第三話
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芥川はあれで結構頭の良い子供だったんだと思う。だからこそ、あれだけ巧みに人を従わせることができたのだし、的確に人を傷付ける言葉が言えた。
理科の授業で校庭の生き物を集めることになった際、芥川は自前の虫篭に目に映る限りの青虫を突っ込んで行った。彼はなかなかに目ざとく器用で、しかも協力者をたくさん集めていた為に、何十匹という青虫で虫篭はすぐに一杯になった。
「これはおそらくは、理科の授業を受けるに当たっての、倫理的な下地を作るための授業だね。生き物の生殺与奪を握らせることで、生徒たちに責任感を芽生えさせる目的があるのよ。そうに違いない」
水谷さんはそんなこまっしゃくれたことを口にしては、先生に失笑を与えていた。標本って虫の背中から針を刺すんだぜ、と自慢げに語っていたイナイ君よりも深く、『嫌な子供』の認識を全ての大人に与えたことだろう。
ところで芥川が頭の良い子供だと言ったが、その賢さは口の達者な水谷さんや想像力の豊かなイナイ君とは、また違ったものだったように思う。彼の言動は単純で、彼の行動は実に安直だったが、何一つとして意味のないことはなく、極めて実利的だった。
青虫のケースを覗き込んで意気込んだ芥川は、まず図鑑を調べ、大人から話を訊き、友達に持ってこさせた大きなガラスケースの中に、農薬の使われていないものを選んでキャベツを敷き詰め、霧吹きで湿らせ、そこに青虫を放り込んだ。それら全てが直接的には彼一人の能力によって成し得たというのだから、彼がいかに頭の良い子供だったのかも分かろうというものだ。きっと輝ける未来が待っていたことだろう。脳漿ぶちまけて無残に死に絶えてしまったことが悔やまれる。
過程が全て終わって、ガラスケースを覗かせてもらったボクは、青臭い匂いを放つ緑色の世界に感動など覚えたものである。ぼくに限らず、先生や、虫の苦手な女子や、偉そうな上級生達にも、芥川の仕事は大盛況で、彼は一躍時の人と言った具合だった。
最初の一匹が蛹となった時の興奮模様と言ったら大変なものだった。子供達はもちろん、担任の先生も昔を懐かしむ気持ちで目を潤ませていたように思う。あのイナイ君ですらおずおずと虫籠を覗き込んでいたくらいである。反応が芳しくなかったのは水谷さん一人くらいのものだ。
「子供というのは残酷だねぇ」
彼女はそんなことを一人ごちるように言っていた。
「芥川も、青虫の糞の掃除くらいしたらどうかと思うね。どうでも良いんだけれどさ。この世の中には、あらゆる倫理や教育の通じない、本当にどうしようもない人間がいるのだということを、あたしは早々に悟ることになってしまったわ」
彼女の言うことは相変わらずボクには良く分からなかったのだが、その言葉で初めて、ボクはケースが青虫の糞と腐ったキャベツに塗れていたことに気付いた。その時点でそれを知っていたのは、きっと水谷さんと彼女から話を聞いたボクと、後は管理人である芥川その人くらいだったんじゃないかと思う。なのでボクは、そのことを芥川に言いに行こうと思った。それはやめておけよ、と水谷さんは警告したが聞かなかった。
「蛹はデリケートだから、細心の注意が必要なんだよ」
芥川は子供なりに考えた言い訳と言い回しでそれに応答した。そうされてしまえば知恵遅れのボクにはどうしようもない。
「おまえ。生意気だな」
そう言って芥川はボクのことをいじめはじめた。とうぜん、ケースの掃除をボクがすることを認めてくれるはずもない。距離を置いて羨望の言葉を浴びせるのは良い、だがケースには本当は誰にも触れさせたくないのだ。ボクのようにドンくさい人間には特に。
それが全ての始まりだったんじゃないかと今さらに思う。ボクは歩き方を、水谷さんは喋り方をバカにされることが多くなった。イナイ君はそんな時いつも隅っこの方にいて、へらへらと意味のない笑いを浮かべることが多かったように思う。そんなイナイ君に水谷さんは相変わらず人懐っこい笑顔を浮かべていたし、彼の方もボクらに悪びれること一つしなかった。
やがてキャベツはほとんど腐ったけれど、青虫はほとんど蛹になっていたので、芥川や他の生徒にしてみてもそれはなんら問題ではなかった。教室の後ろの虫篭が青臭いのは誰もが形容していたし、少しくらい臭さが増したって同じことだったのだろう。
