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第3話 撃つ前に考えること

二階は、静かだった。


静かすぎて、外の音が逆に刺さる。

悲鳴。怒号。銃声。獣じみた鳴き声。


ユウは階段を上がり切った場所で一度しゃがみ、息を整えた。

埃の匂いが濃い。古い壁紙が湿気で浮いていて、指で触れたら剥がれ落ちそうだ。


「……緊急時は二階へ、か」


貼り紙の文言が頭をよぎる。

ここで“緊急”が日常になったのは、いつからだろう。


ユウは拳銃を握り直した。

冷たい金属。重い。重すぎる。


ゲームのコントローラーみたいに軽くない。

映画の小道具みたいに気楽じゃない。


――引き金の先は、現実だ。


窓に近づくと、外が見えた。

ガラスは割れていて、枠だけが残っている。

その縁に、砂と埃が積もっている。そこに肘を置けば滑るだろう。


ユウは身体を低くしたまま、そっと覗く。


通りが見える。


まず目に飛び込んできたのは、動く影――五人。

全員女性。

誰かが誰かを支えている。

誰かが後ろを見て、声を飛ばしている。

彼女たちは、逃げているのに“崩れていない”。


その周囲に、三人の男。銃を持っている。

追う側。盗賊。

荒い動き。怒鳴り声。統率がない。

だが武器がある。それだけで脅威になる。


さらに、もう一つ。


獣でもない、人でもない“何か”が、通りの端で揺れていた。

四足。関節がズレている。

さっき裏手で男を引きずっていた個体と、似ている。

いや、同じ種類だ。目の反射の仕方が、妙に無機質で――生き物というより、壊れた機械みたいだ。


「……モンスター」


ユウは小さく呟いた。


そして、裏手の方から、もう一度声が聞こえる。


「……たす、け……」


あの男だ。


ユウの喉が詰まる。

見ない、と決めたのに。聞こえてしまう。

ここから裏手は見えない。けれど、音だけで状況が想像できる。

爪が砂を掻く音。引きずられる音。何かが裂ける音。


「……くそ」


助けたい。

でも、助けられない。


ここで裏手に撃ったところで当たる保証はない。

当たっても止まる保証はない。

そして何より、撃った瞬間に“こちらがいる”とバレる。


バレたら死ぬ。


死んだら、誰も助けられない。


ユウは歯を食いしばり、視線を正面へ戻した。


今、自分が選べるのは――一つだけだ。


盗賊を止める。

それで五人が逃げる時間を作る。


モンスターは、無理だ。

あれはルールが違う。


「……切り分けろ」


ユウは、自分に言った。


頭の中で、何かをデバッグするときの感覚が蘇る。

複雑な不具合が出たとき、一度に全部直そうとすると破綻する。

まず原因を分ける。問題を小さくする。

それから、潰す。


今の問題は三つある。


盗賊。

モンスター。

自分の恐怖。


……自分の恐怖が、一番厄介かもしれない。


ユウは拳銃を一度膝に置き、手のひらを握って開いてを繰り返した。

指先が冷たい。汗が出ているのに、冷たい。


「……落ち着け」


息を吸って、吐く。

吸って、吐く。


心臓は早い。

でも呼吸だけは、意識すれば制御できる。


拳銃を持ち上げる。


構え方は、正直よく分からない。

両手で握る。腕を伸ばす。視線と銃口を一致させる。

映画や動画で見た知識の寄せ集め。


それでも――今ここで必要なのは“正しいフォーム”じゃない。


必要なのは、


当てること。

外さないこと。

弾を無駄にしないこと。


ユウはマガジンを抜いて中を確認した。

弾は……残っている。何発かは分からないが、少なくはない。

弾薬箱も下にある。補給はできる。だが、補給の時間があるとは限らない。


「……狙うなら、足」


心の中で決める。


殺すためじゃない。

止めるため。


そう言い聞かせる。


でも、理解している。

銃は都合よく“止める”道具ではない。

弾が当たった場所によっては死ぬ。

運が悪ければ、足を狙っても死ぬ。


それでも――撃たないよりは、マシだ。


ユウは窓の縁に布切れのようなものを敷いた。

埃に滑らないため。

銃を直接置かないため。


震える腕を抑えるように、窓枠に銃を預ける。

支えがあるだけで、照準の揺れが少し減った。


外の状況を読む。


