてて、
「大丈夫だよ、うちは紀子の気持ち分かってるから。ほら、他の人に泣いているのがバレちゃうよ?」
紀子ははっとして顔をあげた。少し鼻は赤くなっていたが、もう涙は出ていない。明も紀子に近寄り、優しい声色を作る。
「大丈夫?」
「うん」
紀子は小さくうなずく。里恵の発言の何が彼女を涙へと走らせたのか尋ねようとすると、ナツキが口を開いた。
「仕方ないよね、紀子はとっても頭が良いから。あんな頭からっぽの人にくずだとか高校に行く奴は低脳だとか言われたら傷つくよね」
すると紀子は救われたような表情になり、
「だよね! 何で私がくずなんて言われなきゃいけないのか分からないよ……」
と言った。おいおい、別に紀子ちゃんが名指しで言われた訳じゃないでしょう、と思わずつっこみを入れたくなった。デリケート? 違う、これは。
「スマイリー、ちょっと一緒にトイレ行こう」
ナツキの顔は険しくて、嫌と言える雰囲気ではなかった。
「ナルシスト」
廊下に出るなり、ナツキがつぶやいた。それはさっき自分が思ったことだ。何も言わないでいると、
「『だよね!』って何なの? 自分のこと完璧だとか思っちゃっているのかなあ」
明は即座に理解した。紀子はとっても頭が良いから、と言われてあっさりと肯定したことがナツキは気にくわないのだ。きっと『そんなことないよ〜、ナツキの方が頭良いって』みたいな返答を期待していたのだろう。
「うちの方が紀子よりは頭良いと思うんだけど、どう思う?」
そんなこと口に出さずに心に閉まっておけよ、と明は心の中で毒づいた。しかし無理に笑って言ってあげる。
「私、紀子ちゃんのことまだよく知らないからなあ。でも、ナツキはすごく頭良いと思うよ」
「だよね!」
ナツキは大げさに喜び、さすがスマイリー、ありがとね、と笑顔で明の背中を叩いた。そして何事もなかったかのように本当にトイレに行った。場所は違うものの、また明は置き去りだ。自分では気づいていないんだろうな、紀子ちゃんと同じ言葉を口走ってたこと。思わずため息がもれる。
その時、どこからか物が割れるような音が鳴り響いた。