そうして蛹が蝶になる瞬間となった。それはもう、先生も次の授業を中断せざるをえないと判断するほどの興奮ぶりで、芥川は随分と得意そうな顔をしていたと思う。俺が育てたんだぜ、どうだすごいだろう。皆が彼に拍手をした。ボクもその観察に参加していたし、芥川のことは基本的に嫌な奴だと認識していてもケースの中の蝶は大好きだった。だからその光景はもちろん感動的に映った。
自分達より遅く生まれたその青虫が、エサを食べて太り、時に蛹に閉じこもって、最後には美しい翼を羽ばたかせ、大人になった自らを祝福したその蝶々の様はとてもたくましく、ぼくの希望と尊敬をその数センチの肉体に受け止めたものだ。あの時始めて、ぼくは成長なる概念を知覚したのだと思う。
蝶々は見事に大人になった。立派に羽を広げて汚く狭いその空間から飛び立とうとする蝶々の為に、水谷さんがガラスケースの蓋を開けようとした。皆がそれを祝福した。だがしかしそこで、芥川が水谷さんのその手を取った。その目は余計なことをするなと言っていた。
「このままにしておこうぜ」
蝶々の飼い主は芥川だったし、この綺麗な蝶々をもう少し観察していたかったのは、彼だけに限らなかった。ほとんど全ての生徒が賛成したと思う。水谷さんはそこで寂しそうな表情を見せて、手を引っ込めてからその場を去った。彼女はいったい、どんな気持ちでいたのだろうか。
やがて、蛹は次々と蝶になった。
四匹目にもなると、竹田君を含め、皆が蝶への興味を失っていた。ぼくもそうだった。
そいつらを逃がさないためには、ガラスケースの蓋を閉じっぱなしにされていた。始末されていない糞や腐ったキャベツがケースの下側にたまり、文字通りの肥溜めとなったその世界の上を、蝶はずっと乱舞し続けた。
そして次々と掃き溜めへ落下していく蝶々達。彼らは、結局、幼虫から成虫まで、生命のほぼ全てをそこで全うしたことになる。糞と、腐った野菜と、仲間の死骸のひしめくガラスケースが、彼らの全てだったのだ。
最後の一匹が息耐えた時、水谷さんは静かにケースを持ち出して、校庭に掘った穴に中身をぶちまける。水谷さんはぼくにこんなことを言ったものだ。
「彼らの多くは自分たちのことを、特別に不幸とも幸福とも思わなかったに違いない」
その時に彼女が浮かべた寂しげな笑みは、他のどの子供からも見られないものだった。
「私達と同じに」
そこは小学生の頃良く遊んだゴミ置き場だった。山奥の、色んな粗大ゴミが不法投棄された場所。彼が外に出て来るようなことがあれば、もしかしたらここに向かったのではないかと愚考したのだ。
昔は水谷さんと三人でここに通っては、イナイ君に付き合って遊びともなんともつかないことを一緒に良くしたものだった。イナイ君は動物が好きだった。猫を拾って来て小さいソファで押しつぶし、その上に色々な重石をしてどの程度まで猫が耐えるのかを実験したりしていた。
そんなイナイ君に協力しながらも、口先ではまったく別のことを話し続ける水谷さんを目にしながら、何もできることのないボクは地面に腰をかけてじっとしていたものだ。イナイ君の想像力は留まることを知らなかったし、それを実践することに何の躊躇も無かった。水谷さんはそんなイナイ君の行為を不毛だとか無益だとか言っていたけれど、この場合に限っては水谷さんのいうことの方がずれて痛んだなと思う。子供の遊びにそんなことを言っても意味はないのだ。
「あんた誰よ?」
捨てられた灰色のデスクに腰をかけて、ボロ衣を纏ったような少女がボクの方を向いてそう尋ねてきた。年はボクらより少し下くらいだろう。触覚のように飛び跳ねた黒い髪の毛が特徴的で、随分と可愛らしい顔をしていた。
「イナイ君の友達です。あなたは?」
「それじゃ分かんないでしょ!」
少女は大声でそう怒鳴り付けた。
「薄らバカ。あたしはあんたの名前訊いてんのよ! こんな汚いゴミ置き場にやって来て、ハエみたいに愚鈍な奴ね。なんで人間ってこんなばっかなのかしら」
どうして言葉につまらないのだろうか、と心配になるくらい早口だった。それに対し、ボクが呆然としていると少女はまたしても大口を開けて
「何を呆けた顔しているの? あたしがあんたに訊いてんのよ! 黙ってちゃわかんないでしょうが愚鈍なのね! さっさと名前を言いなさいよ! ナメクジみたいな奴だわ本当に!」