盗賊の一人が、女性の腕を掴んで引き寄せている。

別の女性が助けようとして殴られ、膝をついた。

盗賊は笑っている。

笑いながら銃を振り回している。


その光景が、胃を捻る。


「……やめろ」


声にならない怒りが湧く。

それが恐怖を押しのけて、少しだけ指が動く。


ユウは照準を、掴んでいる盗賊の脚へ合わせた。


距離はある。

風もある。

手も震えている。


当たれ。


当たれ。


「……っ!」


引き金を引いた。


――乾いた破裂音。


耳がキン、と鳴った。

反動が手首に突き上げる。想像より強い。

火薬の匂いが、鼻の奥に刺さる。


一瞬、景色が揺れる。


次の瞬間。


盗賊が叫んだ。


「ぐあっ!」


脚を押さえて転ぶ。

掴まれていた女性が弾かれるように離れ、よろけながら後ずさる。


「……当たった」


ユウの頭が一瞬真っ白になる。


当たった。

自分が撃って。

自分の弾が。

人に当たった。


胸の奥が、ずしりと沈む。


でも――止まるな。


止まったら、次は死ぬ。


盗賊たちが叫び始めた。


「どこだ!?」「狙撃だ!」


散開する。遮蔽物の裏へ飛び込む。

反応が早い。撃たれ慣れているのかもしれない。

あるいは、この世界ではそれが“普通”なのか。


女性たちは混乱している。

逃げたいが、逃げる方向にモンスターがいる。

盗賊の一人が怒鳴る。


「動くな! 撃つぞ!」


その銃口が、女性たちに向いた。


ユウは息を止めた。


狙う。


腕。


銃を持っている腕。


「……当たれ!」


二発目。


銃声。


弾は盗賊の腕をかすめた――ように見えた。

盗賊が呻き、銃を落とす。


「くそっ!」


盗賊が遮蔽物に隠れる。


ユウはすぐに体を引いた。

窓から銃口だけ出し続けるのは、的になる。

盗賊が狙い返してくる。


「……位置を変える」


ユウは床を這うように移動し、隣の部屋の窓へ。

二階は広くないが、窓の位置が少し違うだけで視界の角度が変わる。


ガラスの破片が靴底に当たり、音が出そうになる。

ユウは足を浮かせるように歩く。怖い。音が怖い。自分の音で死ねる世界だ。


次の窓。


覗くと、盗賊がこちらを探しているのが見えた。

銃を構え、壁際を睨み、叫ぶ。


「出てこい! どこのクソガキだ!」


クソガキ。

……当たっているのが腹立つ。


ユウは照準を下げた。

今度は、盗賊の足元――走り出す瞬間を狙う。


盗賊が女性の一人に近づき、髪を掴もうとした。


「やめ――」


女性の声が潰れる。


ユウは引き金を引いた。


三発目。


弾は地面を跳ねた。

外れた。

焦りが喉を締める。


「ちっ……!」


盗賊が振り向き、銃を二階へ向ける。

危ない。見えているかもしれない。

ユウは反射で身を伏せた。


その直後。


パァンッ!


盗賊の銃声。


窓枠の木片が弾けた。

破片が頬をかすめる。熱い。


「……っ!」


死ぬところだった。


ユウは呼吸が乱れるのを必死に抑える。

今、パニックになったら終わる。


頭の中で、短い手順を作る。


撃つ。

隠れる。

移動する。

撃つ。


繰り返す。

考えるな。手順だけ。


ユウは次の窓へ移った。

ここは視界が狭い。だが遮蔽物が多い。

盗賊たちの背中側が少し見える。


モンスターが動いた。


銃声に反応したのか、血の匂いに反応したのか。

通りの端で揺れていた個体が、ゆっくりと盗賊の方へ向きを変えた。


低い姿勢。

獲物を見つけた動き。


ユウの背中に冷たい汗が流れる。


「……来るな」


願いとは裏腹に、モンスターは近づく。

盗賊たちは気づいていない。

女性たちは気づいたのか、悲鳴を上げる。


「後ろ!」「来る!」


盗賊が振り向き――一瞬、動きが止まった。


その隙。


ユウは盗賊の一人の脚を狙い、引き金を引く。


四発目。


命中。


盗賊が膝をつき、転がる。


「ぐっ……!」


もう一人が叫ぶ。


「撤退だ! やべぇ、モンスターだ!」


盗賊たちの声に、恐怖が混ざる。

彼らもモンスターは嫌がる。

つまり、モンスターは“共通の天災”だ。


盗賊が倒れた仲間を引きずろうとする。

だがモンスターが、すでに近い。


ユウは、そこで迷った。


撃つべきか?

