第19章 もう駄目だな。
明はふと以前直史が言った言葉を思い出し、不機嫌そうな表情をあらわにしている彼に言葉をかける。
「ねえ、和泉。前、『あいつはあれで良かったんだ』とかって言ってたよね? 今井さんは良いっていうの? それって矛盾じゃない?」
「何、アタシのこと何か言ったのかよ」
里恵が口を挟むと、直史は『しまった』という顔になった。
「今井の場合は、ほら、全然来てないってわけじゃないし」
「でもあまり良くないんじゃないの?」
「そうだけどさ……」
里恵はイライラした様子で身体を揺すっていた。
「つまりさ、アタシが昔酷かったからでしょ? マシになったってことを言いたいんだろ。つーか、勝手に人のこと分析するなよ」
どういう風に酷かったというのだろう。明は気になったが、里恵がまた喋り出したので黙っているしかなかった。
「マシだからっていうなら、斐羅だってそうじゃんか。学校に行っていた頃よりはずっと良いと思うよ」
「でもさあ」
直史は、あぐらをかいている足の組み方を入れ替えて反論する。
「今の安藤、あんまり楽しそうには見えねえよ。体調を崩すことだって多くなったし」
言い終わると斐羅をちらりと見た。斐羅の背中はどんどん曲がり小さくなってゆく。あまり自分の話はされたくない、そんな様子だった。
「でも今の方が精神的には絶対マシだって。斐羅も何か言い返せよ」
里恵の言葉に斐羅は顔を上げた。右目を隠す長い前髪を脇に分け、
「なおくんは正しいよ。私は、もう駄目だな。浦高に行けるといいね」
首を傾け、直史ににこりと笑いかけた。斐羅はどういう気持ちで諦めの言葉を口にしたのか。考えるとその笑顔も痛々しく感じてしまい、明は思わず言った。
「大丈夫だよ。色々な道があるし、諦めることなんてないよ」
すると斐羅の笑顔はしぼんでいった。マズいことは言っていないつもりなのに、と心拍数が速くなるのを感じた。
「お願いがあるんだけど」
無表情で明を見つめながら里恵は言った。
「……何?」
「もう、ここには来ないでほしいんだ」
そう冷たく言い放った。直史に視線を移し、
「直史もだよ」
と言う。
「え、どうして?」
笑って尋ねてはみたが、頬の筋肉がこわばっていて泣きそうな顔になってしまったかもしれないと思った。
ショックだった。
「お前ら、分かってねえよ。所詮、学校に毎日通って先生の言うことを聞く操り人形なんだ。だから斐羅のことなんて分からないんだ」
「何だよそれ」
直史が立ち上がった。止めて、と斐羅が小さい声で言ったが二人には聞こえない様子だった。
「先生の言うことも聞かないで遊び歩いている自分を正当化しているようにしか聞こえねえよ」
直史の言っていることは合っていると思う。だけどこんな風に言い合っている姿、明は見たくなかった。明は中学生になってから一度も言い合いをしたことがないし、見たことだって皆無に等しかった。散々陰口は言っても本人には決して言わない、そんなものだ。
「正当化なんて感じるのは図星だからじゃないの」
里恵は鼻で笑った。どう見ても挑発しているようにしか見えない。
「もう止めて」
今度は二人にも聞こえるように斐羅が叫んだ。みんなの視線が彼女に集まると、斐羅は背筋を伸ばし、
「なおくん達が正しいよ。だから、もう止めて」
『達』ということは自分も含まれているのだろう。
「そんなことないよ」
里恵の言葉にも斐羅は首を振る。
「私が止めるよ。ここに来ること」
口元に微笑をたたえ、優しく言った。