第38章 助けてあげて。
心臓がドキドキする。明は里恵のマンションの前まで来ていた。部活を休んで、誰にも見られないようにしてここまでやってきた。里恵に会ったらまず何て言おう? やっぱり、謝るのが一番だろうか。でもそれだけでは里恵が怒りそうな気もする。――どうしよう。
迷いながらエレベーターに乗り込む。屋上に着くと、明は深呼吸をした。そして、ドアを開ける。するとそこには里恵、直史、斐羅が座っていた。
「江川……」
一番に声を出したのは直史だった。
「里恵に呼ばれてたから」
「よっ、スマイリー」
里恵の言葉は皮肉めいていた。
「安藤さんも来てたんだ」
「うん……。ありがとね」
斐羅が言った。
「ううん。ごめんね、今まで来れなくて」
「安藤、心配してたぜ。江川と今井がまた喧嘩したんじゃないかって」
「喧嘩はしてないけど……」
里恵の方をちらりと見る。彼女は頭を掻いていた。明が名前を呼ぶ。
「里恵」
「いいんだ」
「え?」
「アタシは何をされても別にいいんだ」
「……」
「里恵は強がっているわけじゃない」
斐羅が明の考えていることを読み取ったかのように言った。
「里恵は、強いから」
「本当に? 辛くないの?」
「辛かったら何かしてくれんの?」
里恵が言った。明は閉口する。
「ただ、やられっぱなしってわけにはいかないな」
「……やりかえすの?」
「由紀たちなんかボコボコにしてやるさ」
「駄目だよ、里恵。暴力はよくない」
斐羅がぴしゃりと言う。
「お前また警察に補導されるぞ」
また、ということは以前にもあったのだろう。里恵ならやりかねない。
「あいつら超ムカつく。お気に入りのシャーペンまで盗まれた」
「それって、なおくんがプレゼントしてくれた……?」
「え?」
何だ、それ。
「アタシが前に落としたシャーペンだよ」
杉沢が落ちたときに落としたものか。だから、直史はすぐに里恵のものだと分かったのか。
「和泉って女子にプレゼントするような奴だったんだ」
「昔の話だよ」
直史が言った。
「そういえば……」
杉沢と一緒に歩いていた、というのは本当だろうか。そう訊こうとした。
「そういえばで思い出したんだけどさ、淫らに乱れるって書いて何て読むんだ?」
「え」
明はぽかりと口を開けた。
「……インラン」
斐羅が遠慮がちに答える。
「って何?」
「……」
「お前、馬鹿だな」
直史が言った。
「うるせえなっ。アタシだって、直史と斐羅みたいに頭良く生まれたかったよ!」
「努力の賜物ですよ、今井さん」
里恵の言葉に直史が笑った。
「江川、さん」
斐羅が小さな声で呼ぶ。
「何?」
「里恵のこと……助けてあげて。この問題は里恵の力だけじゃ解決出来ない」
「アタシ一人で充分だよ」
「どうやって? どうやって解決するの?」
「それは……今から考える」
「お願い、江川さん」
明は返事に困った。里恵のことをかばったら自分だっていじめられるに決まっている。自分は、里恵ほど強くはない。
「……ごめん」
やっとそれだけ口にした。
「いじめの傍観者ってどんな気分なわけ? 見てて楽しいか?」
里恵が口にした言葉は棘のあるものだった。
「楽しいわけないじゃん。私、里恵のこと好きだよ。でも……。でも、助ける勇気が私にはない」
すると里恵は立ち上がった。目線の高さが明と同じになる。
「明みたいなどっちつかずな奴みると苛々するんだよ」
「……ごめん」
「アタシは謝られたいわけじゃない」
「じゃあ、里恵はどうしてほしいの?」
眉間に皺を寄せながら細い声で言った。
「……」
里恵が目を伏せる。
「里恵はね、本当は自分の元に戻ってきてほしいんだよ」
斐羅が言った。
「……私、里恵のこと裏切ったのに?」
「明はアタシのこと友達って思ってないのか?」
「友達……だよ」
そうだ、私は里恵の友達なんだ。明は心の中で呟いた。沈みかけた夕日が四人を照らしていた。