モンスターを?

無理だ。止まらない。


なら盗賊を――?


もしここで盗賊を殺せば、女性たちは助かる。

でも、自分が“殺した”ことになる。

いや、脚を撃った時点で、もう戻れない。

戻れないなら、最適解は――


「……止める」


ユウは盗賊の肩を狙った。


五発目。


弾が当たり、盗賊が叫ぶ。

仲間を引きずる手が離れた。


「くそっ! くそっ!」


盗賊は後退する。

仲間を置き去りにして逃げる。

正面の通りの奥へ、二人が走り去った。


通りには、倒れた盗賊と、女性五人と、モンスターが残った。


最悪の組み合わせが、形を変えただけ。


モンスターが倒れた盗賊に近づく。

血の匂いに引かれているのか、動きが確信に満ちている。


女性たちは、背中を向けて逃げたい。

だがモンスターがいる。

近づけば食われる。離れれば追われる。


「……今だ」


ユウは心の中で叫んだ。


「逃げろ!」


声を出しても届かない。

だから、状況に祈る。


モンスターは盗賊に覆いかぶさった。

骨が鳴るような音がする。

悲鳴が、短く途切れる。


ユウの胃がひっくり返りそうになる。


自分が撃った弾が、あの盗賊をモンスターに渡した。

殺したのは自分じゃないと言い訳できるのか?

できない。

自分が引き金を引いた結果だ。


でも。


でも――女性たちは、その隙に動いた。


五人が、互いを押し合うようにして路地へ走る。

一人が転びかけ、別の一人が腕を掴んで引っ張る。

息が合っている。

生きることに慣れている。


全員が、路地へ消えた。


ユウは、拳銃を下ろした。


耳鳴りがする。

火薬の匂いがまだ鼻の奥に残っている。


手が震えて、銃が重い。


「……終わったのか?」


終わっていない。

モンスターはまだいる。

裏手の男は、もう声がしない。

通りの奥に逃げた盗賊が、仲間を呼びに行っている可能性もある。


終わっていないのに、体だけが「終わった」と錯覚して崩れそうになる。


ユウは壁に背をつけ、ずり落ちるように座った。


胸が苦しい。

息が浅い。

目の奥が熱い。


泣きたいわけじゃない。

ただ、体が反応している。


「……人を撃った」


声にすると、現実が刺さる。


自分は中学生だった。

少なくとも、そんな感覚がある。


なのに今、銃を撃っている。

人に弾を当てている。

そして、結果的に人が死んだ。


それが当たり前になっていくのが、怖い。


外が静かになった――と思った瞬間、下から声が飛んできた。


「おい!」


ユウは反射で立ち上がり、窓へ近づく。

路地から戻ってきたのか、女性たちが通りに出て、薬局の二階を見上げていた。


彼女たちの目が、まっすぐこちらを捉える。


誰が撃ったのか。

どこから撃ったのか。

理解した目だ。


そのうちの一人、短髪の女が叫ぶ。


「今の、あんたがやったのか!」


ユウは答えられなかった。


答えたら、何かが決まってしまう気がした。


彼女たちに近づけば、助けたことが“関係”になる。

距離を取れば、助けたことが“偶然”になる。


どっちが正しい?

分からない。


短髪の女が、さらに声を張る。


「降りてこい! 話がある!」


ユウは窓枠を握りしめた。


手のひらが汗で滑る。

胸の奥に、別の恐怖が湧く。


盗賊じゃない。

モンスターじゃない。


――人間が怖い。


ユウは、ゆっくりと頷いた。


そして銃を握り直し、階段の方へ一歩踏み出した。


(つづく)

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