「……名無しのなな子さん」
「は?」
少女は呆けた顔をした。
「……みんなとか、イナイ君には、そう呼ばれてます」
性格には頭文字を取って『なっちゃん』なのだが。自分の本名を名乗らないボクに、少女は訝しげに口をぱくぱくさせた。しかし何かに納得したような素振りを見せると、憮然とした顔で
「あたしは悪魔よ」
そう自己紹介をした。
「イナイ君っていうのは何? あの陰気なデブのことね? そうよそうなんでしょうあたしには分かるわ。天使の奴からそう訊いているんだもの、すごいでしょ?」
「……そうですね」
「天使を檻に閉じ込めたのもあたしよ。何さ天使の癖して、なさけないことね。所詮はお子様なのかしら。あんな狭苦しいところにバカ丸出しで座り込んでね。ちょうどあんたみたいよ、同じく滑稽だわ」
「イナイ君は一緒じゃないんですか?」
「あたしが話してんのに良い度胸ね。人間っていうのは何かしら? どっかしら自分を平均程度だと捕らえているくせに、世界中の人口の九割を何がしかバカにしてんのよ。あたしに割り込んで良いと思った? あたしは悪魔なのに生意気ね」
「すいません」
「まあ良いわ話してあげるわ。感謝しなさいよ人間風情、こんなことってほとんどないんだからね!」
どこかしら嬉しそうな少女の発音だった。安心しているようでもある。これからその話をできることを、純粋に喜んでいる風なのだ。
「あの野郎ナントカ言ってあたしをここに連れて来たと思ったら、また妙なこと初めてさ。黙って見てたら眠くなっちゃって、起きてみたらあいつ、あたし残して一人でどっか言っちゃってんの。本当クソ生意気なのよあたしを残して行くなんて。帰り方が分からないじゃないの!」
そうまくし立てて机を大きく叩いた。その衝撃で机を支える足の一つが軋み、少女の体は机と一緒に地面に投げ出されてしまう。
「わ。わわわ」
地面に転がりながらも少女は大声でわめいた。
「ちょっとあんた助けなさいよ! そんなこともできないの本当に愚鈍なのね! どうしてそんな突っ立ってるの表情一つ動かさないで、不気味なのよ! なんか人形みたいで! この人でなし!」
そういうのでついついボクは少女を助け起こしに向かってしまう。少女の体は飢餓に見舞われたように痩せていて、少女の肌は一度剥がして張り直したようにかさかさに白かった。
「……何よ」
少女はそこで、うろたえたようにこちらを見た。何が起こっているのか把握できていないというか、助け起こされているというこの状況が信じられない風情であった。
「やるじゃない? 少しは」
そう言って、立ち上がって次には顔を赤くして早口でまくし立てる。
「でもねぇ表情一つ変えないんだから不気味極まりないわ! 何考えてんのか全然分かんないし! ふつうだったら人間風情があたしに触れた罪で祟り殺されているところよ! あたしが慈悲深くて良かったわね感謝しなさい」
「……はい」
「そのはいっていうのもムカつく! どうしてそこで普通の返事をするの? どうしてそんな無表情でいられるのよ。意味分かんない!」
そんな風に言うのでボクは困ってしまった。少女の剣幕に僅かにたじろぐ。少女はそんなあたしを見ると最初安心したような表情を見せ、次になんだか困ったような顔を作って
「い。いやだごめんなさい」
とそんなことを言った。そして次には顔を赤くして
「なんて言うと思ったバカぁ! あたしが人間に謝ったりする訳ないでしょうが! それより何の用よ? 何をして欲しいの? どんな見返りが欲しいのか言ってみなさい」
「……どういうことですか?」
「バカね!」
少女はそう絶叫した。
「何でも願いを言いなさいってことよ! 魂はいただかないであげるわ、もちろん対価は要求するけどね!」
「だったら」
少女の声に耳を塞ぎそうになりながら、ボクは迷わずこう言った。
「人を生き返らせて欲しいです」
「できる訳ないでしょうバカぁ!」
またバカって言った。
「砂漠にビーズの例えって知ってる? 知ってるわよね人間が考えたものなんだから。知らなかったらただのバカよ間抜けよ。人間の魂なんてちっぽけ過ぎてビーズみたいな大きさで、死人の魂の行き先は砂漠みたいに無限なの! 見付けられる訳ないじゃん、それを探して来いなんて良く言えたわね」
「……そうですか」
