第21章 嫌だなあ。
空いている二つの席は、明達にとって見慣れた光景になりつつあった。教師は出席簿に目を落としたまま欠席と記入する。近くの席の生徒はさも当たり前のように、自分机のスペースを確保するために二人の机を利用する。あれから里恵は一度も学校に来ていない。杉沢の太い声も、もう一ヵ月以上聞いていなかった。
直史がクラスの男子とふざけ合っているのを見かける度、明は嫌な気持ちになった。あんな風に斐羅、そして里恵と別れて、何とも思っていないのだろうか。彼女達をその程度にしか思っていなかったのだろうか。だけど本人に尋ねられる勇気なんて、自分はあいにく持ち合わせていない。
「スマイリーはどう思う?」
いきなりナツキが話を振ってきた。明は黒板を消す直史を観察していたので当然聞いているはずもなく、
「ごめん、聞いてなかった」
と素直に答えた。ナツキと紀子から失笑が漏れる。ジャージに着替え終わったナツキはズボンの裾を折り、制服を畳んで自分の席の椅子の上に置いた。しかしスカートは単に丸められただけでぐしゃぐしゃ、ブレザーは片腕が飛び出ていた。大ざっぱな性格なんだろう。ナツキは髪の毛を手櫛でとかしながら言った。
「修学旅行の班さー、うちら三人じゃ一人少ないじゃん。だからどうするって話」
「あまってる人って誰いたっけ」
近くから移動させた椅子に座っている紀子は、明とナツキを交互に見る。
「うーん、あ、野崎さん達って六人グループだから二人あまるよね?」
明が言った。バレー部とテニス部が合体した、このクラスでは一番大きいグループだ。教室に姿が見えないことから、今日も中庭で遊んでいるのだろう。
「でも歩美とかメグと一緒になりそうじゃん。他のグループの人ってうちらのグループに入ってくれそうにないしさー」
他のグループから一人だけ抜けて明達の班に入るるなんて、誰が好き好んでするだろう。解決策は一人ぼっちの人を引き入れることしかないような気がした。
「修学旅行っていつだっけ?」
「六月一四日」
でも班を決めるのは明日だ。部屋割りも決めることになっている。一部屋につき二班で三日も過ごすのだから、苦手な人とは一緒になりたくない。
「やっぱりさあ、今井さんを入れることになるんじゃない?」
そう言った紀子は心なしか沈んだ表情だ。
「えー、超ヤなんだけど」
とナツキは言い、
「嫌だなあ」
と明は呟いた。あんな別れ方をしてしまった以上、同じ班で寺を回ったり、土産物屋をぶらぶらしたりするのは避けたいところだ。仲直りなんて出来るはずがない。
そう考えたところで、どうして直史はともかく自分までもう屋上に来るなと言われたのか分からなくなった。斐羅を傷付けることは言っていないはずだし、むしろ励ましの言葉をかけたと明は記憶している。だったらどうして。
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
「あ、そろそろ移動する?」
言いながら紀子は立ち上がった。五限は体育、校庭で持久走をすることになっている。授業が始まるまであと五分ほどあるが、体育の教師は時間に厳しかった。授業に一秒でも遅れると、校庭一周というペナルティが課されるのだ。
ガシャン! と背後で音がしたので振り向くと、ナツキの左斜め後ろの机の側に蓋の開いたアルミ製のペンケースが床に落ちていて、数本のシャープペンシルが散乱していた。
「やべっ」
落としてしまった犯人が言った。直史だ。
「ここの席ってクボタだろ? 大丈夫だって。早く行こうぜ」
直史は悪戯がバレたような表情で落下したペンケースを見つめていたが、他の男子の急かす声に従い教室を出て行った。
「……うちらも早く行こ」
「あ、うん」
明達も教室を後にした。廊下を駆け下りている最中、ナツキが「和泉も悪い奴だね」と冗談めかして言った。
「でも拾ってたら間に合わないもんね」
相変わらずのんびりした口調で、紀子は直史を庇う。一段抜かしで先頭になって階段を下りる明にもちゃんと二人の会話は聞こえていた。
「いや、あいつも普通の人間なんだなって思ってさ」
「頭は普通じゃないけどね。偏差値七○くらいあるらしいよ。そういうのって遺伝なのかなあ」
「そうじゃない? 和泉のママ、塾の先生やってたらしいし」
明は三者面談の時に会った直史の母親を思い出していた。ふうん、そうなんだ。
ようやくげた箱に着いたところで授業開始のチャイムが鳴った。もう喋っている暇はない、明達は急いで上履きを脱ぎ、スニーカーを出すのとほぼ同時に上履きを入れる。明は土足厳禁なのも構わず汚れた白いスニーカーに足を入れ、外へ飛び出した。