夜の散歩は、深海散歩
梅雨時期の、雨が降りそうな匂いのする夜だった。月はぼんやりと輪郭を失い、薄い雲の向こうで滲んでいる。明日は雨予報。雨の日は散歩をしない自分にとって、今夜歩けなければしばらくお預けになる。そう思うと、いつもより少し遠出したい気分になった。
といっても遠出というほどでもない。駅の向こう側、普段はあまり通らない繁華街まで足を伸ばすだけだ。
ラフな格好のまま繁華街に足を踏み入れると、自分が明らかに浮いているのが分かる。ネオンが濡れたアスファルトに滲み、湿った空気が肌にまとわりつく。この感覚に既視感がある、と思ったら、それは子供の頃に行った水族館の深海ゾーンだった。あの薄暗い通路、ガラスの向こうの水が妙に濃く、重く見えた場所。照明を絞った展示室特有の、息を潜めるような静けさが、今夜の繁華街にもそのまま漂っている気がした。
店の前に立つお姉様たちは、それぞれ違う深海魚に見えてくる。派手なラメのドレスで、長い睫毛をバサバサとさせている人は、まるでチョウチンアンコウだ。額の発光器のように、視線を集める何かを纏っている。隣に立つ、もっと控えめな光り方の人は、ヒカリキンメダイだろうか。強く主張せず、ただ静かに発光している。少し離れた場所で、しなやかに腕を組んで立つ人は、リュウグウノツカイのように見えた。長く、優雅で、現実離れした美しさがある。あの水族館の暗い水槽の奥に、ぼんやり浮かんでいたあの姿そのままだ。
少し先では、遊んだ帰りなのか、足取りの怪しい酔客がふらふらと壁にもたれかかっていた。あれはクラゲだ。ミズクラゲのような頼りない透明感ではなく、もっと重たく濁った動き――アカクラゲのような、毒々しさを内側に抱えた揺れ方をしている。骨も芯もないまま、夜風という水流に身を任せて漂っている。意思を持たず、ただゆらゆらと運ばれていくだけの存在。
そうなると、これから店に繰り出していく男たちは何だろうと考える。早足で、目が血走っていて、目的地に向かって一直線。あれはきっと、オニアンコウだ。いや、オニアンコウはもっと不気味に潜んでいるタイプか。だったらフクロウナギの方が近いかもしれない。あの異様に大きな口で、目に入るものを次々と取り込んでいくイメージが、繁華街に消えていく男たちの姿に重なる。違う、違う、と打ち消しながら歩く。この答え合わせに正解はないのだが、それがまた楽しい。
自分はどの深海魚に当たるだろうか、と考えてみる。光らない、群れない、目立たない。ただ底の方をゆっくりと這うように歩いている。これはきっとオオグソクムシだ。地味で、誰の目にも留まらず、ただそこにいるだけの存在。そう思うと少し笑えてきた。
繁華街を抜けると、急に喧騒が消える。住宅街に差し掛かると、水族館の出口を抜けて明るい地上に戻ってきたような感覚になる。湿った空気はまだ残っているが、ネオンの光は届かない。月はやはりぼんやりと薄く、輪郭をなくしたまま空に浮かんでいる。
明日は雨。今日のうちにしっかり歩けてよかった、と思いながら歩を進める。繁華街での深海魚観察はなかなか楽しい遊びだった。次に同じ時間にあの場所を通ったら、また違う魚たちに出会えるだろうか。
そんなことを考えながら、家路を辿る足はいつもより少し軽かった。




