第16章 信じ合える。
「あれ、江川」
直史が声をかける。明はやあ、と挨拶し二人がいる落下防止用の柵の前まで歩み寄った。
「オハヨ、安藤さん」
斐羅ははにかんだ。えくぼが可愛いと思った。
「おはよう」
「今はこんにちはじゃないか?」
直史が突っ込み、明はそうだったねと頭をかく。本当は分かっていた。でも、同年代に『こんにちは』というかしこまった言葉をかけるのが苦手なのだ。背中がむずがゆくなってしまう。明は二人の前にぺたりと座った。
「どうして来たんだ?」
「親にムカついて」
「つーことは、三者面談の内容があまり良いものではなかったと」
「イエス、アイドゥー」
思いっきり日本語の発音で明は肯定した。
「俺と一緒じゃん」
直史は乾いた笑いを漏らす。
「え、だって和泉頭良いじゃん」
「でも、上には上がいるんだよ」
頭が良い、ということに否定はしない。だから里恵は、直史と仲良くやってこれたのかもしれない。明は斐羅に尋ねた。
「安藤さんの学校も三者面談期間なの?」
普段ならこの時間はまだ授業中だ。三者面談期間中は、午前で帰れることになっている。
「うん」
斐羅は明の目を見ずに小さくうなずいた。そういえば今日は敬語を使わずに話してくれてる、何だか明は嬉しくなった。
「そういえば、今井さんは?」
「まだ三者面談だと思うぜ。……にしても遅いけど」
「じゃあ今頃、先生にしぼられているんだ。『将来どうするんだ!』とか言われて」
その光景はリアルに想像出来た。それでも里恵は涼しげな顔をしているだろう。だからきっとなかなか釈放されないな。
「ねえ、そういえば安藤さん、どういうきっかけで今井さんと友達になったの?」
明は興味津々に尋ねた。彼女はどう見ても真面目そうで、里恵と接点がないように思えたからだ。斐羅は赤くなりながらも、思い出すかのように宙を見つめて話し始めた。
「四年生の時初めて同じクラスになって、なおくんが私に声をかけてきたの。それで、里恵となおくん、仲が良かったから」
「何て言ったんだっけか」
直史が話をさえぎった。
「確か……『給食当番代わりにやってくれ』じゃなかった?」
「えっ、俺そんなこと言わないって」
「言ったでしょ」
斐羅は冷ややかな視線を直史に向けたが、目は笑っていた。
「それで、いつの間にかなおくんとも里恵とも、親しくなってたのかな。多分」
「へえ……」
言い終わると昔を懐かしむように目を細めた。優しく吹く風が心地よい。
「和泉は、どこの高校に行くつもり?」
明は伸びをしながら聞いた。そして足を放り出す。
「一応、浦高だけど」
出た、県内トップ高。あまりにも予想通りなので明は笑うしかなかった。
「安藤さんは?」
その問いに斐羅は目を伏せた。聞かれたくなかったのだろうか? 気まずい空気が流れ、明は下唇を噛んだ。
「そういうお前はどこに行くんだよ」
直史がぎこちない笑みを浮かべて聞く。だから明も無理に笑って、
「それが、行きたいところないんだよねー」
と頭をかきながら答えた。
「おいおい。そりゃマズいだろー」
「やっぱり?」
二人の笑いが尾を引いた。
「江川、さん」
斐羅が小さく呼んだ。何やら深刻げな表情で、口は真一文字に閉じていた。
「何?」
だから明も真顔で尋ねた。斐羅は視線を泳がせ、言うか言わないか迷っている様子だ。
「安藤」
直史が心配そうに声をかける。彼には、斐羅が何を言おうとしているか知っているのかもしれない。
「大丈夫」
そう答えた声は震えていて、全然大丈夫そうではない。 その時、屋上の扉が勢いよく開かれた。入ってきたのはもちろん彼女だ。
「三人ともおそろいじゃん。本当、うざいよあの担任。しつこいったらありゃしない。……ん、何皆して暗い顔してんの?」
里恵はきょとんとした顔をしながら大股でこちらへ歩いてくる。明と直史の隣に腰を下ろすと、コの字のような形になった。
「何の話?」
直史は斐羅の方にあごを動かした。その意味が分かり、斐羅と目を合わせる。彼女はこくりとうなずき、
「あのこと。江川さんに、」
「何でだよ」
里恵が泣きそうな顔をして言ったので明は驚いた。彼女もこんな顔をすることがあるんて。
「そうだよ。無理すんなよ」
直史も止める。明は不安になってきた。自分の知らないことが増えてゆく。
「和泉、他人同士とか言ったくせに……」
今の状況に関係ないと、自分でも思う。しかしこの憤りを口に出さずにはいられなかった。
「ああ、言ったさ」
直史に見つめられ、明はたじろいだ。ここで黙り込んだらいけない、
「なのに、何でそんな顔してるの? 安藤さんだって他人でしょ」
口が滑った。気を悪くさせたと思い、斐羅の顔色をうかがうが表情に変化はない、少し安心した。直史が断言する。
「他人だからこそ、俺達は信じ合えるんだよ」