ボクはその悪魔の返事をとても残念に思った。
「……別にあたしが悪いんじゃないんだからね。要求が無茶なのよ。人間、あなたが思っている以上に世界は広いわ。そしてあなたが思っているほど都合良くはいかない。自分の目にしたことのない全ての概念に、どんな小さなことでも期待をするのはやめた方が良いわ」
言ってから自分の行動とセリフの矛盾に気付いたのか、そこで悪魔は顔を真っ赤にした。忙しい人だと思った。
「まあ。この悪魔を目の前にして驚かなかったことは褒めてあげるけど。けれどね悪魔だからって何でもできる訳じゃない、せいぜいあんたら人間にできることまでしかしてあげらんないわ」
「でも。イナイ君は悪魔に頼んでUFOを取ってきてもらうと言いましたよ?」
「そんなのは簡単よ」
少女はそこで、けろりと言い返した。
「あたしの活動範囲は宇宙規模だからね。もっとも今回が初仕事なんだけど……じゃなくて。もちろん同等の対価はいただければ良いの。あいつ碌なもん持って無さそうだから心配だけど。まあ関係ないし、あたし悪魔だから」
「UFOは持ってこれて、死んだ人は生き返らせられないんですか?」
「だからぁー」
少女は溜息でも吐きたそうにそう喚いて
「どうして分かんないの? そんなの無理なの、死んだ人生き返らせんのが基本的に禁忌なんてことは、人間だって分かってたはずでしょ? バカなの? だからそんなに聞き分けなくてしつこいの?」
「……でも」
ボクはそこで食い下がった。
「あなた、悪魔なんですよね」
少女はたじろいだ。
額に汗を浮かべそうに、少女は上体をそらしてボクから目を背けた。そして何秒間か横目でボクの顔をうかがい、とても言いずらそうに
「できないものはできない。そりゃ、できる悪魔もいるわよ。でもあたしはそれと違うの、残念ね」
とそう言った。
「分かりました」
ボクは視線を落とした。少女は心地も悪そうに表情をゆがめて、それから悪魔の癖にボクを気遣うような声で
「……まあでも、あんまりそんな大仰なこと願うもんじゃないわよ? 間違っても他の悪魔とか呼び出しちゃダメ。あたしらと仲良くしても基本的に良いことないからね?」
なんで悪魔本人がそんなことを言うんだろう。そんなことを言っちゃうような悪魔だから、人を生き返らせることができないんだろうか。そうだとすれば、がっかりである。
「ところで」
「何よ?」
「イナイ君は、一度もあなたに、ボクと同じような願い事をしましたか?」
少女は一瞬、思い出すような表情をした後
「冗談めかして色々言われたけど、それは無かったと思うわ」
そう返答した。
「そうですか」
言って、ボクは少女に背を向けてその場を離れようとした。少女がそれに付いてくる。なんだか転びそうな足音が聞こえて、相変わらずの喚くような声で言うのだ。
「待って。あたしを置いてかないでよ! どこ行くのよ!」
「イナイ君ち」
ボクはそう答えた。
「今ならいるかもしれないから。ボクはイナイ君に会わなきゃいけない。今じゃなくても、別に良いんだけど」
「だったらあたしも連れてって」
少女は絶叫した。
「あいつんち以外行くとこないの。お願いあいつに会わせて。もう一人は嫌なの」
ボクは悪魔に向き直って、必死の表情をしている彼女に無表情で言った。
「イナイ君といたって、良いことないよ」
「それで良いの!」
少女は言った。
「あたしを呼び出してくれたのなんてあいつくらいだから。だから何でも良いの。早く会わなきゃいけないの。あたしはがんばんなきゃいけないの!」
そうまくし立てて、少女はボクの手に掴まって来た。乱暴で体温の感じられない手だった。ボクは少し困った気持ちで、再びゴミ置き場に背を向けてから言う。
「良いよ」
「本当!」
大きな声で言ってから、少女は次は取り繕うように
「……まあ。ダメだって言ったら取り殺すつもりだったけどね。誰もあんたなんか頼りにしてないわ。あたしは悪魔だから、なんとかなっちゃうもんね」
再び何か喚き始めた。ある程度喚くと一周して同じところにたどり着いて、また同じことを喚き始める。そんな繰り返し。
なんだかこの子が気の毒に思えて来た。そして、イナイ君なんて、もっとすごい悪魔に取り付かれて、死んじゃえば良かったのにって、ボクはそう思った。
読了ありがとうございます。
ここまで付き合ってくれてマジ感謝です。




