第12章 小石は死ぬ。
「直史、どうしてる?」
和泉直史だよ、と言い直されるまで誰のことか分からなかった。彼の顔が浮かび、明は里恵の背後にかけられた黄ばんだ世界地図を見つめた。
「和泉かあ」
複雑な気持ちになる。里恵は、直史のことをどう思っているのだろうか。
「なおくんか」
ぽつりとつぶやいたのは斐羅だった。
「え、和泉のこと知ってるの?」
「だって斐羅とアタシ同じ小学校だったもん」
前髪をかきあげながら里恵が説明する。わざとらしいその仕草、少しだけ彼女を身近に感じた。
「いつから友達なの?」
「小四くらいじゃん」
「そうなんだ……」
幼なじみに入るだろうか、うん、きっと入る。里恵と斐羅が厚い膜で包まれているようで、明はこの部屋にいるのが少し息苦しくなった。自分は場違いかもしれない。まるで天井が迫ってきそう。でも、これだけは聞いておきたかった。先ほどの幽霊議論の中で気になった言葉。
「塔のカード、って何?」
「ああ、タロットカードの話」
さらりと里恵が答えた。明はまだ話が飲み込めない。
「タロットカード?」
「知らない?」
「いや、知ってるけど……」
「そのタロットカードで斐羅がこの部屋について占ったわけ。そしたら塔のカードが出たんだよ」
「それって、どういう意味を持ったカードなの?」
「さっきから質問ばっかだな」
里恵が歯を見せて笑う。だって、ここは自分の知らない世界なのだ。少し変わったギャル系少女に、見とれてしまうほどの美貌を持った霊感少女。この廃れたような四角い部屋に射し込む夕日陰は里恵が背中でさえぎられていて、彼女の顔に出来た陰影がとても美しい。
「塔のカードが持つ意味は、災難や危険とかなんです」
斐羅が不安を帯びた声で言った。テーブルに視線を落としながら髪を手ぐしですいている。明はそうなんだ、としか言えなかった。たかが占い、などと笑い飛ばせる雰囲気ではない。
「大丈夫だよ。アタシは」
「分かってる」
「斐羅は大丈夫?」
「大丈夫」
淡々とした会話。明は心の中でうなる。分からない、つかめない、自分は入ってゆけない。壁にかけてある時計が、聞いたことのあるようなメロディーで六時をまわったことを知らせた。
「あっ、じゃあ私そろそろ帰るね!」
明は明るい声を出す。実際、帰らないといけなかった。腰を上げると里恵もすっと立ち上がり、
「そっか。じゃあ」
「うん。……今井さん、明日は学校来てね」
言った瞬間、彼女の顔に険悪なものが漂った。
「言うなよ。アタシはそういう言葉が大っ嫌いなんだ。もっと考えろよ!斐羅がいるんだし」
とっさに謝ろうとしたが、言葉がのどにつまって出てこない。視界の端に斐羅をとらえる。彼女は背中を向けたまま、微動だにせず。SOS信号を必死に送ったが、振り向くことはなかった。
「……ごめん」
「許さない」
「……っ」
明は言い返そうとしたが、斐羅の手前みっともない、止めておく。里恵に、
「帰る」
と一言言い、背を向ける。ドアノブをひねって廊下へ出る。閉めるために身体の向きを変えた時、ドアの隙間から部屋をちらりと見る。縮こまった斐羅の背中に里恵が手を当てている。何故だろう。湧き上がる疑問を頭の中で整理しながら、明は今井家をあとにした。
明は道端に落ちた小石を蹴る。小石は宙を舞い、やがて道路に飛び出した。一台の車がやってくる。しかし、丁度信号機の近くだったので小石の手前で車はとまった。信号が青になったら、明は横断歩道を渡り、小石は死ぬ。
外はもう薄暗い。煮えたぎった落陽が落ちてゆくその時、明はあの部屋で時を過ごした。そしてあの部屋の主を怒らせた。今、里恵は何を思っているのだろう。からすが鳴きながら明の頭上を通り過ぎた。あれほど怒るようなことだとは思えなかった。そして冷静になった今疑問に思う言葉、『斐羅もいるんだし』。斐羅の背中に当てた手。つながるようでつながらない。
「あの言葉は安藤さんにも失礼だったのかな」
辺りに誰もいないので声に出してみる。すると余計分からない、明は首をかしげた。今井さんてキレやすい、のかな。直接怒りの言葉をぶつけられると明は腹ただしいというよりも不安になる。気が付かない内に、怒らせるようなことを自分が言っていたなんて。里恵も結局、自分とは他人同士なのだろうか。直史の言葉がよみがえる。
そこまで考えた時、信号が青に変わった。とまっていた車は排気ガスを吐き出しながら走り出す。タイヤがあの小石を踏み――跳ね上がった。小石は向こう側の歩道に落ちる。
小石は、死ななかった。