第32章 仲直り。
バスから降りると明たちが泊まるホテルが見えた。大きくて真っ白な建物だった。窓ガラスが日光を反射して輝いている。明は眩しくて目を細めながら、
「あそこに泊まるんだ」
と言った。
「アタシ、寝相悪いけどよろしくな」
里恵が水筒に入っているお茶を飲みながら明の隣を歩いた。
「私の布団に入ってこないでね」
「そんな約束は出来ねーよ」
目の前ではナツキと紀子が仲良さそうに歩いていた。もうあの中には入れないのだろうか。そう思うと少し哀しくなった。
「ねえ、修学旅行終わったらなるべく学校に来てよ」
「えー、ヤだよ。時々でいいだろ」
「だって私、もう元のグループには戻れないかもしれないんだよ。一人で休み時間を過ごすなんて耐えられない」
里恵が明の方を向いた。薄い眉を上げる。
「アタシは平気だけど」
明は眉間にシワを寄せて、
「平気なのは里恵くらいだよ」
「クボタだって一人じゃん」
思いもよらない名前が出てきた。クボタ。新幹線に乗っているときも、彼は一人で座席に大人しく座っていた。暗い表情で。笑った顔は見たことがなかった。
「クボタだって好きで一人でいるわけじゃないって。私、一人が嫌なんだよ」
「一人なのをみんなに見られるのが嫌なんじゃねえの」
明はドキッとして里恵の目を見た。茶色い瞳に切れ長の二重の線が綺麗。この性格とギャルっぽい見た目を変えたらモテるんだろうな、と思う。
「……何だよ」
里恵の顔をじっと見ていることに気が付いたのだろう。
「いや、何でもない」
「何でもなくないだろ。やっぱり図星なのか?」
「ああ、その話……。確かに、一人でいるところをみんなに見られるのはキツい」
「他人の目なんか気にしなければいいのに」
里恵はお茶を一口飲んだ。孤高、という言葉が当てはまりそうな強さ。社交辞令も一切ない、はっきりとした性格。そうだ、こういうところに自分は惹かれていたんだ。明は思った。
「私も里恵のようになりたいなー」
明は唇を尖らせた。
「アタシと一緒にいればなれるよ」
「嘘、安藤さんは里恵と違って真面目で大人しいじゃん」
「今は、な」
里恵の言い方に引っかかりを覚えた。昔は? と訊こうとしたが、ホテルに辿り着いてしまったので言葉を飲み込んだ。
先生の話が終わると、明たちは部屋へ向かった。里恵がパンパンになった赤い旅行バッグを運ぶ姿は、ピョコピョコと歩くペンギンのようで可愛らしかった。明はグレーの旅行バッグを部屋の端に置くと、ふうっと一息ついた。
「疲れたね」
「ああ」
里恵も隣に旅行バッグを置く。明は旅行バッグを下ろしたナツキと目が合った。逸らしたのはナツキの方だった。ナツキは座って一休みしている紀子の肩を叩き、里恵の方を見ながら小声で何か言った。
「何なのあいつら。ウザくねえ?」
里恵がナツキたちにも聞こえるような声で言った。ナツキと紀子の顔がこわばる。
「言いたいことがあるなら直接言えよ」
ナツキと紀子が目を合わせた。重苦しい沈黙が訪れる。それを破ったのはギャル系の由紀たちの声だった。
「おー、広いじゃん」
由紀が靴を脱ぎながら言った。
「ナツキ、紀子、スマイリー、三日間よろしくねえ」
そこに里恵の名前はなかった。明は悪意を感じた。ギャル系の人の間でも、里恵は嫌われている。
「今井」
直史がドアを開けた。
「女の子の部屋のドア開けるなんて、和泉へんたーい」
由紀が歯肉を見せながら言った。
「しょうがねーだろ。呼ばれてたんだから」
「うっそー、和泉って今井里恵と付き合ってんの? 超イメージダウンなんですけど」
「ちげーよ」
里恵が腰を上げて、
「付き合ってねーから」
と由紀の顔を見ながら言った。
「行くぞ、明」
「あ、うん」
明も慌てて立ち上がり、部屋を出る里恵に付いていった。
「何か話でもあるのか」
廊下で直史が訊いた。
「ああ。とりあえず、仲直りしようぜ」
「俺は別に喧嘩しているつもりじゃないけど」
「斐羅が来ないんだ。電話にも出ない。メールも返さない。あの日以来」
「そうなんだ。安藤は頑固だからなー、一度そうと決めたら徹底している」
「またみんなで仲良く屋上とかで話したいんだよ」
明が言った。
「でも俺の考えは変わんないからな。安藤は学校へ行った方がいい」
「直史、斐羅の気持ち考えてねえだろ。斐羅だって……本当は学校に行きたいんだよ」
「そうなの?」
明は驚きながら尋ねた。
「学校を休んでいるのがどれだけ苦痛だと思う? 時々担任から電話が来るんだぜ。まあ、アタシは平気だけど。楽しい学校生活を送りたいに決まってるじゃんか」
廊下を歩いている生徒が何事かとこちらを見ながら通り過ぎた。
「でも今学校に行っても楽しい学校生活は送れない、と」
「正解。明、察しがいいじゃん」
里恵が手を叩いた。
「行きたくても行けないのか」
直史が顎に手をやりながら言った。
「そういうこと。ちょっとは分かってくれた?」
「ああ。もうむやみに学校行けとは言わねえよ」
「じゃ、仲直りな」
里恵が微笑みながら右手を出した。直史はちょっと困惑した様子で、
「握手しなきゃいけないのかよ」
と言った。
「え、直史、もしかして恥ずかしいの」
「そんなことないけど……」
そう言いながらも、直史の顔は紅潮していた。可愛い、と明は思った。恋愛対象じゃないと言いながらも、女の子だと意識しているではないか。
「分かったよ」
直史はそう言って、素早く握手をした。
「これで斐羅もきっとまた来てくれる」
里恵は笑顔を見せた。この日最高の笑顔だった。




