第24章 この弱虫が。
保健室から教室に戻る途中、授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。階段を一段ずつ上がっていると、数人の体育着に身を包んだ生徒が明の脇を駆け足で通り過ぎていった。
「あ、スマイリー。大丈夫?」
振り向くとナツキと紀子がいた。さすがに暑かったのだろう、ナツキは脱いだジャージを手に持っていた。前髪が額にへばりついている。
「大丈夫。擦りむいただけ」
「そっか。持久走疲れたよー」
そう言った紀子の頬は今も紅潮していた。最後まで走らなくて済んだのだから自分はラッキーだったのかもしれない。ちょっと痛いけれど。
ナツキ達と一緒に教室に行くと、クボタが床に散乱したシャープペンシルを兎跳びをしている人のような格好で拾っているのが目に入った。直史の姿を捜すが、まだ彼は教室に帰って来ていないみたいだ。自分の持ち物が落とされている状況を、クボタは何て思っているのだろう。
明は自分の机の上に置いたスクールバッグから、ミッキーの柄が付いた青いハンドタオルを取り出して顔を覆った。三○分近く保健室にいたのだから汗なんてかいていない。だけどタオルというのは肌触りが良くて、このまま机に突っ伏したかった。
「おい、和泉」
後ろで男子生徒の声がした。教室はみんなの喋り声で騒がしいはずなのに聞き取ることが出来たのは、和泉という言葉に対して敏感になっていたのかもしれないと思った。タオルをどかしてそっと振り向くと、直史と他の男子がクボタの方を見つめている。クボタはやっと全てのシャープペンシルを拾い終わった。
――和泉は、きっと言わない。自分が落としたなんて、絶対に言わない。明は直史の様子を見て思った。
「いじめに合ったって勘違いしちゃうんじゃね?」
と笑いながら友達は直史を小突いていたが、彼はあからさまにクボタからも、友達からも視線をそらしていた。
……何故だかは分からないが、急激に怒りがわいてくるのを明は感じていた。それほど正義感が強いわけじゃないし、クボタに好意を持っているわけでもない。でも、今手に持っているタオルを投げつけたくなるような乱暴な感情が芽生え、全身の体温が一気に上がるような感覚がした。ふざけんな、この弱虫が。明は心の中でそんな汚い言葉を呟いた。
「あ、俺トイレ行ってくる」
その言葉を明は聞き逃さなかった。考えるよりも先に身体が動いていて、明は廊下へ飛び出して直史を待ち構えた。
「和泉」
「何だよ。いきなり」
まさか入口で声をかけられるとは思っていなかったのだろう、口調は冷静でもその瞳はこぼれ落ちそうなほど見開かれていた。明は思わず笑ってしまう。怒りを覚えていたというのにこんなことで笑ってしまうとは。悔しかった。
「おい、人の顔見て吹き出すなんて酷くねえか」
「だって……あ、伝言。今井さんから」
「今井から?」
駆け足で教室を出てきたために傷口がちょっと痛むが、表情には出さないようにする。
「今日アタシの家に来いだって」
「え、お前いつ会ったんだよ」
「体育の時。今井さんは見学していて、私が保健室に行く時にちょっと喋ったの」
「保健室?」
「別に大丈夫だから」
直史が心配そうな表情をしたため、明は苛々していた。
「そうかよ」
ムッとした表情で直史が言ったので明は余計に苛々した。多分、直史に対する妬みのような感情もあったのかもしれない。直史はクボタに本当のことすら言えないくせに里恵の家に招かれているのだ、自分を差し置いて。
「もういいだろ」
うん、と小さく返事をしてうなずくと直史は背を向けて廊下を歩いていった。
「バカ」
誰にも聞こえないように明はつぶやいた。
二人は何を話すのだろう。
* * *
翌日、直史は学校に来なかった。皆勤賞を狙うって、友達と話していたくせに。
胸騒ぎがした。